夏祭り(1)
「なつまつりに行こうと思ってるんだけど、リリカちゃんも行く?」
「行きます!」
それは、夏も終わりに近づくある昼下がりのことだった。トキの突然の思い付きにより、二人はなつまつりの会場へ赴くことに。リリカが思うに近くで開催されている夏祭りは無かったはずだが、とりあえずトキに付いていくことにした。そうして辿り着いた場所は、どういうわけか近所の釣り堀だった。
「あのートキ様。夏祭りの場所は本当にここで合っているのですか?」
「合ってるよ。ここで夏魔釣りをするのさ」
「今イントネーションおかしくなかったですか?」
「人が夏バテすると食欲を失くすように、魚も夏バテするんだ。生き物だからね。けど、中には夏の暑さなんてお構いなしに、他の魚が食べる予定の分まで食らいつくす特異個体も存在する。そうして相撲部屋のお相撲さんの如く大きくなった釣り堀のヌシは夏の魔物、略して夏魔と呼ばれ……彼奴を釣り上げることを我々釣りボラーの間では“夏魔釣り”と呼んでいる」
「なるほどー。リリカもう帰っていいですか?」
返事を待つことなく、背を向けるリリカ。すると次の瞬間、トキは懐から露骨に何かを落とした。ピラミッド状の袋のような何か。より具体的に言うならば、甘納豆の袋を落とした。
「おっと貴重な食料が」
夏魔釣りは長期戦が予想される。エネルギーの補給手段を事前に用意するのは必須事項と言えよう。
「二人分用意してたんだけど、こりゃ余っちゃうかな」
「夏祭り……いえ、夏魔釣りの会場はここですよね」
「おやおや。帰るとかなんとか言ってなかったっけ」
「なかったことにしてください!」
「私好みの返答だ。直ちに持ち場へ着きたまえ」
「はいっ!」
リリカは元気のいい返事をし、トキの隣に腰を下ろす。夏魔釣りは時間との戦いでもある。さっそく二人は静かに釣り糸を垂らし、並々ならぬ情熱と視線を水面に注ぐ。程なくして、リリカが構える竿に反応が来た。
「おおー釣れました! 結構簡単なんですね!」
「いいかいリリカちゃん。我々が追っているのはそんな雑魚じゃないんだよ。夏魔が釣れなきゃ何も釣れてないのと一緒だからね」
「分かってますよぉー。けど、それにしたってトキ様さっきから一匹も釣れてないですよね」
「喧嘩売ってるのかな? まあいい、今に見てるがいいさ」
トキが構える竿に尋常ならざる反応が来たのは、その矢先の事だった。あまりにも強い引きに、トキは堪らずリリカに協力を仰ぐ。本当は自分一人の力で釣り上げたかったのだが、四の五の言っていられる状況でもなかった。うっすらと見える巨大な魚影の正体は、夏魔で間違いないだろう。二人と夏魔の格闘は長きにわたって続いたが、トキが隙を見計らってリリカの口に甘納豆を放り込むと、こちらも有り得ないほどの力を発揮して一気に巨大な魚影を釣り上げるに至る。
ズシーーーン……。
地面が揺れたかと錯覚するほどに、地面に叩きつけられた獲物は巨大だった。そして、今まで見たことがないほどに奇怪な姿をしている。魚だと言うのに手があり足があり、おまけに顔もどことなく人間に似ている。
「これは驚いた。夏魔の正体は、まさか半魚人だったとは」
「ち、違いますよ! 一から十まで人間です! 早く手当てをしましょう……!」
浪漫もへったくれもない話だが、確かに釣り上げたソレは半魚人ではなく、正真正銘の人間、中年くらいの男だった。しかしながらどうして水の中にいたのか、そんなことを考えている余裕もない。懸命な心臓マッサージを繰り返すこと数分、男は「ごぼっ」と水を吐き出し、ようやく意識を取り戻した。それからしばらく経過し、意識もはっきりしたところでなぜ水の中にいたのか事情を聞き出す。
「……本当にご迷惑をおかけしました。私としても記憶がぼんやりしてまして、水面を眺めていたら急にクラっとしたくらいしか覚えていないんです」
「熱中症なのかな。夏も終わりかけてるとはいえ、まだまだ暑いんだし、油断は禁物だよ」
「ええ、ええ、本当に……肝に銘じておきます!」
男は何度も頭を下げ、釣り堀から去っていく。二人も続いて帰ろうとしたが、その際にトキは意味深なことを言い出した。
「さっきの人、どこかで会った気がするんだよね」
「礼拝に来てる人じゃないですか? あるいは……駄菓子屋のお客さんとか」
「どっちも違う気がする。あー思い出せそうで思い出せない……まあいいや、私達も帰ろう」
「いいんですか?」
「そのうち思い出せるさ」
釣り堀を出た直後のことだった。二人の耳に入ったのは、遠くの方で鳴り響く祭囃子の音色。どうやら夏魔釣りではなく、本物の夏祭りがどこかで開催されているようだった。
「この方角なら神社の方かな」
「行ってみてもいいですか!?」
「もちろん。私も行くよ」
「わーい! リリカ夏祭り大好きです!」
「……なんか、さっきまでと比べて大分テンションが高いじゃないか」
祭囃子に誘われるように、二人は夏祭りの会場である神社に歩いていく。
(何かおかしいな。帝都で行われる夏祭りはもうないはずだけど……)
途中、トキは違和感を感じたが、一層大きくなっていく祭囃子の音色が歩みを止めさせない。程なくして二人は神社に辿り着き、橙色の提灯が灯る祭り会場に心を震わせた。童心に返るとはまさにこのことだろう。そこら中から漂ってくる郷愁と、焼きそばの芳醇で刺激的な匂いの前には、些細な違和感などどうでもいいことだった。




