第86話 臨時列席会
臨時列席会が開かれる日、王都の空は朝から少し曇っていた。
雨は降っていない。
だが、いつ降り出してもおかしくない色をしている。
ルークは詰所を出る前に、一度だけ上着の襟を正した。
落ち着かない。
それを認めるのは癪だったが、認めないまま消えるものでもなかった。
臨時列席会。
席持ちが一堂に会し、国内外の異変や重要案件を共有する場。
普段なら、ルークのような立場の人間が同席するようなものではない。
だが今回は呼ばれた。
第三席クレイグの判断で。
そして第一席アルベリク・ラウゼンが、直接報告を求めた。
その事実だけで、今回の件の重さは十分すぎるほど分かる。
詰所の外には、すでにクレイグがいた。
「行くぞ」
短い声だった。
「はい」
ルークはそれ以上何も言わず、その後ろについた。
会議が開かれるのは、王都中央寄りの古い棟だった。
外から見れば飾り気はない。
石造りの四角い建物。
高い窓。
厚い扉。
だが中へ入ると空気が違う。
静かだ。
兵もいる。
使いの人間もいる。
それでも、皆が必要以上の音を立てない。
ここでは、声の大きさより、誰が何を言うかの方が重い。
廊下を進みながら、ルークは自然と背筋が伸びていくのを感じていた。
扉の前に立つ兵が、クレイグの顔を見るなりすぐ道を開ける。
中へ入る。
会議室は思っていたより広くなかった。
だが天井が高く、席の配置に無駄がないせいで、空間が異様なほど冷たく見えた。
まず目に入ったのは、空席だった。
三つ。
ひとつは第六席。
ひとつは第七席。
そしてもうひとつは、第二席の席だった。
死者の席が空いているのは分かる。
だが、残るひとつの空席に違和感を覚えた。
ルークはその理由を聞かされていない。
それが、かえって気味が悪かった。
クレイグは自分の席へ向かった。
ルークは一歩遅れて立ち止まる。
そこで初めて、他の席持ちたちの顔を正面から見た。
第四席バシュレル・ドーン。
年齢を重ねた老兵だが、目だけは妙に鋭い。
老いたように見せて、今なお、闘志が燃えている目だ。
第五席イゼルナ・フェイン。
静かな女だった。
姿勢も、指先の動きも整っているのに、そこにいるだけで少しだけ空気が冷える。
そして奥。
視線を向けた瞬間に、思わず息を浅くする。
第一席アルベリク・ラウゼン。
大きく動いているわけではない。
声を出してもいない。
それなのに、部屋の中心がどこかと問われれば、誰でもそこを指すだろうと思える座り方だった。
圧、という言葉で済ませるには静かすぎる。
だが確実に、そこに場の重さが集まっている。
ルークは無意識に、もう一度だけ空席を見た。
「ルーク・エスハルト」
不意に声が落ちた。
第四席バシュレルだった。
「そこへ」
示されたのは、席ではない。
壁際寄り、だが全員の顔が見える位置だった。
つまり、発言者の立つ場所だ。
ルークは短く一礼して、そこへ移った。
やがて扉が閉まる。
それで十分だった。
もうここから先は、外の王都とは別の場所になる。
最初に口を開いたのはアルベリクだった。
「では始める」
低い声だった。
大きくはない。
だが、その一声だけで部屋の空気が一段深く沈む。
「議題は三つ」
視線が机上の板束へ落ちる。
「第六席ディルク・ヴェスター死亡。第七席ヴァルト・グレイン死亡。そして教会側の介入」
ルークは口の中が少し乾くのを感じた。
並べられると、改めて異常だった。
ここ数日で席持ちが二人死んだ。
しかもどちらにも教会の影がついて回っている。
「クレイグ」
第一席が言う。
「報告を」
「はい」
クレイグは席を立たないまま、低く口を開いた。
「第六席ディルク・ヴェスターは、教会管理区域に近い旧祈祷院地下で死亡。王国側の到着時点で、教会はすでに現場と死体を押さえていた」
イゼルナが目を細める。
「早すぎるわね」
「同感だ」
クレイグは続けた。
「さらにヴァルト・グレイン死亡。森の現場は我々が先着したが、確認後まもなく教会側が介入した。本来なら教会が関わる筋の薄い案件だ」
バシュレルがそこで小さく鼻を鳴らした。
「ずいぶんと忙しいな、あちらさんは」
声音は軽い。
だが目は笑っていない。
クレイグがさらに板を一枚ずらす。
「ヴァルトの現場から読めるのは、正面からの決着。長い探り合いの末、最後に一段、相手の速度か重さが変わっている。勝者も無傷ではないが、長居せず離脱している」
「それでアシュ・ヴァレンの可能性があると……」
イゼルナが言った。
確認というより、すでに答えを知っている声だった。
「可能性は高い」
クレイグが答える。
「だが、単にあの小僧が強かったで済ますな。問題は、その後ろの流れだ」
そこでバシュレルが、わずかに体勢を変えた。
「教会側と通じていた、ということかな。ヴァルトが」
部屋の空気が少しだけ張る。
ルークは一瞬だけ息を止めた。
クレイグは否定しなかった。
「可能性はある」
「まあもともと、あやつは教会推薦の人間だった。不思議ではあるまい」
バシュレルはそこで笑わなかった。
ただ、年長らしい落ち着いた顔で言う。
イゼルナが指先で机を軽く叩いた。
「気になるのは、教会側の介入の早さだ」
「たしかに。あらかじめこうなることを知っておったか。あるいは、教会からこうなるように仕向けたか」
バシュレルも頷く。
「だとすれば目的はおのずと絞られるな」
クレイグが返す。
そこで初めて、第一席の視線がルークへ向いた。
「お前は神子候補捜索に加わっていたな」
低い声だった。
問いかけなのに、逃げ場のない響きがある。
「はい」
ルークは即座に答える。
「見たものを話せ」
余計な言葉はいらない、という口調だった。
ルークは一度だけ息を整えた。
「神子候補フィアナ・ルーシェ、白獣、そして元第七席アシュ・ヴァレンを実見しています」
全員の視線が集まる。
それだけで背筋が冷える。
だが、ここで躊躇しても意味はない。
「教会側は候補の捜索に深く関わっていました。旧祈祷院でも候補と管理という言葉を平然と使っていまました。第六席がその近くで死に、第七席死亡にも教会が異常な速度で介入したなら、神子候補の件と分けて考えるべきではないかと思います」
言い切って、口を閉じる。
会議室は静かだった。
誰もすぐには声を重ねない。
やがてイゼルナがゆっくり言う。
「悪くない見方ね」
認める口調だった。
だが、温かさはない。
「候補と席持ちの死が、ひとつの流れにある、と」
「そう考えるのが自然です」
ルークが答えると、バシュレルが目を細めた。
「自然か。だが自然で済ませるには、王都の中がずいぶんと歪んできておるな」
「だからこその臨時列席会だ」
クレイグが低く言う。
「この件は、もう個々の区画で抱えられる段階ではない」
第一席がそこで口を開いた。
「教会は何かを急いでいる」
その一言だけで、場がまた締まる。
アルベリクはわずかに視線を上げた。
「この件、ここから先は俺が預かる」
低い声だった。
大きくもない。
だが、その場にいる全員へ、逆らう余地ごと置かない響きがあった。
「各区画は勝手に動くな。教会側とのやり取りも含め、報告はすべて一度こちらへ上げろ」
ルークは息を浅くした。
この場では、自分の役目はもう終わりに近い。
だが終わったからといって楽になるわけではない。
むしろ、席持ちたちが同じ不穏を共有し始めたことの方が怖かった。
「アシュ・ヴァレンが王都に潜伏しているなら、まだなにか起きそうだな」
クレイグが言う。
「根拠は」
バシュレルが訊く。
「勘だ」
「だが、ここ数日ずっと当たっている」
その言葉に、誰も笑わなかった。
アルベリクが何か言いかけた、その時だった。
扉の外で激しい足音がした。
全員の視線がそちらへ向く。
この部屋の前で、ここまで慌てた音を立てる時点で異常だ。
扉が叩かれる。
第一席の許可を待つまでもなく、兵の顔色がただ事ではないのが伝わってきた。
アルベリクが短く顎を引く。
扉が開く。
飛び込んできた伝令の兵は、息を切らしながらもどうにか声を整えようとしていた。
「報告します!」
喉が張りつめている。
「教会本部西側処置区画にて大規模損壊! 側壁の一部が破壊され、現在、教会側と王国兵が周辺封鎖に動いています!」
会議室の空気が一気に変わった。
誰も大声を出さない。
だが、全員の意識が同時にそこへ揃ったのが分かる。
ルークの心臓が強く鳴る。
西側処置区画。
白い箱。
候補。
そして教会。
全部がここで繋がる。
クレイグが席を立つ。
バシュレルも続く。
イゼルナはすでに次の一手を考えている顔だった。
そして第一席が、静かに立ち上がった。
「行くぞ」
ただそれだけだった。
なのに、その一言で場は完全に決まる。
ルークも反射で背筋を伸ばした。
臨時列席会は終わったわけではない。
だが、ここから先は椅子に座って話す段階ではない。
王都の内側で静かに軋んでいたものが、ついに表へ破裂した。
クレイグが横目でルークを見る。
「お前も来い」
「……はい」
返事はもう、考える前に出ていた。
扉の外では、王都のざわめきが明らかに一段増している。
静かに歪んでいたものが、ようやく音を立てた。
ルークは会議室を出る直前、一度だけ空席になった第六席と第七席の席を見た。
席持ちが二人消えた。
教会は何かを隠している。
そして今、その本丸の一部が壊れた。
もう戻れない。
そう思った。
第86話でした。
ついに教会本部破壊の報が入り、王都の静かな歪みが一気に表へ噴き出します。
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