第84話 雨の森
少し雨が降っているせいか、朝の空気は冷えていた。
ルークが詰所へ向かって歩いていると、前方の通りを横切る一団が見えた。
先頭にいるのはクレイグ。
その後ろに部下が数人。
全員、装備は軽いが、足取りに迷いがなかった。
ルークは思わず歩みを速めた。
「クレイグ卿」
呼びかけると、第三席は足を止めずに少しだけ顔を向けた。
「ルークか」
短い声だった。
「呼びに行かせるところだった。ついてこい」
その言い方になにか不穏さを感じた。
しかし質問することはなく、ルークは黙ってその列へ加わった。
王都の西外れへ向かうにつれて、人の気配は薄くなっていく。
店は減り、建物は低くなり、石畳も荒れてくる。
さらに森へ近づく頃には、通りを歩く人間そのものがほとんどいなくなった。
先導している部下の一人が、低い声で報告する。
「今朝方、巡回から戻る途中に見つけたそうです」
「発見したものは」
クレイグが訊く。
「うちの西側担当の者です。森の入口付近でうっすらとした血の跡を見つけて、中を確認したところで」
「遺体には触れたか」
「いえ。確認だけして、すぐ報せに走らせました」
「ならいい」
クレイグはそれ以上は言わなかった。
森へ入る。
湿った土の匂いが濃い。
踏みしめるたびに、枯れ葉と細い枝が鈍く鳴る。
雨が降っているが、それでも完全には洗い流しきれていないものがあった。
「こっちです」
先導の兵が足を緩める。
少し開けた場所だった。
そこで、ルークは息を止めた。
ヴァルト・グレインが木にもたれるようにして死んでいた。
首から胸元にかけて血が乾き、雨に削られた跡がその上を薄く走っている。
顔は少しだけ上を向いていた。
苦悶とも、驚きともつかない、止まりきらない表情だった。
クレイグが近づく。
まず全体を見る。
次に遺体。
最後に、周囲。
ルークは少し離れた位置で、その様子を見ていた。
感傷を挟む空気ではない。
だが、軽く扱う空気でもない。
クレイグが低く言う。
「悪くない腕だな」
誰に向けたものでもない独り言みたいだった。
だが全員が聞いている。
「あのヴァルトにここまで傷を負わせるとは」
ルークも視線を落とす。
たしかに。
ヴァルトは嫌な奴だった。
だが、第七席という名に恥じない強さを持っていた。
クレイグが木の傷へ視線を移す。
「斬り合いは長いな」
「長い、ですか」
ルークが訊くと、クレイグは頷いた。
「探り合いをしている。枝と幹の傷の角度が何度も変わっている」
部下の一人が息を呑む。
「一方的ではない、と」
「当然だ」
クレイグの声は冷たい。
「ヴァルトだぞ」
その一言で十分だった。
クレイグは遺体の足元を見た。
「だが、最後は押し切られている」
ルークの喉が少し乾いた。
「押し切られた」
「ああ」
クレイグは淡々と続ける。
「正面からだ。途中まで互いに読み合っている。だが最後に一段、速度か重さが変わっている」
その言葉で、ルークの頭にある男の顔が浮かぶ。
アシュ・ヴァレン。
口には出さない。
だが、たぶんクレイグ卿も同じ名を頭に置いている。
クレイグがさらに言う。
「勝った側も相当な手傷を負ったはずだ。長居していない」
ルークが森の奥へ目をやる。
乱れた足跡はある。
だが、そこで立ち尽くした痕はない。
決着のあと、勝者はすぐ離れている。
森の空気がまた一段冷えた気がした。
ヴァルトとアシュ。
ただ出会って斬り合ったのではない。
因縁があって、その末にここで決着した。
「遺体を回収しろ」
クレイグが言う。
部下が動きかけた、その時だった。
森の入口側で枝を踏む音がした。
全員の動きが止まる。
クレイグが振り向くより早く、白衣が二人、木々の間から姿を見せた。
後ろには兵が一人。
さらに少し離れて、記録役らしき下働きがいる。
ルークの奥歯に力が入る。
早い。
いや、早すぎる。
この森は教会の管理区画ではない。
なのに、なぜ教会が来る。
先頭の白衣の男が、クレイグを見て足を止めた。
「……第三席」
声は静かだった。
だが、驚きは薄い。
まるで、来ていること自体は想定済みだったみたいな顔だ。
クレイグの目が細くなる。
「ずいぶん鼻が利くな」
低い声だった。
「ここは教会の管轄ではないはずだが」
白衣の男は表情を変えなかった。
「王都内外で席持ちが死んだとなれば、教会も無関係ではいられません」
「誰から聞いた」
クレイグが問う。
白衣の男は答えない。
代わりに、遺体へ一瞬だけ目を向けた。
「確認のために来たまでです」
「王国の管轄だ」
「教会としても、必要なことです」
クレイグは少しだけ遺体の前へ立つ位置を変えた。
さりげないが、確実に遮る立ち方だった。
「必要な確認は終わっている。報告は後日そちらにもいくだろう」
低く言う。
白衣の男はそこで初めて、ほんの少しだけ眉を動かした。
「教会としても記録は必要です」
「教会として、か」
クレイグの声音がさらに落ちる。
「ヴァルトは王国の席持ちだ。いつから森の死体にまでお前たちが口を出すようになった」
ルークはそのやり取りを黙って見ていた。
教会側は表向き、丁寧だ。
だが理由は弱い。
それでも顔色ひとつ変えない。
どこから嗅ぎつけた。
なぜここまで早い。
その答えを誰も口にしないまま、空気だけが冷えていく。
やがてクレイグが一つ息を吐いた。
「……もういい」
それは折れた声ではなかった。
必要なものは読み終えた人間の声だった。
「こちらの確認は済んでいる」
白衣の男は一礼する。
「助かります」
その言い方に、ルークは薄い苛立ちを覚えた。
まるで最初から、自分たちが後から来て受け取る流れまで含めて決まっていたみたいだったからだ。
クレイグは振り返りもしない。
「戻るぞ」
部下たちが動く。
ルークも一度だけヴァルトの遺体を見てから、その後に続いた。
森を出てから、しばらく誰も喋らなかった。
王都へ戻る道は、来た時より冷たく感じる。
空はまだ曇っている。
風もない。
なのに、嫌な感じだけがずっと肌にまとわりついていた。
やがてルークが低く言う。
「……ここ数日で、席持ちが二人も死んでいます」
クレイグは前を向いたまま答える。
「そしてどちらも、教会が関わっている可能性がある」
「なぜ教会が」
「分からん」
短い返事だった。
「だが、偶然ではない」
その一言で十分だった。
クレイグはさらに続ける。
「思い当たることはあるだろう。お前も」
ルークは唇を結ぶ。
神子候補フィアナ・ルーシェ関連だろう。
もっと言うなら、アシュ・ヴァレンが関与している。
なぜ元第七席が、現席持ちを殺している。
そんなことを考えていると、クレイグが口を開いた。
「一度情報を整理する。第三区画へ集合だ」
ルークは顔を上げた。
「報告は」
「それは後回しだ」
「……はい」
クレイグは少しだけ歩みを緩めた。
「この王都で、何かが起ころうとしているな」
その言葉には、昨夜よりもはっきりした重さがあった。
ルークは小さく頷く。
ヴァルトが死んだ。
第六席も死んだ。
そして教会は、どちらにも早すぎるほど深く絡んでいる。
王都の空気はまだ表向き崩れていない。
けれど内側では、もう静かに裂け始めている。
ルークは上着の裾を整え、王都の門を見た。
あそこへ戻れば、また何事もない顔をした街が広がっている。
だが、もうその顔をそのまま信じる気にはなれなかった。
第84話でした。
今回はヴァルトの遺体の発見と、その件に教会が介入してくる流れでした。
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