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19段目
その後、2~3日おきに、村人が生きた獲物を差し入れてくれた。鶏以外にも、ウサギ、子豚、大きなトカゲなどが、胃袋を満たし我が命をつないでくれた。どの獲物も、足を縛られた状態で麻袋に入っていた。そのため暴れることはなく、とどめを刺しさえすればよかった。
最初の鶏を苦しませてしまった反省から、ためらうことなく生命を奪い、素早くさばき、食した。
塩さえ付けない肉は、食事を楽しむ行為とはほど遠く、ただ己が生き延びるために、やむを得ず、咀嚼していると言うべき慎ましさがあった。こうした味気のない食事なら、バカげた大食いをする気にはならないだろう。
人類はより美味しく食事をしようと、調理の方法や調味料を、あれこれと工夫し過ぎたのかもしれない。味付けという衣が邪魔をして、いつしか、その中身の大切な生命の存在を軽んじて、疎かにしてきたのだろう。さらに残酷な屠殺の作業は、金を支払うことで他人任せにしてきた。
その結果、無駄に生産し、殺し、必要以上に食べ、あるいは食べ残し、捨ててきたのではないか。
そんな哲学的な自己反省にばかりふける日々が2週間を過ぎた頃、子猿を差し入れられた。




