第二章7『引導』
「すまなかった。オレは、先程あの屋敷に越してきたばかりのディノスって者だ。いい屋敷だってのに誰も寄りつかねぇから、疑問に思って辺りを彷徨いてた」
斧を手に、警戒心を顕にするヘラクレスに対し、ディノスはそう言葉を返した。
おそらくは冗談の通じない手合いであり、そしてこの屋敷に人が寄りつかない『隣人トラブル』の原因なのだろう。
ディノスにそう伝えられたヘラクレスは「そうか」と続けると、
「ディノスと言ったか。我輩の考えることにすぎず、あくまで我輩の判断だが、いささか早計であったと考える。君を我輩の城を狙う不審者と考えていた。今後はこのようなことがないよう自制し、また君に謝罪しよう。そして君の言う原因は我輩にあると推測し、我輩のことを指すと考える」
「……意外と話はできるんだな?」
戦闘力は確かだが、様子などを見るに彼はすでに狂ってしまっているのだ、とディノスは推測している。
最悪の場合彼と戦闘になることも視野に入れていたが、無駄な警戒だったのかもしれない。
それはそうと様子自体はおかしいから、まだ安心はできないが…
「当然だ。我輩は飢えた理性のない獣ではなく、我輩は血を求める狂った獣でもない。話を求められたならばそれに応えるのが我輩というものであり、それは我輩に限らない常識であると考える。違うか?」
「正論だな…」
完全に狂ったというわけではなく、受け答えくらいなら十分可能であるようだ。
気こそ狂っているが、リーダーであるフェイオンよりも高い実力を誇ることはまず間違いない。
だからこそ、万が一彼の気に触れたらと考えると非常に心臓に悪い。
「立ち話も良くない。君には我輩の城を見る権利があり、そして我輩の城を見るほどの価値がある。至極当然の話だが、最低限のもてなしはするつもりである。返答を願いたい」
「——ふむ」
彼の気が狂っているか狂っていないかに関わらず、ご近所さんとは仲良くしておいた方がいいだろう。
……単純に、この巨漢が普段どのような生活をしているのか、そしてあの石の祠のような城は何か、という好奇心もあるのだが。
「是非案内してくれ。ただ、オレにも予定があるから少しだけだぞ」
「了承した。ならば我輩と共についてくるがいい。ただし、我輩の仕える城にくれぐれも不敬はないようにとだけは、伝えておかなければならず、また言っておかなくてはならないことだ」
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「粗茶であり、ただの茶だ。口に合わなければ遠慮なく言うがいい。代わりの飲料水を用意し、準備しよう」
「いや、美味いぞ。めっちゃ美味い。なんだこりゃ」
例の荒地にへと案内されたディノスは、椅子代わりとでも言うかのような丸い巨石に座っていた。
さて、ヘラクレスがボロボロのマグカップに注いだお茶は、お茶なはずなのにとんでもなく美味でディノスも驚愕する。
この世界に来てからはもちろんのこと、故郷でもここまでのものは中々飲めなかった。
そう伝えられたヘラクレスは「そうか」と、その言葉で締めた。
「結局、何故お前はここで野宿を?」
「その質問は愚問にすぎず、聞くまでもないことだと我輩は考える。——我輩は、この城を守らなければならず、防護しなければならない」
「城…ねぇ」
その返答から考えるに、ヘラクレスはかつてどこかの国に仕える騎士だったのかもしれない。
ただ、何らかの事情があって精神を狂わせ、そして今の妄執に至る。
そんな感じのところだろうか。
「うげー、なんか身内にもそんな感じのやつがいた気がする」
ディノスの頭に浮かんだのは獣に欲情する変態槍使いである。
まあここでは考えても仕方のないことであるため、詳しく話すことはしないが。
「そういえばお前の仲間はいないのか。その、ハンターとしての仲間じゃなく、騎士としての方で」
「左腕はこの地で長い眠りにつき、右腕は闇に堕ちた。他は既に息絶えている。——仲間でなく、唾棄すべく宿敵ならいるが」
「——宿敵?」
他にも気になる箇所はある。
『この地』で眠りについたと言っているため、そもそもゲーム世界の話ではなく、まさしくこの世界での話をしているのかもしれない。
ただ、彼にはゲーム世界とこの世界での区別がついていない可能性も高いため……うーむ、結局あまり当てにはできるものでもないか。
「我輩の宿敵。唾棄すべき怪物であり、そして今度こそは、必ずやあの首を落とさねばならん。ソレが『異物』ネオタルスだ」
ヘラクレスは忌々しそうに『異物』という異名を携えた怪物の名前を出した。
彼はそのまま続け、
「奴は忘れもしない三百年前のあの日、汚濁と悪意に満ちた怪物どもを引き連れ、世界を混乱に招いた。極めて遺憾にも、だ。挙げ句の果てには我輩を欺き、騙し、自分自身を封印することで不本意にも、事実上逃げ仰せたのだ。奴が再びいつ現れ、出現するかは我輩にも定かではなく不明瞭であるが」
「……なるほど」
真実がどこまで定かは確かめられないが、その長い年月がヘラクレスを狂わせたのだろうか。
ネオタルス、と呼ばれる怪物も気になるが、それだけの所業をやらかした怪物なら古文書にも載っているかもしれない。
「そういえば、三百年前の話をしているってことは、お前って何歳なんだ?」
「我輩にとって年齢など些細な問題であり、特段気にしたことはないものの、既に三百四五年の春秋は迎えており、辿ったはずだ」
「マジか…お前そんな歳なんだ」
想像以上に長い年月を、目の前の巨漢が生きていたことに、ディノスは驚愕した。
まあゲームによってはそれだけ長く生きられる個体も出てくるとはいえども。
ならば、今のヘラクレスは狂っているというよりボケていると言った方が正しいのだろうか。
頭を掻きながらそう考えるディノス。
ただ、これ以上ここにいてはそろそろアルマを心配させてしまうため、帰り支度を始めなければならない。
「本当はもっと話したいんだが、今日越してきたばかりでさ。一回帰っていいか?」
「ふむ、そろそろお帰りか。であれば、我輩から渡しておかなくてはならないものがあり、受け取ってほしいものがある」
「———?」
かれこれ十分も居座ってしまったたため、できるだけ早く屋敷に戻らなければならない。
まあ、屋敷自体は目と鼻の先にあるのだが。
ともかくディノスは早く屋敷に戻りたかったのだが、ヘラクレスはそんな彼を少し引き留め、奥からとある物を持ってきた。
それは…
「我輩には使い道が既になく、無用の長物と化していたものだが、君には必要であると我輩は推測し、考える」
「こいつは…蓑か?」
ヘラクレスに渡されたもの、それはただの蓑……否、ただの蓑ではない。
神器とまではいかないが、それが強力なゲーム世界の装備であることはわかった。
「その蓑の中に道具を無限に入れられると我輩は記憶し、頭の中に刻んでいたはずだが、実際はどうかね」
「ほ、本当かもしれん」
現実的にあり得ない。不可能だ。不可解だ。
そんな本来は物理的に不可能なことでも、ゲーム世界の存在というものは容易く完遂してしまう。
ディノスはこの蓑を羽織ってみたが、この蓑も常人にとっては理解できない理不尽さを誇ることは一目瞭然だった。
「アイテムボックスだの、空間収納だのとその類か」
故郷でもそういうのは聞き覚えがあるが、中々高価でディノスには手が出せなかった覚えがある。
それと同じ類ならば、かなり優れている物を渡されたことになるが、性能面だけでなく、
「まあ、まだ違和感こそあるけど、やっぱりこの感覚がないと落ちつかねぇな」
そう、ずっとマントを羽織っていたせいで何かを羽織っていないと、少なくとも今の不安定なディノスでは落ち着けないのである。
だから、その点でも感謝しなければならない。
「ありがとう。恩に着る」
「我輩の戯言に過ぎず、この言葉に意味があるわけでもないが、あくまで不用品を君に押し付けただけに過ぎない。当てのない感謝は少なくとも我輩には不用であり、気にする必要もない」
まだまだ発展途上だが、良好な近所付き合いを築けそうではある。
そう満足気にディノスが元の屋敷に戻ろうと振り返った矢先、「ディノスさ〜ん!」という聞き覚えのある声がした。
「もう!どこ行ってたんすかディノスさん!」
「悪かった悪かった。この人と話しててな」
「あれ、この人誰っすか?」
アルマがやっと見つけた、とばかりにここまで走ってきた。
まあ勝手に外に飛び出してきたディノスの方が悪いのだが……
もしかしたらヘラクレスが危険人物かもしれなかったため、連れて行きたくなかったのだ。
「この人はヘラクレスさんだ。少し怖いし変人かもしれねぇけど、いい人、だ……?」
「へー! あ、僕はアルマっす!よろしくっすよ!」
アルマについ先ほど知り合ったヘラクレスを紹介するディノスだが、彼はとある異変に気づく。
明らかに、アルマを見てからのヘラクレスの顔が強張っているのだ。
「———禍盾アルガゼルマ、か?」
「いやいや、違うっすよ!僕はアルマっす……あ、あれ?」
ヘラクレスは、アルマを見ている。
見られている当の本人は気づいていなかったが、ようやく気づいた。
彼が漂わせる雰囲気が、明らかに変わったということに、だ。
「そうだ、そうなのだ、禍盾アルガゼルマ。我輩らは貴様を救えなかった。異物どもにのうのうと騙された我輩がいかに無能で、いかに馬鹿かはとくと味わった」
「あ、あの……?」
「遺憾にも、残念にも、無念にも、もはや貴様がいる限り、世界に安寧は訪れないのだ。貴様は、何をし、何をするため再び現れた!!右腕への冒涜、許しておけぬ!!」
「えっと…」
「———せめて最期は、我輩が引導を渡してやる」
彼がそう言い切った瞬間。
悔恨を、殺意を、憤怒を、悲哀を交ぜたヘラクレスの踏み切りが、大いに爆ぜたのだった。




