第三話 初夏の図書館で考える自由
図書館の前の街路樹は、初夏の光を受けて深い緑に染まっていた。
小鳥の声が交じる風は、昨日よりも暖かく、ほんの少し湿り気を帯びている。
私は再び、昼休みの短い時間を惜しむように図書館の扉を押した。
前回手に取った『社会分業論』を読み進める中で、私はある疑問を抱いていた。
社会は、自由を少し手放す代わりに安定を得る仕組み——その考えは正しいのか。
長い歴史の中で、人々はどうして役割を与えられ、従ってきたのか。
棚の前で立ち止まり、私は江戸時代の社会を扱った本を手に取った。
士農工商、身分と役割の明確さ、自由は少ないが迷いも少ない——そんな世界。
ページをめくるたびに、人々が生きるための仕組みが、精緻に作られていたことが目に見えるようだった。
武士は政治や軍事を担い、農民は米を育て、職人は道具を作る。そして商人は物を売る。
私は頭の中で思いを巡らせた。
現代と比べると、不自由さは確かにある。
しかし迷いの少なさも、ここにはある。
自由が少ないと、悩むことも少ない。
だが自由が増えれば、その分だけ選択も増える
——どの道を選ぶべきか、どんな人生を生きるべきか、悩みは増える。
そんな考えが頭を巡る中、私は心理学・社会思想のコーナーに足を運んだ。
目に留まったのは、エーリッヒ・フロムの
『自由からの逃走』。
ドイツ生まれの社会心理学者・思想家、1900年生まれ。
自由を得た人間が、同時に不安を抱き、権威や組織に依存することがある——そんな指摘が、この本には書かれているという。
私はページをめくる。
自由と不安は表裏一体であり、完全に自由であることは決して心地よいことばかりではない。
人は自由になると、自分で決め、自分で責任を取らなければならない。
その重さが、不安や迷いを生む。
社会が安定して動くためには、人々はある程度のルールや約束に従う必要がある——デュルケームの社会論とフロムの思想が、頭の中で絡み合った。
図書館の窓の外には、初夏の光が差し込む。
緑が光を跳ね返し、風がそよぐたびに影が揺れる。
私はその景色を見ながら、ふと思った。
社会とは、自由と安定のせめぎ合いで成り立っている。
自由が多すぎれば迷いが生まれる。
迷いが生まれれば、人は不安に駆られ、強い権威に頼りたくなる。
ノートを取り出し、考えを整理する。
江戸時代の役割の明確さも、現代の自由の広がりも、同じ問いに答えているのではないか——
人はどれほど自由を持つべきか、どれほど安定を求めるのか。
そのバランスこそが、社会のあり方を決めるのだと。
私は深呼吸し、窓の外の初夏の風を感じた。
花壇の花は咲き乱れ、通りの人々は思い思いに歩く。
その営みすべてが、自由と秩序の間で絶妙に回っているのだと感じられた。
私はぺんを手に取り、ノートを開く。
「書いてみよう。そして私はぺんをとった。」
【エッセイ】
未完成の社会に生きる
― 自由と秩序のあいだで ―
第二回 役割があった社会
前回、私は社会について次のように書いた。
社会とは、
自由を少し手放す代わりに安定を得る仕組み
ではないか、という考えである。
この考え方が正しいかどうかは、まだ分からない。
しかし社会の歴史を振り返ると、興味深いことが見えてくる。
人間の社会には、長いあいだ
はっきりした役割が存在していた。
それは現代の私たちから見ると、
少し不自由な社会にも見える。
だがその代わりに、
社会は比較的安定していたのである。
その一つの例として、日本の 江戸時代 を見てみたい。
江戸時代の社会には、
士農工商と呼ばれる身分の区分があった。
武士。
農民。
職人。
商人。
もちろん、実際の社会はそれほど単純ではなかったが、人々の役割は今よりはるかに明確だった。
武士は政治や軍事を担当する。
農民は米を作る。
職人は道具を作る。
商人は物を売る。
こうした役割は、生まれた時から
ある程度決まっていた。
現代の感覚からすると、
これはかなり不自由な社会に思える。
自由に職業を選ぶことも難しい。
身分を変えることも、ほとんどできない。
しかしその一方で、
社会の構造は非常に安定していた。
人は自分の役割を知っていた。
何をすればよいのか、
あまり迷う必要がなかったのである。
もちろん、それがすべて良いわけではない。
不公平もあったし、
身分による差別も存在した。
そのため明治以降、日本は
こうした身分制度を廃止していった。
人は生まれによって職業を決められるべきではない。
努力すれば、
誰でも様々な仕事に挑戦できる社会の方が良い。
この考え方は、非常に大切なものである。
実際、現代社会は
こうした 自由の考え方の上に成り立っている。
しかしここで、一つ考えてみたいことがある。
自由が増えるということは、
同時に 迷いも増えるということではないだろうか。
江戸時代の人々は、
自分の役割がある程度決まっていた。
農民の家に生まれれば、
農業をする人生が待っている。
職人の家に生まれれば、
その技術を受け継ぐ。
そこには不自由さもあったが、
同時に 生き方の迷いは少なかったとも言える。
ところが現代では、
ほとんどすべてのことが自由になった。
職業も自由。
住む場所も自由。
結婚するかどうかも自由。
一見すると、これはとても良い社会に見える。
しかしその一方で、
現代の人々は多くのことに悩んでいる。
どんな仕事を選べばよいのか。
どんな人生を生きればよいのか。
自分は何をしたいのか。
自由が広がるほど、
人は選択を迫られる。
そして選択が増えるほど、
迷いもまた増えていく。
この問題について考えた思想家に
エーリッヒ・フロム
がいる。
彼は著書
自由からの逃走
の中で、興味深い指摘をしている。
それは、
人は必ずしも自由を喜ぶとは限らない
という考えである。
自由になると、
人は自分で決めなければならない。
自分の人生を、
自分の責任で選ばなければならない。
それは時に、大きな不安を生む。
その不安から逃れるために、
人は強い組織や権威に頼ろうとすることがある。
つまり人は、
自由を求めながら、
同時に自由から逃げようとする
という不思議な存在なのだという。
この考え方がすべて正しいとは言えない。
しかし現代社会を見ていると、
どこか思い当たるところもある。
私たちは、より自由な社会を目指してきた。
それは確かに大切なことだった。
しかし同時に、
社会を支えていたいくつかの仕組みも
少しずつ変化してきた。
家族の形。
働き方。
地域とのつながり。
かつて当たり前だったものが、
今では当たり前ではなくなっている。
これは進歩なのかもしれない。
あるいは、変化の途中なのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、
社会というものは 完成することがない
ということである。
人間が作ったものだからである。
人間が変われば、
社会もまた変わる。
そして私たちは今、
その大きな変化の途中にいるのかもしれない。
では、これから社会は
どこへ向かうのだろうか。
自由が広がり続けた社会は、
どのような形になるのだろう。
次回は、もう少し現代に近い問題、
家族の形の変化について考えてみたい。
社会の変化は、
家庭の姿にも影響し、現れているからである。
注釈
エーリッヒ・フロム
ドイツ生まれの社会心理学者・思想家(1900–1980)。人間の自由と社会の関係について研究した人物。現代社会において、人は自由を得る一方で不安を感じ、その不安から権威や組織に依存することがあると指摘した。
主著
自由からの逃走
近代社会で自由を手に入れた人間が、逆にその自由に不安を感じ、権威や集団に依存しようとする心理を分析した社会思想の古典。




