第85話 集められた断片
森から戻っても、雨はまだ少し降り続いていた。
ルークは第三区画の詰所へ入る前に、一度だけ小さく息を吐いた。
ヴァルトは死んでいた。
あの森の傷跡は、まだ目の奥に残っている。
詰所の中は、表向きいつも通りだった。
兵が出入りし、机には板と紙が積まれ、誰かが低い声で伝達を回している。
だが、やはり空気は違う。
皆、口にしないだけで知っている。
第六席が死に、第七席も死んだ。
ここ数日で、席持ちが二人消えた。
それをいつも通りの顔で飲み込めるほど、王都の内側は鈍くない。
ルークが中へ入ると、すでにクレイグがいた。
第三席は椅子に座っていた。
だが休んでいる顔ではない。
机の上には板束がいくつも広げられ、その周囲に部下たちが立っている。
旧祈祷院地下。
第六席ヴェスター死亡。
第七席ヴァルト死亡。
ばらばらだったものを、ここで一本に束ねようとしているのが見ただけで分かった。
「来たか」
クレイグが顔を上げる。
「はい」
「座れ」
ルークは命じられた椅子に腰を下ろした。
その間にも、部下の一人が板を一枚差し出す。
「整理する」
低い声だった。
部屋の空気がさらに締まる。
「第六席ディルク・ヴェスター死亡。場所は教会管理区域の旧祈祷院地下」
クレイグが言う。
「こちらの到着時点で、教会側はすでに死体を内部へ移送済み。現場も押さえていた」
ルークは黙って聞く。
あの夜の光景が頭に戻る。
入口の前で一歩も退かなかった白衣たち。
クレイグは続ける。
「次にヴァルト・グレイン死亡。森の現場は我々が先着した」
そこで一度だけ、ルークの方へ視線が向いた。
「現場を確認した結果、正面からの決着。勝者も無傷ではない。長居はしていない」
部下の一人が低く言う。
「元第七席アシュ・ヴァレンの可能性が高い、ということですね」
「ああ」
クレイグは短く答える。
「だが、問題はそれだけではない」
その一言が重かった。
単純にアシュが強かっただけで済ませたくないのだろう。
実際、今起きていることはそこまで単純ではない。
「教会側の動きが早すぎる」
クレイグが板の端を指で押さえた。
「第六席の件は言うまでもない。ヴァルトの件も、我々が到着した直後に介入してきた」
ルークが言う。
「しかも介入してきた理由が不明ですね」
「ああ」
クレイグが頷く。
「王国の席持ちの死体に、教会がそこまで早く絡む筋はない」
「偶然ではない、と」
ルークが言うと、クレイグは即答した。
「ヴァルトが教会側と通じていた可能性は大いにある」
部屋の端で立っていた部下が、小さく息を吐いた。
「席持ちが教会と?」
「もともとヴァルトにはその疑いがあった。他の席持ちも何人か心当たりはある」
「他の席持ち……いったい誰なんですか」
クレイグは答えない。
王国の剣たる席持ちが、教会とつながっている。
もしそれが事実なら、国を握っているのは王国ではなく、教会という事もあり得るのか。
ルークは、考えを飛躍せざるを得なかった。
ふと、昨日の巡回中に見た白い箱を思い出していた。
白衣に付き添われた下働き。
白布で覆われた荷。
何も知らない顔で通りを進んでいた列。
それは王都のどこにでもある風景に見えた。
だが今は、そのどれもが別の意味を帯びている。
「神子候補の件と、第六席の件は繋がっていると思います」
ルークが言う。
部屋の中の視線が集まる。
「根拠は」
「明確なものはありません」
ルークは正直に答えた。
「ですが、神子候補の捜索に教会が深く噛んでいたこと。旧祈祷院で候補や管理という言葉が平然と出たこと。第六席がその近くで死んだこと。偶然で重なりすぎています」
クレイグはしばらく何も言わなかった。
だが否定もしない。
「そしてヴァルトの件にも、アシュ・ヴァレンが関与している可能性が高い」
ルークは続ける。
「元第七席が現席持ち二人の死に関わっている。それを教会が異常な速度で追っているなら、フィアナ・ルーシェを含めて一つの流れとして見るべきです」
言い終わると、部屋の空気が少しだけ重くなった。
言葉にしたことで、曖昧だったものの輪郭がさらに嫌な形で固まる。
クレイグがようやく口を開く。
「悪くない」
短い評価だった。
だが、それで十分だった。
「少なくとも、上に上げるには足りる」
そう言って、クレイグは机上の板を数枚まとめた。
「私から報告を上げる」
部下がすぐ頷く。
すでにその準備はできていたらしい。
他の席持ちも教会と繋がっているなら、ここまでの情報を上げるのは危険ではないのか。
いや。
クレイグ卿の判断はいつも正しい。
ルークは椅子に座ったまま、小さく息を吐いた。
ここから先は、もう第三席だけの判断では動かない。
上へ行く。
もっと重い連中のところへ届く。
それが分かるだけで、胃の奥が少し硬くなる。
「ルーク」
クレイグの声で顔を上げる。
「はい」
「お前は神子候補捜索で、あの一行を実際に見ているな」
「……はい」
クレイグはそれを確認すると、一度だけ視線を落とした。
何かを決めた顔だった。
「おそらく数日後、臨時列席会が開かれる」
ルークの眉がわずかに動く。
列席会。
席持ちが一堂に会して、国内外の情勢を話し合う会議。
「今回の件に関連しそうな話はすべて上げる」
「……そうですか」
「お前も来い」
ルークは一瞬、言葉を失った。
「わたしも、ですか」
素で出た声だった。
取り繕う余裕が、一拍遅れた。
クレイグは表情を変えない。
「この一件は教会が大きく関わっている可能性がある」
低い声が、机の上の板束よりも重く落ちる。
「お前は神子候補捜索で多くのものを見たはずだ。第一席が直接報告を受けたいそうだ」
第一席。
その名が出た瞬間、部屋の空気がさらに一段沈んだ気がした。
ルークはすぐには返事ができなかった。
第一席アルベリク・ラウゼン。
席持ちの中でも、さらに一格の重さを持つ男。
その人間が、直接報告を求めている。
末端ではないとはいえ、ルークからすれば十分すぎるほど重い。
「……分かりました」
ようやく答えると、クレイグはそれ以上は何も言わなかった。
決まったことに、余計な言葉はいらないという顔だった。
部下たちがまた動き始める。
板をまとめる者。
伝令を出す者。
記録を整える者。
部屋全体が、次の段階へ滑り込んでいく。
ルークだけが少し遅れて、その流れに飲み込まれた気がしていた。
クレイグが最後に一言だけ落とす。
「気を抜くな」
ルークは顔を上げる。
「会議までの数日で、さらに何か起きてもおかしくない」
「……はい」
「もう、そういう段階だ」
部屋の外では、王都が相変わらず平然とした顔をしていた。
人が歩き、荷車が通り、店が開いている。
だが、その平然とした顔の裏で、静かに歯車の噛み方が変わっている。
ルークは机上の板束を見た。
どれもまだ完全には繋がっていない。
それでも、もう無視できる段階ではなかった。
臨時列席会。
その場に、自分も呼ばれる。
ルークは小さく息を吐き、乱れた上着の裾を直した。
胸の奥にあるざらつきは、まだ消えない。
たぶん、会議が終わっても消えないだろう。
むしろ、もっとはっきり形になる。
そんな予感だけが、もう嫌になるほど濃く残っていた。
第85話でした。
今回は森から戻ったあと、これまで集まった情報をクレイグたちが整理し、第一席まで情報が上がる直前になりました。
少しでも続きが気になったら、
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