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第一話 春―疑問の芽生え

会社の朝はいつも同じだった。

エレベーターのドアが開き、足早に歩く人々の波に身を任せながら、私は思った。今日も一日、同じ仕事の連続だ。しかし、ふとした言葉が頭をかすめた。


「自分は、働くために生まれてきたわけじゃない。」


その言葉を口にしたのは、若い新人社員の一人だった。

聞いた瞬間、私はその場に居合わせていた同僚たちの反応を思い浮かべた。

少し困惑した顔、目をそらす人、そして小さく息をつく先輩――皆、どう答えたらよいか分からずにいた。私も同じだった。


頭の中で私は反論した。

――それなら、会社を辞めればよいのではないか。ここは働くための場所であり、仕事をしない理由を並べる場ではない。


しかし、声には出さなかった。

今の時代、言葉は簡単に受け取られ方を変える。少しの誤解で問題に発展する。

社会は、些細な一言にも敏感になっている。

黙っていられる自分がいたのは、幸いだったのかもしれない。


昼休み、窓の外を見ると、春の光が社屋の壁に反射していた。柔らかい日差しの中で、私は考えた。

働くとは何か。自由とは何か。

私たちは、なぜ毎日同じように時間を費やし、他者の役に立つことを求められるのか。


その答えを探すために、私は自分の足元を見つめた。

郵便物を届ける配達員、掃除をする清掃員、書類を運ぶ事務員――一人一人の仕事が、見えない糸のように社会をつなぎ、誰かの生活を支えている。その連鎖が日常を作り、秩序を生み出しているのだ。


私は心の中で呟いた。

――人はお互いの仕事に支えられて生きているのだ。


その瞬間、職場の些細な出来事が、私の中で大きな問いに変わった。

働く意味とは、単に生計を立てることではなく、社会を維持し、人と人とのつながりを生むことなのかもしれない。


しかし、自由の拡張と社会の安定は、常にせめぎ合っている。過度な自由は秩序を崩し、過度な拘束は個を押しつぶす。

私は考えを巡らせながら、自分の中に芽生えた疑問を整理した。


春の光が差し込むオフィスで、私はペンを握る自分を想像した。考えを言葉にすることで、何かが見えてくるはずだ。まだ形にはなっていないが、少しずつ輪郭が浮かんでくる。

そして、心の中で小さく決めた。


「書いてみよう。」


私はペンを取り、紙の上に最初の文字を置いた。



【エッセイ】

未完成の社会に生きる

      ― 自由と秩序のあいだで ―

〈前書き〉

人はなぜ働くのだろうか

歴史の中に登場する人物について、こんな問いをされることがある。

「この人は、どんな人だったのか。」

その時、私たちは何と答えるだろう。

あの人は釣りが好きだったとか、

あの人は遊んでばかりいたとか、

そういう答え方はあまりしないはずである。

多くの場合、私たちはこう答える。

その人がどんな仕事をしたのか。

そして何を成し遂げたのか。

つまり人の一生は、結局のところ

その人がどのように働いたかによって語られることが多いのである。

ところが、現代では時々こんな言葉を耳にする。

「自分は働くために生まれてきたのではない。」

確かに、その気持ちは理解できる。

人は仕事だけのために生きているわけではない。

人生には楽しみもあり、家族もあり、

それぞれに大切にしているものがある。

しかし、そこでふと考えてしまったのである。

では、人はなぜ働くのだろうか。

働くとは、そもそもどういうことなのだろう。

生活のためだろうか。

社会のためだろうか。

それとも、自分自身のためなのだろうか。

普段は、あまり深く考えない問いでもある。

けれども、少し立ち止まって考えてみると、

この問いは意外と大きな意味を持っているように思える。

この文章は、そんな素朴な疑問から始まった小さな思索である。

人はなぜ働くのか。

社会とは何なのか。

そして私たちは、どのような社会に生きているのか。

答えを急ぐつもりはない。

ただ、ゆっくりと考えてみたいと思う。


プロローグ

【ある若者の言葉】

もうずいぶん前のことになるが、忘れられない言葉がある。

私がまだ会社で働いていた頃の話だ。

ある日、職場で一人の若い社員がこんなことを言った。


「自分は、働くために生まれてきたわけじゃない。」


言葉だけ聞けば、どこか哲学的にも聞こえる。

しかし、その時の状況はもっと単純だった。

彼は仕事を覚えようとしなかったのである。


先輩が教えても、どこか他人事のような顔をしている。

指示されたことも、最低限しかやろうとしない。


やがて誰かが注意すると、彼は少し不満そうな顔で、先ほどの言葉を口にしたのだった。

「自分は、働くために生まれてきたわけじゃない。」


その場にいた人たちは、少し困った顔をしていた。

誰もが、どう答えたらよいのか分からなかったのである。


私はその時、心の中で思った。

それならば、

会社を辞めればよいのではないか。

会社とは、仕事をして働く場所だからである。

もちろん、人には様々な生き方がある。

働かない自由もあるだろう。

世の中には、放浪のような生活を選ぶ人もいるし、親の財産で生きていく人もいる。


しかし、会社という場所に来て、

仕事をしないと言うのは、

どこか話が違う気がした。


ただ、その時私は何も言わなかった。

今の時代、言葉は思わぬ形で受け取られることがある。

不用意な一言が、余計な問題になることもある。

詰まらないことで揉めるくらいなら、

黙っていた方がよい。


そう考える人は、きっと少なくないだろう。

その場でも結局、誰もそれ以上は何も言わなかった。

話はそこで終わり、

やがていつもの仕事に戻っていった。


職場ではよくある、

少し困った若者の出来事。

その時は、それだけの話だった。


だが、時間がたつにつれて、

私は時々あの言葉を思い出すようになった。

「自分は、働くために生まれてきたわけじゃない。」

あの若者の言葉は、

本当にただの甘えだったのだろうか。

あるいは、そこには

今の社会が抱えている何かが

現れていたのではないだろうか。


私たちは普段、

社会の中で当たり前のように生活している。

朝起きて、仕事に行き、

買い物をして、家に帰る。

電気がつき、水が出て、

電車が走る。


こうした日常はあまりにも自然で、

普段はその仕組みについて

深く考えることはない。

だが、あの若者の言葉を思い出すたびに、

私はふと考えるのである。

そもそも社会とは、

どのような仕組みなのだろうか。


人はなぜ働くのだろう。

自由とは何なのだろう。


そして私たちは今、

どのような社会の中で生きているのだろう。


このエッセイは、

そうした疑問から始まっている。

一つの答えを示すためのものではない。

むしろ逆である。 


社会とは、人間が作ったものだ。

そして人間は、決して完全な存在ではない。

だから社会もまた、

完成することはないのかもしれない。

それでも人は、

より良い社会を求めて考え続けてきた。


この文章も、

その小さな試みの一つである。

次の回ではまず、

社会とはそもそも何なのか

というところから、

改めて考えてみたいと思う。

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