オセロ
ここは帝都の下町にある老舗駄菓子屋。客はトキの他にはおらず、そのトキも奥の座席で腕を組みながら8×8の盤面を見つめている。向かい側の席はもちろん空席だ。それでもしばらく待ち続けていると、店の中に入ってくるリリカの姿が視界に映った。
「今日も来たねリリカちゃん。順調に染まってきてるようで何より何より」
「か、勘違いしないでください。オフの時間がトキ様と偶々被っただけです」
とは言いつつも、リリカの手の中には、買ったばかりの甘納豆の小袋が収められていた。順調に染まってきているのは間違いないようだ。
「ところでリリカちゃん、これが何だか知ってるよね。……え、リバーシ? リリカちゃんさぁ、本当にそんな洒落臭い言い方してた? 周りに合わせて無理してない? ちゃんと自分の中の軸を持ちなよ……うん、そうだねオセロだね」
トキは古式ゆかしい正統派の聖女である。ドーナツはドーナッツだし、スパゲティもスパゲッティ。決してパスタではない。久しぶりに行った近所の夏祭りがタピオカ屋台だのビアガーデンだのをやっていた時は名状しがたいモヤモヤを覚えた。もうあの頃の空気は吸えないのかと絶望しかけていたが、オセロをオセロと呼ぶ若者が目の前にいるならこの先もきっと大丈夫だろう。
「いやーリリカちゃんが来てくれて助かったよ。相手がいなくて暇してたんだ。先攻は譲るから相手になってくれない?」
「分かりました。ですがリリカは後攻でいいです」
「ふぅん、いい度胸だね。腕に自信があるのか知らないけど、先攻譲ったこと後悔させてあげるよ」
そんなわけで対局開始。先攻のトキは序盤から烈火のごとく攻め立て、四隅の一角をさっそく陥落させる。一方で後攻のリリカは防御で手一杯の苦しい展開。
その間にもトキは攻め続け、盤面はほぼ黒一色に。四隅の角も、計三つが黒陣地となっていた。
「こりゃもう決まりかな? 苦しければサレンダーしてもいいんだよ……っと、最後の角はリリカちゃんに取られちゃったか。まあいいや、一つくらいあげるよ。聖女の慈悲って奴だ」
トキはさすがの余裕だ。まさに聖女の貫禄というものをリリカに見せつけている。しかしリリカの方もまだ勝負をあきらめてはいなかった。それどころか不敵な笑みまで浮かべ始めている。
「私の番だね。えーっと……おや、打てる場所がない。仕方ない、ここはパスだ」
終盤に来て初めてのパス。だがこれは仕方のないことだ。陣地が広がれば広がるほど、打てる場所が少なくなるのは自明の理である。むしろ一回くらいパスしてあげるのが聖女の優しさ、ひいては人生の先輩の優しさというものだろう。
「あれ? また打つ場所がない。あれれ? またパス、またパス、パス、パス、パスパスパス……」
さっきまでは余裕たっぷりだったトキも、さすがに眉をひそめざるを得なくなっていた。一面を覆いつくしていた黒の陣地も、気づけば真っ白サラサラに。まさかこの状況になるよう、リリカは上手いこと誘導していた……!?
「どうしました? トキ様のターンですよ」
「ぐぎぎ、パ……いや、この一手に全てを賭ける! くらえ、奥義・天空イナズマ落としッ!」
バチーンッ!!
遥か高く掲げたトキの持つ黒石が、まさに稲妻のごとく盤面に突き刺さる。もちろん派手なのは技名と音だけではない。盤面を叩きつけた衝撃により、辺り一面を覆いつくしていた白石をひっくり返してしまったのだ。
まさに奥義。まさに大逆転。
先ほどまでの真っ白な盤面が、見事に黒一色に染まっている。トキの勝利だ。
「どうしたんだいリリカちゃん、その顔は。あーもしかして、崇高なる聖女の奥義にビビっちゃったのかなぁ~?(ニヤニヤ)」
確かにリリカの顔は引きつっていた。おそらくトキが想像しているものとは別の理由で。
しかしながら強大な力には代償が付き物。
まだ二人とも気付いている様子はないが、天空イナズマ落としによる衝撃で、オセロの盤面には亀裂が走り始めていた。
そして――。
バキッ!
時間差でオセロ盤は真っ二つに割れてしまったのである。この非常事態をもちろん店主のおばちゃんが見逃すはずがない。
「……弁償ね」
オセロ盤は店の貸し出し品だった。
トキは弁明の余地もなく、ただ頷くしかない。
絶対に負けたくないという強い思いから生まれた奥義は、不本意ながら今日をもって封印することとなった。




