第二章12『友だち』
『人喰い山』は見かけ上は単なる大山脈だが、それはあくまで見かけ上の話。
具体的に、一般的な山脈と違うところを挙げるならば、まず美しい氷の結晶が見られれるところだろうか。
それは決して溶けない氷として知られ、希少な装備の材料にもなり得る。
よって、人喰い山に入る物好きは、天然資源を求める密猟者などその類が多い。
もちろん、命までは取られないがその領域のヌシに半殺しにされるまでがお決まりだ。
また、『勇者』と自称するゲーム世界の人間たちも、時々この山の中に入る。
よくある戦士、魔法使い、僧侶、そして『勇者』。なんの変哲もないパーティーだ。
本来勇者という身分なんて存在しないのだが、それはまあいい。
彼らはやれ魔王を倒したなどと話し、自分勝手な正義心で、悪評だらけの『人喰いリヴァイアサン』を倒しにとこの山に入るのだ。
実際のところ、人喰いの事実など確認されておらず、ただ噂に尾鰭がついただけの怪物なのだが、事実を確認することなく成敗に向かう。
末路は、先程と同じだ。
もちろん、本当に清い心を持つ者も少なくないが、少なくとも人喰いリヴァイアサン…否、『嫉妬の大罪』は見たことがない。
人喰い山に入ろうものなど、そうした悪人か愚者しか居ないものだ。
「そのはず、なの」
「その区分だとオレは愚者のカテゴリーじゃないかな」
信じられないものを見るかのように、凝視してくる目の前の少女を前にディノスは笑う。
本来ならば、拒んでいたはずだった。もし目の前の男が『英雄』であれば、冷やかしだと断じて切り刻んでいただろう。
しかし、そうしなかったのには理由がある。——彼の目が、濁っていたからだ。それは、彼が悪意を持っているというわけではない。
笑っているように見えて、正気なように見えて、彼の心は、既にひび割れてしまっている。もはや、生き物の形を保ってるだけの屍だ。
彼は、自分の鏡写しだ。だからこそ、なぜ自分自身のことで手一杯にならず、何故他者を、ましてや自分を助けようとするのか。とっとと死ねば楽になれるだろうに。その理由はわからないが、言葉の一つ一つに引き込まれるような重みがあった。
最後まで聞いて、それが戯言だと判断したら切り裂いてやる。
青髪を左右二つに結んだ、黄色の薔薇の髪飾りをつけた少女は、そう判断した。
彼女は、まるで人に触れ合えなくなった猫のように、警戒心を少しも隠さない。
そんな彼女にディノスはものともせず「まあ座れよ」と近くの地べたに腰かける。
「何が目的? 理解できないなの。だって、私は……」
「人喰いリヴァイアサン、その使い魔。合ってる?」
勢いのままに受け取ってしまった、白いふわふわの菓子を持ったままの少女は、それを聞いて唖然とした。
彼はそれを知ってなおここに来た。理解ができない。どこまでわかっているのか。心中でもしにきたのか。
「言っとくけど、オレは心中しにきたわけじゃないぞ?」
「じゃあ、私を殺しに?」
「それ、オレが返り討ちにあってピーピー泣くことになるから違うな。は、早まるなよ?」
「情けないなの」
「言ってろ」
殺されるかもしれない可能性を考慮せずに、彼はここまで来たのだ。実にお馬鹿さんとしか言えず、少し笑ってしまったが……
「いや、それは間違いだ。お前じゃ誰も殺せやしねぇよ」
「———? その根拠はどこにもない。別に、今からお前の喉元を掻っ切ってやっても」
目の前の男は、それだけはきっぱりと否定してきた。正直なところ、考えなしの発言にしか見えないが。
少女もその男の隣に座り、彼の返答を待つが……
「そもそもお前、悪人じゃないし」
「——は?」
「噂が勝手に飛躍してるのかなーとは思ってたが、実物見て確信した。もっとも、お前の上司はまだわからないがな」
「なにを、言って…」
「目見りゃそれくらいわかるさ」
「……そうなの?」
「うん」
差し出された綿菓子を口につけてみる。
名前も、見た目も知っていたが、いざ食べるのは彼女にとってこれが初めてだ。
ふんわりと口にまとわりつく綿菓子は、ほんのり甘く、今まで食したものの中で一番舌が歓喜している。
目を輝かせて綿菓子を食べる彼女を見たディノスは、「オレのも食うか」と差し出してきた。
断ろうとしたが、でも誘惑に負けてそれを受け取る。
「そういえば、名前聞いてなかったな。オレはディノス、お前はどう」
「私はとくに、名前なんかないなの。嫉妬の大罪とでも、そう呼べばいい」
「嫉妬で区切っても、大罪と呼んでも呼び方最悪じゃねぇか」
「好きにすればいいなの」
嫉妬の大罪、そう自称する彼女は、もう何もかも諦めた。
結局のところ、今まで会った者たちは全員が全員彼女を蔑み、貶し、裏切り、罵ってきた。
彼女はメタ認知をしていたゲームのキャラクターだった。ただ、二次元も三次元もどちらも、彼女を玩具として弄んでいた。
ゲーム世界から脱却したとき、大罪としてもう生きたくなかったが、それ以外の生き方がわからない。その結果が『人喰いリヴァイアサン』だ。
だから、彼女はもう大罪として生きてくしかないのだ。そう思いを馳せてる時、隣の彼から声がかかった。
「なあ、ちゃんとした名前、リヴァとかどうよ」
「———ふざけてるなの?」
「オレはいつだって真面目なつもりなんだがな……」
この目の前の男も、彼らとは変わらないのだろうか。
できれば、そうであって欲しくないなとは、彼女も思った。「リヴァ…リヴァ…うん」と彼女は口の中でその言葉を繰り返すと
「まあ、いい名前なんじゃないなの。気に入ったから許してあげるなの」
彼女…否、"リヴァ"もその名前が気に入らなかったというわけではない。安直でこそあるが、目の前のやけに非常識な男、ディノスが唸りながら考えてくれたのだ。それを無下にしたくはない。
嫉妬の大罪、改めてリヴァが綿菓子を強請るかのようにディノスをちらっと見たが、流石にもうないと首を横に振られてしまった。
「しゃーねぇな。買ってきてやろうか」
「いや、貴方にはここにいてほしい。あ、あと訂正しなきゃいけないことがあるなの」
「訂正?」
「使い魔とリヴァイアサンの二人がいると考えられてるけど、それは違うなの。使い魔なんていないなの」
「ってことは……お前は本当はドラゴンなのか」
「そうなの、ドラゴンになれちゃうなの。というか、そっちが本来の姿なの」
驚愕するディノスに、リヴァはふふんと笑みを浮かべる。ずっと余裕綽々な顔をしてたから、いい気味である。
「まあ、使い魔がこんな強さしてるわけねぇよな」
「でも本当に、なんでこんなところに来たなの。本当にさっきのが理由なの?」
「まあそうなんだが……もう一つあって」
ディノスはリヴァからの質問に返答するのを少し言い淀んでいたが、意を決したかのように口を開く。
「友達、なれるんじゃねぇかなって」
「友達、なの?」
「お前も割と辛い環境に立たされてて、辛い思いしてる。そして、こう見えてオレも割と精神的に来てる。意外だろ」
「いや全然? 放置すりゃ勝手に色々背負いすぎで死ぬのは目に見えてたなの」
それを聞いたディノスは、「そんなわかりやすかったか…」と何やら少しショックを受けているようだが、同じ精神的に良くない状態のリヴァとディノスでも決定的に違うところがある。
リヴァは、全てを諦めた。モノクロのまま閉じた世界で全てを終えようとしている。
ただ目の前のディノスはどうだろう。明らかに彼が躁鬱状態に陥ってるというのはリヴァにもはっきりわかった。もちろん、リヴァには躁すらないのだが。
しかし、彼はそんな中必死に生き足掻いている。もちろん、抱いている苦しみはディノスとリヴァで違う。
ただし、ディノスの心は何度も何度も折れたのだろうが、それでも諦めはしていないのだ。
かっこいいな、とリヴァも思った。もちろん彼は英雄には程遠い。ただ、人間性がある方がリヴァの好みだ。
放置すれば、無惨な形に成り果てるだろうということを除き。
「とにかく、同じ苦しみを分かち合える仲間が欲しかった。それだけなのかもしれん。自分でも、よくわからなくなってきた」
「はぁ、完全に傷の舐め合いなの。これじゃどっちが………まあいいなの。友達、なってあげてもいいなの。ただし」
「ただし?」
聞き返すディノスに対し、リヴァは悪女らしく笑うと、
「ただし、そのギターで色々演奏してもらうなの。それが条件なの」
そうディノスに告げたのだった。




