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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第11章 王都脱出

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第90話 追いついた影

 井戸の影から立ち上がったルークは、逃げ道の真ん中に静かに立っていた。


 兵は連れていない。

 白衣もいない。

 ただ一人で、上着の裾だけを風に揺らしている。


 それが逆に、退く気のなさをはっきり示していた。


 剣の柄に手をかけたまま、アシュだけを見ていた。


 ルークの声が低く落ちる。


「第七席を殺して、このまま抜けられると思うな」


 アシュは返さない。


「第六席もあなたが殺しただろう。旧祈祷院で何を見た」


「今ここで話す気はねえよ」


 ノアが小さく言う。


「もう無理やり突破するしかないな」


 ガルドが弓へ手を伸ばしかける。

 だが、ルークはその動きを見たうえで言った。


「あなたたちの目的がなんであれ、ここから先は通さない」


 感情を抑えた声だった。

 怒鳴ってもいない。

 挑発というより、覚悟の確認に近い。


 ガルドが舌打ちする。


「こいつ、ほんとに面倒だな」


「そこをどけルーク」


 アシュが低く言う。


 ルークの目がわずかに細くなる。


「おとなしく引き下がるわけがないだろう」


「それもそうだな」


 アシュは答えた。


 短い沈黙が落ちる。


 遠くではまだ兵の声が響いていた。

 追手は迫っている。

 ここで長引けば終わる。


 ルークもそれは分かっているはずだった。

 それでも道を譲らない。


「フィアナ・ルーシェを渡せ」


 やがてルークが言う。


「そうすれば、お前たち全員を斬らずに済む」


 フィアナの肩がわずかに強張る。

 ルゥがその前へ出て、低く唸った。


 アシュは小さく鼻を鳴らした。


「無理だな」


「だろうな」


 ルークの返しは妙に静かだった。

 分かっていて、それでも言った声だ。


「なら、お前を止める」


 その瞬間には、もう剣が抜かれていた。


 速い。


 アシュも反射で剣を引き抜く。

 次の瞬間、金属音が路地へ弾けた。


 重くはない。

 だが鋭い。

 躊躇なく急所へ来る。


 アシュは受け流し、半歩だけ下がる。

 脇腹が痛む。

 踏み込みを深くすると、すぐ体が悲鳴を上げる。


「消耗してるみたいだな」


 ルークが低く言う。


「黙ってろ」


 アシュが返す。


 ルークがさらに踏み込む。

 今度は横から。

 アシュは受けずに軌道を外す。

 刃が井戸の石縁を浅く削った。


「……まだそんな動きができるのか」


 ルークの声に、わずかに苛立ちが混じる。


「お前こそ、ずいぶん粘るじゃねえか」


 返しながら、アシュは呼吸を整えようとする。


 ガルドが小さく言う。


「援護するか」


「待て」


 ノアが止める。


「距離が近すぎる。意図的に肉薄してるんだ」


 その間にもルークは攻め手を止めない。

 速さで押す。

 だが焦ってはいない。

 一撃で決めるつもりではなく、アシュの体力を削り切るつもりの剣だ。


 アシュが万全なら、逆にその慎重さごと叩き斬れる。

 今は違う。

 この身体では、長引く方が不利だ。


 ルークが鋭く踏み込む。


 アシュは受けた。

 鈍い衝撃が腕へ抜ける。


「っ……」


 嫌な戦い方だった。

 まっすぐなのに、冷えている。


「アシュさん、何を見た」


 ルークが唐突に言った。


「旧祈祷院で。教会で。何を見て、何を知った」


 アシュは答えない。


 答える義理がない。

 答えたところで、今ここで理解し合えるとも思わない。


 ルークがわずかに歯を食いしばる。


「答えないなら、斬る」


「最初からそのつもりだろ」


 アシュが低く返し、逆に踏み込んだ。


 真正面。

 ルークが剣で防御する。

 その上からアシュの重い斬撃が落ちる。


 今の消耗した身体でもなお、アシュの剣は重かった。

 ルークの足が半歩だけ滑る。


 その隙にもう一歩。

 近づく。

 近ければまだ押せる。


 ルークの目が見開かれる。

 だがすぐに立て直し、柄で受け角度を変える。

 剣と剣が噛み合ったまま、二人の距離が一気に縮まる。


「お前……!」


 ルークの声に、初めて熱が混じる。


「王国を捨てたあなたが、なぜそこまでする!」


 アシュは押し合いのまま答えた。


「てめえは、教会が何をしてるかわかってんのか」


 それだけだった。


 説明でもない。

 綺麗な理屈でもない。

 ただ吐き出した声だった。


 ルークの目が揺れる。

 一瞬だけ。

 その一瞬を、アシュは見逃さなかった。


 剣を引く。

 押し返されると思った先が消えて、ルークの体勢がわずかに前へ流れる。

 そこへ肩をぶつける。


「っ!」


 ルークがよろめく。


 アシュはそのまま追撃に入ろうとした。

 だが脇腹が鋭く痛み、踏み込みが半拍遅れた。


 ルークも立て直す。

 完全には崩れない。


「アシュさん!」


 フィアナの声が飛ぶ。


 後ろからはまた兵の声が近づいていた。

 時間がない。

 だがルークもまだ倒れていない。


「まだやるか」


 アシュが吐く。


 ルークは剣を構え直す。


「当たり前だ」


「しつこいな」


 迷っている時間はない。

 

 ルークが剣を合わせようとした、その手元を狙ってアシュの刃が跳ね上がる。

 鋭い金属音が響いた。


「っ――」


 ルークの剣が宙へ弾かれる。

 石畳の上へ落ち、乾いた音を立てて滑った。


 そのまま止まらず、アシュは半歩踏み込む。

 返す刃が、ルークの利き腕を浅くはない長さで裂いた。


「ぐっ……!」


 血が散る。


 ルークが反射的に腕を引く。

 だが遅い。

 傷は肘の上から前腕までまっすぐ走り、もうまともに剣を握れる状態ではなかった。


 アシュはそこで初めて止まる。


 息が荒い。

 脇腹が焼けるみたいに痛む。

 それでも、倒れるより先に目だけはルークを見据えた。


「それ以上やるなら、次は立てなくする」


 低く言う。


 ルークは傷を押さえたまま、荒く息を吐いた。

 落ちた剣へ視線を向ける。

 だが拾いに動けない。


 右腕が、もう言うことをきかなかった。


「……まだ甘いな」


 かすれた声だった。


「殺せたはずだ」


「殺してる暇がねえんだよ」


 アシュが吐き捨てる。


 ルークは何か返しかけた。

 だが、その時だった。


 後方から、新しい足音が重なった。


 兵の集団。

 だが追手の雑な足音ではない。

 もっと揃っている。

 もっと冷たい。


 ガルドが先に顔を上げる。


「来ちまいやがった」


 ルークの表情も変わった。

 振り返りはしない。

 だが、その気配を知っている顔だった。


 路地の奥から現れたのは、クレイグだった。


 第三席。

 その後ろには部下が数人。

 王国兵もいる。


 クレイグは、アシュとルークを見た。


「久しぶりだな。アシュ・ヴァレン」


 低い声だった。


 アシュが息をひとつ吐く。


「あんたには会いたくなかった」


「そうか」


 アシュは剣を下ろさない。

 気を抜いた瞬間にやられる。

 第三席の実力を知っているアシュは警戒を止めない。


「ようやく捕まえた、と言いたいところだが」


 クレイグは剣へ手をかける。


「お前は大人しく捕まらんだろ」


 その言葉に、ガルドが低く舌打ちした。


「おい、こいつヤバそうだぞ」


「いままでとは格が違うってとこだな」


 ノアも珍しく同意する。


 ルークが一歩だけ下がった。

 代わりにクレイグが前へ出る。


「誰も手を出すな」


 その命令は冷たかった。


 全員の顎がわずかに強張る。

 それでも従った。

 この場でクレイグに逆らうつもりはないらしい。


 アシュは小さく息を吐く。


 つまりここからは、第三席との戦いだ。


 王都を抜ける前の、本当の壁が来た。


 クレイグはゆっくりと剣を抜いた。


 飾りのない剣だった。

 だが隙もない。

 持っているだけで、これまで見てきた兵とは次元が違うと分かる。


「他の者は下がれ」


 クレイグが部下へ言う。


 部下たちが散る。


 ルークは壁際まで下がった。

 フィアナたちも、否応なく距離を取る。


 細い路地の真ん中に、アシュとクレイグだけが残る。


 雨は、また少しだけ強くなっていた。


 石畳に細かい音が重なる。


 クレイグが剣先をわずかに上げた。


「さあ来い。アシュ・ヴァレン。どれだけ強くなったか見せてみろ」


 アシュは剣を握り直す。

 脇腹は痛む。

 息も浅い。

 だが、ここを越えなければ終わる。

第90話でした。


今回はルークに勝って脱出できると思ったところ、第三席クレイグが登場して、アシュの前に立ちふさがりました。


少しでも続きが気になったら、

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