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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
暴食の章
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ぱぱ、まま、せかいのぜんぶ、ごちそうさま!(6)

 世界は広いようで、意外と狭いよね。

 美味しいお店はたくさんあるけれど、毎日通ってると飽きちゃうし、いつか材料切れになっちゃう。

 カズヤくんのお店は閉店ガラガラ。

 その前のお店も、その前のお店も、みんなすぐにシャッターを下ろしちゃった。

 みんな体力がないなあ。愛は無限だって、歌の歌詞にも書いてあるのに。美羽がいっぱいチューして、ハグして、大好きって言ってあげてるのに、なんでみんな、最後は幽霊みたいに青白い顔をして、美羽の前から消えちゃうのかなあ?

 美羽はまだこんなにペコペコなのに。

 もっと、一生食べ続けられる魔法のスープはないのかな?


 そんな美羽がたどり着いたのが、マモルくんのお家だった。

 マモルくんはね、すごいの!

 味がしないんだよ。

 甘くも、辛くも、苦くもない。無味無臭。ミネラルウォーターみたい。

 言葉を喋るのが少し苦手で、工場で毎日何かの部品を組み立てるお仕事をしてるんだって。

 公園で雨宿りしてたら、美羽に傘を貸してくれたの。「濡れちゃうよ」って。自分の肩はずぶ濡れなのに、ニコニコ笑ってた。

 その時、美羽の直感がビビッときたんだ。

 ステーキとかケーキとか、味の濃いものはすぐに飽きちゃう。

 でも、真っ白なご飯やお水は、毎日食べても飽きないでしょ?

 マモルくんははじめから空っぽの器だ。

 だから、美羽が何色に染めても、どんなワガママを言っても、文句ひとつ言わずに「うん、いいよ」って受け入れてくれる。

 無限の許容。底なしの献身。

 すごいよ、マモルくん! マモルくんは人間じゃなくて、美羽専用のウォーターサーバーだね!


 マモルくんのアパートは、おばけが出そうな古い古い団地。

 壁はシミだらけだし、畳はボロボロで、カビと土の匂いがする。でも、美羽にはここが、最終処分場じゃなくてネバーランドに見えた。

 だって、マモルくんは怒らないもん。

 美羽が何もしなくても、働かなくても、お金を散財しても、部屋をゴミだらけにしても、「美羽ちゃんが笑ってると、僕も嬉しい」って、仏様みたいに微笑むだけ。

 ああ、楽ちん。

 噛まなくていい。ただ飲み込むだけでいい。

 美羽はここで、一生マモルくんと生きていこうって決めたの。


 そして二年が経った。

 季節は巡り、また蒸し暑い夏が来た。

 セミがミンミン鳴いてる。命を燃やす音。

 

 団地の一室。

 部屋の中は、すごいことになってる。

 コンビニのゴミ、脱ぎ捨てた服、カップラーメンの容器、茶色く変色したピザの箱、そしてオムツの山。足の踏み場もないカオス。異臭が漂ってるけど、美羽にはそれが発酵した愛の匂いにしか感じられない。

 窓から差し込む西日が、舞い上がる埃をキラキラ照らして、部屋中が黄金色の粉で満たされているみたい。

「あーあ、あーあ」

 美羽の腕の中で、小さな生き物が声を上げてる。

 赤ちゃん。三ヶ月前に生まれた、美羽とマモルくんの愛の結晶。

 名前は「姫愛」って書いて、「ティアラ」ちゃん。

 キラキラしてるでしょ? お姫様みたいに愛される子になりますように、って美羽がつけたの。

 美羽は、この子がお腹に宿った時、ビックリしたんだ。だって、美羽のお腹の中で、勝手に大きくなっていくんだもん。美羽が食べたポテチとか、マモルくんが買ってきてくれたジュースとかが、お腹の中でグルグル混ざって、こんなに可愛い命になったんだよ?

 すごくない?

 今まで美羽は、外の世界に「ごはん」を求めてた。いつもお腹が空いてた。いつも不安だった。

 でも、違ったんだ。

 青い鳥はおうちにいたんだよ。

 一番美味しいご馳走は、美羽のお腹の中にあったんだ!


 ティアラちゃんが泣き出した。

 オギャア、オギャア!

 顔を真っ赤にして、手足をバタバタさせてる。

 うるさい? ううん、違うよ。

 これはね、「ママ、見て!」「ママ、こっち向いて!」「ママ、ママ、ママ!」っていう、世界で一番熱烈なラブコールだ。

 ドクン、ドクン、ドクン!

 美羽の心臓が高鳴る。脳内麻薬が噴水みたいに吹き上がる。

 この子は、全身全霊で美羽を求めてる。美羽がいないと生きていけない。美羽が抱っこしないと泣き止まない。美羽がおっぱいをあげないと死んじゃう。

 究極の共依存。まじりっけなしの、純度100000パーセントの愛の塊。

 カズヤくんもタカシくんもほかの男の人たちも、最後は美羽から逃げようとしたけど、この子は違う。

 だって、この子は美羽の一部だもん。美羽からちぎれて生まれた分身だもん。

 絶対に美羽を裏切らない。絶対に美羽を嫌いにならない。

「よしよし、ティアラちゃん。お腹空いたの? ママもだよ。ママも、ティアラちゃんのこと食べちゃいたいくらい大好きなんだよぉ」

 美羽は服をまくり上げて、赤ちゃんにおっぱいを含ませる。

 チュパ、チュパ、ゴクン。

 赤ちゃんが必死に吸い付く力。

 痛い。乳首が千切れそうなくらい強い力。でも、それが気持ちいい。

 体の中の栄養が吸い出されていく感覚と同時に、赤ちゃんの全幅の信頼と盲目的な執着が、乳腺を通って美羽の魂の中に逆流してくる。

 ああ、美味しい。

 甘い。ミルクキャラメルを煮詰めて、ハチミツをかけたみたいに甘い。自分の体から出したものを、この子が吸って、この子が育って、その愛をまた美羽が受け取る。

 グルグル回ってる。永久機関だ。無限の愛のループ。

 これでもう、美羽は飢えることがないんだ。

 外に探しに行かなくても、腕の中に「永遠のキャンディ」があるんだもん。舐めても舐めても無くならない、魔法のキャンディ。

「……み、美羽ちゃん……水……」

 部屋の隅っこ。

 万年床になった黒ずんだ布団の上で、マモルくんが倒れている。

 ガリガリに痩せ細って、頬骨が浮き出て、肌は土色。骸骨に皮が一枚張り付いてるみたい。

 工場で倒れるまで働いて、美羽とティアラちゃんのためにたくさんお仕事して、ご飯もろくに食べずにカップラーメンの汁だけすすって。

 ついに体が動かなくなっちゃったみたい。

 電池切れだね。

 美羽はティアラちゃんを抱いたまま、マモルくんを見下ろす。

 かわいそうなマモルくん。

 絞りかすみたいになっちゃった。

 でも、その瞳だけは、まだ美羽を見て笑おうとしてる。すごい執念だね。

「……ごめんね……もっと、働かなきゃ……美羽ちゃんに、プリン……」

「ううん、いいよマモルくん。もう十分だよ。ゆっくり寝てていいよ」

 美羽はニッコリと微笑む。

 聖母マリア様みたいな、慈愛に満ちた笑顔で。

 だって、マモルくんのおかげで、美羽は宝物を手に入れたんだもん。マモルくんは透明なお水だったけど、そのお水があったから、美羽のお腹の中でティアラちゃんっていう綺麗なお花が咲いたんだね。

 お水はもう空っぽになっちゃったけど、お花はこれから満開になるから大丈夫。

 これからは、ティアラちゃんと二人で生きていくね。


 美羽はティアラちゃんを抱っこ紐に入れて、外に出た。

 久しぶりの外の世界。

 マモルくんは起き上がれないみたいだから、お散歩に行ってくるね。

 

 商店街を歩く。

 夏の日差しがアスファルトを焼いて、陽炎がゆらゆら揺れてる。

 蝉時雨がうるさいくらい。

 ティアラちゃんは、美羽の胸元でスヤスヤ眠ってる。

 柔らかい。温かい。

 世界で一番高価な宝石箱を抱えてる気分。

 ふと、視界の端に見覚えのある影が映った。

 お弁当屋さんの店先。大声で呼び込みをしている店員さん。タオルを頭に巻いて、汗だくになって、お弁当を並べている男の人。


 ──カズヤくんだ。


 わあ、久しぶり!

 でも、なんか雰囲気が違う。昔みたいなキラキラ感はない。肌は日焼けして真っ黒だし、腕には筋肉がついてて、なんだかゴツゴツしてる。

 その隣に、エプロンをつけた女の人が出てきた。

 サキちゃんだ。

 サキちゃん、カズヤくんの肩をバシッと叩いて、何か怒ってる。「ちょっと、並べ方が雑!」とか言ってるのかな?

 でも、顔は笑ってる。

 カズヤくんも、「わりぃわりぃ」って言いながら、白い歯を見せて笑ってる。

 お昼休みみたい。二人は、売れ残りのお弁当を分け合って、立ったまま急いで食べてる。額の汗を拭い合って、お茶を回し飲みして。

 美羽は、電柱の影からそれをじっと見た。

 そして、思った。


 ──うわあ、硬そう。


 あんなの、今の美羽には噛み切れないや。

 昔は柔らかい霜降り肉だったのに、今はスジだらけの赤身肉になっちゃってる。

 汗と泥と、労働の匂い。

 二人で支え合って、地面を踏みしめて生きてる感じ。

 噛めば噛むほど味が出るのかもしれないけど、美羽はもっと、口に入れた瞬間にトロッて溶けるような、甘くてふわふわなムースが食べたいの。

 現実でコーティングされたあの二人は、もう美羽の食べ物じゃない。

 なんか、楽しそうだね。

 でも、美羽はあっちには行けないや。

 だって、二人の間に流れてる空気は、美羽が入る隙間なんて1ミリもないくらい、ガッチガチに固まってるんだもん。

 コンクリートブロックみたい。

 歯が折れちゃいそう。


 そっか、賞味期限切れじゃなくて、メニューを変えたんだね。

 あのお店は、もうお子様ランチなんて置いてないんだ。

 バイバイ、カズヤくん。バイバイ、サキちゃん。

 二人はそこで、硬いパンを齧って幸せになってね。

 美羽は、もっと柔らかくて、甘くて、とろけるようなご馳走を持ってるから。


 美羽は視線を落とす。

 胸の中のティアラちゃん。プニプニのほっぺた。ミルクの匂い。

 この子は柔らかいよ。マシュマロみたいだよ。

 これから言葉を覚えて、美羽のことを「ママ」って呼んで、一生美羽のそばを離れないでいてくれる。学校なんて行かなくていいよ。お友達なんていらないよ。ママと二人で、お城の中でずっと遊んで暮らそうね。ママが食べた分だけ、ティアラちゃんもママを食べていいからね。


 ──グゥゥゥゥ。


 美羽のお腹が鳴った。

 でも、もう辛くない。

 腕の中に、最高のご馳走があるから。

「あーあ、幸せ」

 美羽は心底そう思った。

 お腹がいっぱいだ。

 胸の穴が、初めて完全に塞がった気がする。

 パパ、ママ、見てる?

 美羽、ついに見つけたよ。

 誰も入ってこれない、誰も邪魔できない、完璧な食卓。

 世界中の男の人を味見してきたけど、結局、一番美味しいのは美羽自身だったんだね。


 美羽はカズヤくんたちのいない方角へ、くるりと背を向けた。

 そして、夏空に向かって、世界中に聞こえるように宣言した。

 満面の、とびっきりの、無垢な笑顔で。


「ぱぱ、まま、せかいのぜんぶ、ごちそうさま!」


 美羽の暴食の旅は、ここでおしまい。

 これからは、あの小さな団地の部屋で、永遠のパーティーが始まるんだ。

 

 ねえ、おかわりは自由だよね?


 だって美羽は、ママなんだから。


(暴食の章 ・完)

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