生前マナー講師の悪霊
ここは帝都の下町にある老舗駄菓子屋……の手前。異変が訪れたのは、いつものように駄菓子屋の中に入った直後だった。
「おばちゃんいつものあるー……って、あれ?」
ありのまま今起こったことを言うならば、駄菓子屋に入ったと思ったらいつの間にか出ていた。入る前の状態に戻ったとでも言うべきか。何を言ってるのか分からないと思うが、トキ自身も何が起きたのか分かっていない。少し時間を置いて入りなおしてみても、やはりいつの間にか店の外に出されていた。
「まただ。どうやら勘違いじゃなさそうだね」
異変は確実に起きている。しかし、聖女トキに引き返すという選択肢はない。むしろ自ら進んで駄菓子屋の中に乗り込んだ。結果は同じく、店の外に出されるというもの。……トキは静かに微笑んだ。
「まったく、噂通りの傍若無人っぷりですね」
するとその時だった。トキの目の前に、怪しい人影のような何かが出現したのだ。輪郭はボヤけており、顔もよく分からない。だが、明確な悪意があるのはハッキリしていた。
「誰?」
「あなたに名乗る名はありません。差し詰めマナーの伝道師とでも言っておきましょうか。今は亡霊である身ですが、この駄菓子屋における傍若無人な振舞に我慢ならず、こうして化けて出てきたという次第でございます」
「じゃあ、何かマナー違反をしたから店の外に出されたというわけかな」
「理解が早くて助かります。あなたが犯したマナー違反は、ずばり“礼節を忘れたこと”です」
「礼節?」
「あなたにとって駄菓子屋は神聖な場所であるはず。であれば先ず“一礼”を以て入店するべきなのです」
「ふぅん。そんなマナー聞いたことないけど、今はあなたの言う通りにしてあげる」
この異変を解決するには、マナー講師の悪霊に従うしかない。マナーを守って駄菓子屋を満喫するしかないと、本能的にトキは理解した。
「かったるいけど行くかぁ~」
こんなにも重い気持ちで駄菓子屋に入ろうとしたことがあっただろうか。馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、トキは一礼してから入店。今度は無事に中に入ることが出来た。傍に悪霊が漂っているということ以外、店内に違和感はない。トキはいつも通り、駄菓子を物色して奥の座席に腰を下ろし、先ほど買ったうめえ棒に手を付ける。
すると、その直後だった。
「……あれ?」
豪快に噛り付いたはずが、盛大に歯と歯がガッチンコ。周りの景色もいつの間にか駄菓子屋の外に変わっていた。どうやらまたマナー違反を犯したらしい。
「今回は何がダメだったのかな、悪霊さん」
「何のための包装だと思っていらっしゃるのです? 手づかみははしたないですし、指に粉が付いてしまうでしょう」
「指に付いた奴をペロペロするのが一番おいしいのに」
「はしたない! まったくもってはしたない! だいたい聖女ともあろう人間がクドクド、クドクド…」
悪霊は早口でまくし立てるが、トキは聞く耳を持っていなかった。悪霊が熱く語っている傍らで、冷静に財布の中身を確認。所持金は減っていない。つまり、時間も巻き戻っているということだ。
……これは上手いこと利用できる。
トキは怪しい笑みを浮かべた。
「何を突っ立っているのです。時間稼ぎは認めていませんよ?」
「分かってるよ。行けばいいんでしょ、行けば」
トキは駄菓子屋の中に入り、渋々一礼。適当に駄菓子を見繕い、奥の座席にて“お上品”に召し上がった。そして食後は“意図的”にマナー違反を犯し、最初の時点へとループ。それを何度か繰り返すと、さすがに悪霊もトキの“思惑”に辿り着いた。
「あなた、わざとマナー違反を犯しているでしょう」
「ありゃ、気付いた?」
「これだけあからさまだと流石に分かります」
「残念。このまま全制覇へと行きたかったよ」
駄菓子屋に入る前まで時間が巻き戻るということは、財布の中身も駄菓子屋に入る前まで巻き戻るということ。これを利用して実質タダで駄菓子を食べまくるという試みは、早々に潰えることとなった。
「いかにもあなたらしい浅はかな考えですね。ま、そうしてくれるなら私にも都合が良いのですが」
「どういうこと?」
「注意から警告に変わるように、イエローカードからレッドカードに変わるように……あなたが“罪”を重ねれば重ねるほど“死”は近づいてゆくのです。次のマナー違反で、間違いなくあなたの魂は私のものとなるでしょう」
「ふぅん。だったら黙ってればよかったのに。どうして教えてくれたの?」
「あなたは間違いなく次もマナー違反を犯します。あなたはそういうカスな人間ですから」
「ご親切にどうも。……けど、私を侮ってもらっちゃ困るよ」
悪霊に一瞥。トキは駄菓子屋へと乗り込む。
「ハイ言ったそばからー! 油断したねぇ、うっかりしたねぇ! 一礼はどうしたのかなぁー?!」
駄菓子屋に入った際、トキは一礼をしなかった。何度も何度もループしたためか、忘れてしまったのだろうか。悪霊はここぞとばかりに煽り立てる。しかし、トキの魂は依然としてそのままだった。
「ちょっとうるさいよ悪霊さん」
「な、なぜマナー違反を犯したのに何も起こらない!?」
「ここでは私がルールだ。ルールはマナーよりも優先される」
トキが言い放った瞬間、悪霊の体だけがまるで台風の中にいるかのごとく揺らぎ始める。「ウ、ウワアアアアアーー!」突然の暴風に晒された悪霊は、ただ存在を保ち続けるだけでやっとだった。
「そしてお前はルール違反を犯した。ここではマナーの押し付けはルールで禁止されている。ルール違反を犯した者には……即刻退店の後に“出禁措置”を取らせてもらうことになっている」
「ンナ、ソンナノオウボウダァァァーー……」
程なくして悪霊は霧散。辺り一面を覆っていた重苦しい雰囲気も消え去り、いつもの平和で賑やかな駄菓子屋の光景が戻ってきた。
「あれ? トキ様いつの間に来てたんですか?」
聞き慣れた声がした方に振り向く。そこにいたのは、やはり見慣れた顔だった。
「ひどいなぁリリカちゃん。私はずっと前からいたよ」
「気付かなくてすみません」
「まぁ、私は忍者の末裔だからね」
「そうだったんですか! リリカにも忍術見せてください! 出来れば分身の術が見てみたいです!」
「……また今度ね」
少しだけ乱れた着流しを整え、冷蔵ボックスから取り出すはキンキンに冷えたラムネ瓶。一仕事終えて火照った身体に、爽やかな清涼感が染みわたっていくのだった。




