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第二話 春の光と社会のかたち

昼休み、私は会社の近くの図書館の前で立ち止まった。

桜が淡いピンクの花を咲かせ、ひらひらと風に舞っている。

昼休みにここまで歩くのは少し面倒だと思ったが、胸の奥に小さな好奇心が芽生えていた。


「働くとは何か」という疑問が、ふと私をここまで連れてきたのだ。


図書館の扉を開けると、静寂な空気と本の匂いが広がった。


棚の前で立ち止まり、私は考えた。どれほど多くの人が、この社会を支えるために働いているのだろう。

たった一杯のコーヒー、朝の電車の運行、食卓に並ぶ食事――その一つ一つに無数の人の労力が注がれている。

その複雑さと確かさを、先人の目にはどう映っていたのか確認してみたいという衝動に駆られたのである。


棚をひとつずつ眺めながら、社会学のコーナーにたどり着いた。


タイトルの一冊が目に入った。


『社会分業論』——エミール・デュルケーム。


私はその名をどこかで耳にしたことがある。

フランスの社会学者、近代社会学の基礎を築いた人物。


人と人の関係が積み重なって社会という仕組みを作る、という考え方で知られる。


手に取ってみると、ずっしりとした重みがあった。

紙の感触と文字の列は、まるで時間の厚みを伝えてくるかのようだった。


私はその場で読み始める。


難解な箇所もあるが、目に飛び込んでくる概念が、頭の中でゆっくりと形になっていく。


社会はただの人の集まりではない。

それぞれの役割が重なり、互いに支え合うことで初めて成り立つ仕組みなのだ。


デュルケームの言葉は、あの若者の「働くために生まれてきたわけじゃない」という言葉と、不思議な対話をしているように感じられた。


私は借りることにした。本を抱え、帰り道の桜並木を歩く。

風に揺れる花びらが、まるで社会の無数のつながりを象徴しているかのようだ。


会社に戻れば、再び日常のルーチンが待っている。しかし、この重みのある知識は、胸の奥でじわじわと広がっていく。


夜、自宅の机に向かい、ノートを開いた。

昼間に触れた言葉や考えが、まるで光の粒のように散らばっている。

それをひとつひとつ拾い、整理する。

誰が働き、誰が支え、誰が生活を楽にしているのか。社会の輪郭が少しずつ見えてくる。


私は思った。

「書いてみよう。そして私はぺんをとった。」



【エッセイ】

未完成の社会に生きる

      ― 自由と秩序のあいだで ―


第一回  社会とは人間が作った仕組み


「自分は、働くために生まれてきたわけじゃない。」

プロローグで紹介した、あの若者の言葉である。

その言葉を聞いた時、私は心の中で思った。

それならば、会社を辞めればよいのではないか。

会社とは、仕事をする場所だからである。

もちろん、人には様々な生き方がある。

働かない人生を選ぶ人もいるだろう。

しかし多くの人は、

毎日どこかで働きながら生活している。

では、人はなぜ働くのだろう。

この問いは、意外なほど単純である。

しかし私たちは、普段この問いをあまり深く考えない。

私達は普段、この様な事をあまり意識しないで生活している。

朝起きて、仕事や学校に行く。

買い物をして、食事をして、家に帰る。

電気がつき、水が出て、電車が走る。

こうしたことは、どれも当たり前のように感じられる。

しかし、少し立ち止まって考えてみると、

これはなかなか不思議なことである。

例えば、朝コンビニに入ってコーヒーを買う。

それはほんの数分の出来事である。

けれど、その一杯のコーヒーの背後には、

実に多くの人の仕事がある。

コーヒー豆を育てた農家。

それを輸送した人。

焙煎した人。

工場で製品にした人。

店まで運んだ人。

そして店で販売する人。

たった一杯のコーヒーでも、

数えきれない人の仕事が関わっている。

そしてそれは、コーヒーだけではない。

私たちが着ている服。

食べている食事。

住んでいる家。

それらすべてが、誰かの仕事によって作られている。

つまり私たちは、

多くの人の仕事によって支えられて生活しているのである。

しかし同時に、もう一つ大事なことがある。

それは私たち自身もまた、

誰かの生活を支える仕事をしているということである。

働くとは、人の役に立つことだと私は思う。

誰かが働くと、誰かの生活が少し楽になる。

そしてその人もまた働き、

別の誰かの生活を楽にしている。

つまり働くとは、

お互いに仕事をすることによって

お互いの生活を楽にすること

なのだと思う。

こうして人と人のあいだに関係が生まれる。

そしてその関係が広がると、

生活がしやすい環境ができる。

この仕組みを、私たちは

社会と呼んでいる。

社会とは、特別な誰かが作ったものではない。

長い時間の中で、人間が少しずつ作り上げてきた一つの仕組みである。


人は一人では生きにくい。

だから人は協力する方法を考えた。

ある人は食べ物を作る。

ある人は道具を作る。

ある人は家を建てる。

こうして役割が生まれ、

人と人のあいだに仕事のつながりができていった。

それが広がり、複雑になったものが

今の社会である。

フランスの社会学者

エミール・デュルケーム

は、社会について興味深い考え方を示している。

彼は社会を、単なる人の集まりとは考えなかった。

人と人の関係が積み重なることによって、

社会は一つのまとまりを持った仕組みとして

存在するようになると考えたのである。

しかし私達は普段、この様な事をあまり意識しないで生活している。

朝、電車が来ることも、

店が開いていることも、

水が出ることも、

当たり前のように思っている。

けれどそれはすべて、

多くの人が仕事をしているからこそ成り立っている。

もし誰も働かなければ、

社会はすぐに動かなくなる。

電車は来ない。

店は開かない。

病院も機能しない。


つまり社会とは、

人が少しだけ自由を制限することによって

初めて成り立つ仕組みなのである。


例えば会社では、時間を守ることが求められる。

学校でも、授業の時間が決まっている。

家庭でも、それぞれの役割がある。

こうしたルールは一見すると、

人を縛るもののように見える。

しかし、それがあるからこそ

社会は安定して動くのである。


ここで一つの考え方が生まれる。

社会とは、

自由を少し手放す代わりに

安定を得る仕組み

ではないだろうか。


人は完全な自由の中で生きているわけではない。

しかしその代わりに、

安心して暮らせる環境を得ている。

考えてみれば、

私たちは社会の中で様々な約束に従って生活している。

時間を守る。

ルールを守る。

役割を果たす。

それはある意味で、

自分の自由の一部を差し出しているとも言える。

だが、その代わりに

社会は私たちの生活を支えてくれる。

仕事があり、

食べ物があり、

安心して暮らせる環境がある。

そう考えると社会とは、

拘束と引き換えに生活を保証する仕組み

と言えるのかもしれない。


もちろん、この仕組みは完璧ではない。

社会には不公平もある。

理不尽なこともある。

不満も生まれる。

だから人はいつの時代も、

社会を少しずつ変えようとしてきた。

法律を作る。

制度を変える。

働き方を見直す。

そうやって社会は、

長い時間をかけて形を変えてきたのである。


しかし最近、私は一つの疑問を感じている。

それは、

私たちは今、

社会を支えてきた仕組みを

自分たちで弱くしているのではないか。

自由はとても大切なものだ。

人間の歴史は、

自由を広げる歴史だったとも言える。

しかしもし自由がどこまでも広がったら、

社会はどうなるのだろう。

自由と社会は、

どのような関係にあるのだろう。

この問題を考えるためには、

もう少し歴史を振り返る必要がある。

昔の社会には、

今よりはるかにはっきりした役割の分担があった。

それは良い面もあれば、

もちろん問題もあった。

だがその仕組みが、

社会を安定させていた面もあったのである。


次回はその例として、

江戸時代の社会を少し見てみたい。

自由が少ない代わりに、

迷いも少ない世界がそこにはあった。

その仕組みを知ると、

現代の社会が少し違って見えてくるかもしれない。


注釈

エミール・デュルケーム

フランスの社会学者。近代社会学の基礎を築いた人物の一人。社会を単なる個人の集まりではなく、人と人の関係から生まれる仕組みとして考えた。

主著

社会分業論




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