第二章1『全てが真っ白』
———?
どれくらい時間が経ったのかはわからない。そこは、意識だけの空間だった。
魂のみが剥き出しであり、肉体が何一つ存在しない。手足も存在せず、"歩く"という行為が禁止されている。
故に、意識をうねらせ"泳ぐ"ことで、この研ぎ澄まされた異空間を進む。
…厳密には、"泳ぐ"という表現も適切ではないが、そこまで指摘していると埒があかないため、ここでは割愛する。
———?
初めは真っ白な空間で、『デバッグルーム』と似たような雰囲気だった。
しかし進むにつれて、様子がおかしくなっていく。
最初におかしい、と思ったのは、純白で清楚なこの空間に、一滴の血が染み付いていたところからだろうか。
それだけならまだ流せていたが、その血が染み付いていた地点から段々と変貌していく。
鉄臭い匂いが充満していくのがわかる。真っ白な壁は気付けば灰色に、そして気付けばドス黒い墨色に。
装飾のつもりだろうか、紅くておぞましい何かで空間がコーディネートされており、設計者の趣味の悪さには鳥肌を感じられずにはいられない。
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『グォォォォァァァァァァァァァァァ!!!!!!!』
湧き上がるはずの嫌悪感がなぜかなくなってきたことに疑念の意に駆られていた矢先、そこに一匹の龍が現れた。
紅く、目は漆黒で覆い尽くされ、ボロボロの歪な翼を身に宿した人型の龍だ。
体長は3mほどで龍としては小型だが、溢れる力から見るに、世界全土の命を根絶やしにすることなど容易いことだろう。
龍は、こちらには気づいていないようだ。あるいは、自分が見てるだけの幻なのかもしれないが。
しかし、彼の憎しみは本物である。龍は、あらゆる命に吐き気を催すほど憎悪し、吠える。
真なる安寧を得るために、恐怖と憎しみと怒りで、その力を振るう。
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進めば進むほど、全貌が明らかとなる。
ハサミを持ち、せせら笑う破壊衝動に駆られた男。その圧倒的な巨躯で暴虐の限りを尽しかねん巨竜。幾度も世界を滅ぼした、名もなき災いの大悪魔。
泳ぎ進めるたびに厄災が現れる。しかし、不快感どころか高揚感が湧いてきたことに自分でも驚きを隠せない。そして、最後に彼は現れたのだ。
『———』
赤く変色し、冒涜した棘が生えつつも、その二対の盾だけは離さず、目元が漆黒で覆われた、相棒。
高まっていた高揚感が最高潮に達する。まるで、ここが、自分の本来在るべきだったはずの場所がここだったかのように、楽園かのように、感じられ…
———だが、『悪夢』はそれを許さない。
本来の相棒に触れようとした刹那、突如体が引き離される感覚に襲われ、どんどんどんどんどんどんどんどん相棒の姿が遠ざかっていく。
ないはずの手を、それでも伸ばして、少しでも、少しでも、
「——ょぅだい。兄弟!!」
「うぉぁ!??」
意識が呼び起こされ、聞こえ慣れた男の声に鼓膜が機敏に反応し、その反動で声を漏らしてしまった。
ここはどこかと辺りを見回してみれば、先ほどの不自然な真っ白な空間とは違い、白を基調としつつも清潔感のある一室。
「ラクール、か」
「おう、みんな大好きラクールさんよ。本当はまだやることあったんだが、諸々聞いて一回帰ってきた」
目の前には鎧を被った同郷の男が佇んでおり、そんな茶化した発言をしてきた。
さて、今ディノスはどこに寝かされてたのかというと…
「診療院、か?」
「兄弟の知ってるやつとはちょっと違うかもしんねーけど。大体それで合ってるよ」
故郷の診療院よりかは幾許か様子が異なるが、まあ似たようなもの。
しかし全身がまだズキズキと痛んでおり、しばらくは絶対安静だろう。
ため息をつくディノスに、ラクールが声をかける。
「兄弟。大丈夫かよ?」
「あぁ。体はまだズキズキするけど、多分大丈夫だと思う」
もちろん、意識のない間に行われたであろう治療の成果もあるだろうが、あれだけ滅多打ちにされた割には、意外と損傷も少ない気もする。
「ああいやまあ、そういうわけじゃないんだが…そうか、体がまだ痛むか」
自分が気づいてないだけで他にも異常があるのではないか、と両手をまじまじと見るディノス。
現状を把握していくにつれ、彼はハッとし詰め寄る。彼は、相棒はどうなったのだ。
「そうだ、アルマは、アルマはどうなったよ!!」
「落ち着けよ、アルマくんは大丈夫だ。というか、兄弟も知ってるだろ? あの子の硬さは筋金入りだって」
ラクール曰く、アルマは「軽傷」とのことだ。むしろ、自分自身の方を心配しろ…とのことだ。
何せ、今回ディノスが負ったのは肉体の傷だけじゃない。
心の消耗も、相当に、激しいのだ。
「マントは…ダメだったか」
「すまねぇ」
「お前が謝ることじゃないだろ。全部あの怪物が悪い」
デバッグルームに安置されていたはずのナイトメアが突如現世に顕現し、襲ってきたことなどまだまだ分からないことは多い。
だが相棒の無事、それだけでも分かったのは大収穫である。しかしディノスにとって大切なものは相棒だけではない。一番は相棒だが。
例えば、いつも羽織っているはずなのに、今日ばかりは見当たらない紅のマントもそれに値する。
「まあ、アルマが無事ならいい、いいんだ」
一番大切なものは守れた。二兎を追って二兎逃すことなどしたくない。
そう考えると全然大したことではない。
…否、全然そんなことはない。痩せ我慢だ。本当は泣きたいくらい悲しい。弾け飛びそうだ。
しかし、失ったものに目を向けてこれから取り戻せるものまで取り戻せなくなったらどうする。
「そう、そうだよ!アルマの記憶がないんだ、どうすれば…」
「そのことの話なんだけどな、兄弟。俺たちの境遇は覚えてるな?」
「あぁ、オレたちはモンスターパートナーってゲームから来たが、確か時系列が違う。ラクールは十章でオレは一章だったか…待て、それだよ。その話もしてもらうぞ」
ここは現実世界で、そこにゲームの中の存在が湧いてきた。ここまではいい。
…個人的には自分の世界が作りものの世界だと認めたくないが。
さて、それならば元となる"ゲーム"が記録に残っていなくてはおかしな話だ。
———それがなかった。
『モンスターパートナー』なんてゲーム、存在しなかった。ならば、何故ラクールは自分たちの元のゲームが『モンスターパートナー』などと虚言を話したのか。
「さあ、きっちり話してもらうぞ」
「待て待て、待てよ兄弟。一個一個順に行くぜ?」
ラクールは切羽詰まったディノスの勢いに押され気味だが、一度ゴホンと咳払いし、冷静にディノスが抱える疑問を解消していく。
「結論から言う。おそらくだが…アルマくんも、俺や兄弟と同じく来た時系列が違うのさ」
「おい、それ、それって、まさか…」
単なる記憶喪失、それだけならいくらでも治せる可能性はあった。
しかし短い時間ながら、アルマと接していて違和感があった。それから目を逸らしていたが、ついに直視せざるを得なくなってしまった。
記憶をなくして脳が忘れても、体は忘れない。しかし、彼の体も全てを忘れていた。
肉体も以前と比べて引き締まっていなかった気がする。つまり、つまりだ。
「あのアルマくんは、兄弟が知ってるアルマじゃない。多分、兄弟と出会う前の時系列から来たアルマだ。思い出すも何も、あれが正常なんだ」
———ひび割れた心が、さらにひび割れる音がした。




