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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第12章 過去への道

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第93話 雨の止まない場所

 王都の外壁が見えなくなっても、しばらく誰も口を開かなかった。


 雨は細く降り続いていた。

 強くはない。だが止む気配もない。

 空も低い。道もぬかるみ、上着の裾はもうとっくに泥を吸って重くなっている。


 それでも足は止めなかった。


 追手が来るかもしれないから、というだけじゃない。

 アシュ自身が、いま足を止めたらそのまま動けなくなる気がしていた。


 灰刻の反動は、薬でどうにか押し込んだだけだ。

 輪郭だけがはっきりして、肩も脇腹も脚も、全部が鈍く軋んでいる。


「この先、林があります」


 前を行くノアが言った。


「少しだけなら隠れられる」


 ノアは斬られた腕を押さえたまま立っていた。

 ガルドは折られた弓の代わりに、腰の短剣へ手を置いている。


 やがて外郭沿いの荒れ道を外れ、背の低い林へ入る。

 木々は密ではなかったが、王都からの視線を切るには十分だった。


「ここだ」


 ノアがようやく足を止める。


 その一言で、張っていたものが少しだけ緩んだ。


 ガルドが近くの木にもたれる。

 ノアは傷ついた腕を押さえたまま周囲を見る。

 フィアナは振り返って、まっすぐアシュを見た。


「座ってください」


「……ああ」


 流石に限界だった。

 一日で、灰刻を二回も使った。

 気を抜いたら、体が引き裂かれそうだ。


 ルゥが先に寄ってきて、濡れた鼻先をアシュの手へ押しつけた。

 うるさい、と言おうとして、声が出なかった。


「……面倒くせえな」


 ようやく吐き出すと、フィアナがほとんど怒るみたいに言う。


「ルゥも心配しています」


 アシュは少しだけ目を細めたが、もう抵抗する余裕もなかった。

 木の根元へ腰を下ろす。背中を幹へ預けた瞬間、全身の力が少し抜けた。


 ガルドが鼻を鳴らす。


「ひでえ顔してるぞ」


「お前もな」


「そりゃどうも」


 言い返す声はあった。

 それだけで、まだ全員潰れてはいないと分かる。


 フィアナはアシュの前へ膝をつき、濡れた前髪を払った。

 何かできることがないか探している顔だ。

 だが薬ない。水も多くはない。

 応急手当くらいしかできることはなかった。


 ノアが短く言う。


「あの様子だ。当面、追手は来ないだろう」


「ずいぶん言い切るな」


 ガルドが返すと、ノアは淡々と続ける。


「本気で追う気が無かったように俺には見えた」


 アシュは目を閉じたまま、小さく息を吐く。


 クレイグの顔がまだ頭の奥に残っていた。

 

 助けられたわけではない。

 見逃されたとも少し違う。

 あれはたぶん、あの男なりの損得だった。

 それでも結果として、一行は王都を抜けられた。


「……で、ここからどうする」


 ガルドが言った。


 それは誰に向けた問いでもないようでいて、結局はアシュへ向けられていた。


 沈黙が落ちる。


 アシュはすぐには答えなかった。

 答えは決まっている。

 決まっているからこそ、口にしたくなかった。


 代わりにノアが答える。


「南西へ行く」


「その先は」


 ノアは少しだけ間を置いた。


「灰の村だ」


 フィアナの肩がわずかに揺れた。

 ルゥが耳を立てる。

 ガルドだけは、表情を変えなかった。


 アシュはようやく目を開ける。


「……ああ」


 短く、それだけ言った。


 灰の村。

 焼いた村。

 終わらなかった場所。

 戻りたくなかった場所。

 戻らないままじゃ終われなかった場所。


「あとどれくらいだ」


 アシュが訊く。


「急げば二日。今の状態なら三日」


 ノアが答える。


「ただ、教会側が動くなら、話は別だ」


「だろうな」


 ガルドが吐く。


「王都抜けたから一安心、なんて訳にはいかないんだな」


 そこでアシュは、ようやくガルドの顔を見た。


 言わなきゃいけないことがある。

 ずっとそのままにしてきたものだ。

 今さらだ。

 今さらだけど、それでも言わないまま村へ向かうのは違うと思った。


「……ガルド」


 呼ばれて、ガルドが目だけ向ける。


「何だ」


 アシュは少しだけ視線を落とした。


 言い方が分からない。

 綺麗な言葉にする気もなかった。

 そんな資格があるとも思わない。


「悪かった」


 低く落ちた声に、フィアナが息を止める気配がした。


 ガルドは黙ったままだった。


「灰の村のことだ」


 アシュは続ける。


「言うべきだった。もっと前に」


 雨音だけが林に落ちる。


 ガルドはすぐには返さなかった。

 責めるでもなく、慰めるでもなく、ただその言葉が落ちるのを待っているみたいに黙っている。


「今さらだな」


 やがて、ようやくそう言った。


「ああ」


「俺はお前が何をやったか、全部ちゃんと知ってるわけじゃねえ」


「……ああ」


「今まで見てきた。お前が背負ってんのは分かった。なら俺からもう言うことはねえ。行って、決着つけてこい」


 アシュは少しだけ目を伏せた。


「……そうか」


 それが限界だった。


 ガルドはしばらくアシュを見て、それから小さく鼻を鳴らした。


「許すとか、そういう話じゃねえぞ」


「分かってる」


「俺は別に、お前を楽にするためにここまで来たわけでもねえ」


「知ってる」


「でも」


 ガルドがそこで一度だけ言葉を切る。


「お前は自分のしたことに決着をつけろ」


 それで十分だった。


 許しじゃない。

 和解でもない。

 それでも、その言葉はアシュの胸の奥へ鈍く残った。


「お前が行くなら、最後までついて行く」


 ガルドが言う。


 アシュは目を閉じかけて、結局閉じなかった。


「……助かる」


「別に礼言われる筋合いもねえよ」


 吐き捨てるような返事だった。

 でも、その声音は少しだけ柔らかかった。


 フィアナの肩から、目に見えて力が抜ける。

 ルゥも一度だけ喉を鳴らし、またアシュの足元へ伏せた。


 アシュは木の幹へ背を預けたまま、浅く息を吐いた。


 まだ終わらない。

 王都の兵は来ないだろうが、教会側は追ってくるかもしれない。

 油断はできない。


「薬はもうねえ」


 自分で言って、少しだけ口の中が苦くなった。


 フィアナが顔を上げる。


「……アシュさん」


「分かってる」


 それでも、灰の村へは行くしかない。


 ガルドが短剣の柄を軽く叩く。


「じゃあ、なおさらさっさと抜けるしかねえな」


「すぐには無理だ」


 ノアが即答した。


「最低でも今日半日は休む。まともに動ける状態に戻さないと、追手が来た時点で終わる」


「時間がねえぞ」


「時間がないからこそだ」


 その返しは冷たいが正しかった。


 アシュは反論しなかった。

 今の身体で無理に歩いても、途中で潰れるだけだ。


「交代で見張る」


 ノアが続ける。


「最初は俺がやる」


「お前はアシュと一緒に休んでろ。俺が見張る」


 ガルドが言うと、ノアは少しだけ眉を寄せた。


「大丈夫だ」


「うるせえ、黙ってろ」


 それぞれが傷ついて、それでもまだ自分の役割だけは放したくない。

 そういう空気が、この一行にはもう出来ていた。


 アシュは幹へ頭を預けたまま、雨音を聞いた。


 王都はもう背中の向こうだ。

 薬は尽きた。

 灰刻も、次はどうなるか分からない。


 それでも前へ行く。


 灰の村へ。

 焼いた村へ。

 終わらなかった過去へ。


 雨はまだ止まない。

 林の奥は暗く、冷たい。

 けれど、ここから先の道だけは、もう見失わなかった。

第93話でした。


今回は、王都から脱出後の休息でした。そして、アシュの胸に引っかかっていた過去を、ようやくガルドに言葉で伝えました。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。

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