知識マウント
ここは帝都の下町を通る何の変哲もない道。聖女のトキがその道を歩いていると、ちょうど向こうから歩いてきた知り合いの少年に偶然出くわした。
「奇遇だね、キッズじゃないか。当然この辺もおねえさんの縄張りだよ。なんたっておねえさんは聖女だからねー。帝都なんて箱庭みたいなものさハハッ」
トキの圧倒的すぎる聖女オーラに、少年は思わずペコペコお辞儀する。と、その直後だった。少年の背負っていたランドセルの中身が、豪快にコンクリートの上にぶちまけられてしまうのだった。きちんと蓋がされていなかったか、もしくは最初から蓋をするのを忘れていたか。とにかく少年は大慌てで散らばった教科書やノートを拾い集める。
「おやおや、大変なことになってるねー。ここはおねえさんも手伝ってあげようじゃないか……へぇ、計算ドリル。懐かしいねぇ、この縦長の形状は今も昔も変わらずか。どれどれ中身は……うひゃー簡単! 簡単すぎでしょこれェ!」
手伝ってあげると言いつつ、トキは計算ドリルのページをめくるのに熱中していた。そしてどのページを見ようとも「簡単」だの「楽勝」だのと、図書室で勉強している低学年に絡む嫌な上級生のようなマウントを取る方向にシフトしてしまっていた。
「おっとごめん、ついついノスタルジーに浸ってしまったよ。はいこれ計算ドリル。それはそうとキミ達の世代って円周率3で計算してたりする? あ、普通に3.14……じゃあさじゃあさ、3.14から先の桁は言える? 言えないでしょー……あ、普通に言えるんだ。ああいいよいいよ、そんなに言われてもおねえさん分からないから……」
少年の意外にも博識だった。どうして自分だって語呂のいい3.1415くらいまでしか言えないのに、勝ち目のない勝負を吹っ掛けてしまったのか。慢心、それ以外の言葉が見つからない。昔はもう少し先の桁も言えた気がするが、時の流れは時として残酷なのである。大人になるという事は、何かを失うことと同義なのだ。
しかし大人のトキは、この程度の敗戦で引き下がる選択肢はなかった。
話題。何か別の話題。わざわざ相手の土俵で戦う義理はない。
ふと視界の隅に入ったのは、頑強でありつつも滑らかな白い曲線。
――これしかない!
「ふふふキッズぅ~。これ、なんて言うか知ってる?」
そう言ってトキが指さしたのは、どこの道路にでもあるガードレールの端。
「うん、ガードレールなのはそうなんだけど、おねえさんが聞きたいのはここのホラ、端っこのクルンってなってる部分。そうそう。ここのね。ここにもちゃんとした名前があるんだよ。……へぇ、分からないんだァ?」
なぜか得意げになる聖女のトキ。当然、勝負を吹っ掛けた以上は答えを知っていた。
「ここの名前はねぇ、《袖ビーム》って言うんだよ。……あ、もしかして疑ってる? 疑ってるでしょ。そしたら袖ビームで検索してみな、ちゃんと出てくるから。出てきたらちゃんとおねえさんに《ごめんなさい》しようねー?」
程なくして少年は敗北を認め、トキにペコペコと頭を下げる。と、その時だった。少年の背負っていたランドセルの中身が、またしても豪快にコンクリートの上にぶちまけられてしまう。
トキは少年と一緒に散らばった教科書やノートを集める傍ら、実に満足げにこう言い放つのだった。
「やれやれ、君はおっちょこちょいだねー。今度からはちゃんと錠前に《ベロ》を差し込んでおくんだよ、いいね?」




