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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第10章 王都の混乱

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第81話 帰還の日

 王都へ戻った時、空は薄く曇っていた。


 雨はもう上がっている。

 けれど石畳の隙間や、建物の影にはまだ湿り気が残っていて、空気の奥にも水の匂いが沈んでいた。


 ルークは門をくぐりながら、小さく息を吐く。


 長く出ていたわけではない。

 だが、王都の内側へ戻るたびに、どうにも肩が重くなる。

 石の壁も、兵の視線も、白衣の人間たちも、外から帰ると前より少し息苦しく見える。


 それでも今日は、まだ露骨におかしいわけではなかった。


 人は道を歩き、荷車も通る。

 店の戸も開いている。

 王都は、いつも通りといえばいつも通りだ。


 ルークは詰所へ向かう道を歩きながら、上着の留め具を指先で直した。


 フィアナ捜索は失敗。

 そう報告すれば終わる。

 終わるはずだった。


 だが、胸の奥に残っている感触は、ただの失敗で片づくものではない。


 アシュ・ヴァレン。


 あの男の顔を思い出すたび、腹の底がざらつく。

 追うべき相手だ。

 分かっている。

 なのに、割り切れない何かがいつまでも残る。


 詰所の裏手へ回った時、向こうから灰色の衣が見えた。


 ルークの背筋がわずかに伸びる。


「……ヴェスター卿」


 ディルク・ヴェスター。

 第六席。


 相手は足を止めない。

 だがルークの声に気づくと、わずかに視線だけを向けた。


「たしか……ルークとか言ったか。クレイグの所の」


 声は低く、平坦だった。


「はい。先ほど、神子候補捜索から帰還しました」


「成果は」


「……ありません」


 ルークは短く答える。


「フィアナの確保には至りませんでした」


 ディルクはそれ以上問い詰めなかった。

 責めもしない。

 慰めもしない。


「そうか」


 それだけだった。


 そのまま通り過ぎそうになるのを見て、ルークは少しだけ迷った。

 だが結局、口を開く。


「ヴェスター卿」


 ディルクの足が、今度はほんの少し止まった。


「何だ」


「王都の空気が、少し違うように見えますが、何かあったのですか」


 ディルクは黙った。


 否定もしない。

 肯定もしない。

 その沈黙の長さだけで、ルークは自分の違和感が的外れではないと知る。


「教会には近づくな」


 やがてディルクが言った。


 短い。

 だがそれだけで、腹の底が冷えるには十分だった。


「……何かあるんですか」


「知らなくていい」


 即答だった。


「お前は今、追う相手を間違えるな」


 ルークの眉が寄る。


「それは」


「以上だ」


 ディルクはそこで会話を切った。


 もう用は済んだとでも言うように歩き出す。

 引き止める空気ではない。

 そもそも、この男を引き止めてまともに答えが返ってくること自体、あまりない。


 それでも、今日は少し違った。


 いつも以上に言葉が少ない。

 少ないくせに、余計なものだけ残す。


 教会には近づくな。

 追う相手を間違えるな。


 その言葉が、やけに重い。


 ルークは去っていく背中を見送りながら、小さく息を吐いた。


「何なんだ……」


 問いかけたところで、答える相手はいない。


 ディルクはもともと多くを喋る人間ではない。

 だが今のは、それだけでは済まない何かを知っている顔だった。


 ルークは詰所へ入り、報告だけを先に済ませることにした。


 室内はいつも通りだった。


 ルークは手短に報告を終えた。


 フィアナの所在は掴めず。

 痕跡が途絶えたため追跡不能。


 淡々と告げる。

 必要なことだけを並べる。


 報告を受けた兵は、困ったように眉を寄せただけで、特に責めもしなかった。

 今の王都では、それぞれがそれぞれの持ち場で手一杯なのだろう。


 ルークはそのまま詰所の端で記録板を整理し、指示待ちのまましばらく時間を潰した。


 窓の外では、曇った空がゆっくり色を変えていく。

 夕方が近い。

 廊下を行き来する足音も、昼間より少しずつ増えていた。


 その間にも、何度か白衣の人間が詰所の前を通った。

 王国側の兵と短く言葉を交わし、そのまま上の区画へ向かっていく。

 急いでいるのに、慌てているふうではない。

 そういう動き方が、かえって気に障る。


 ルークは書きかけの記録から目を上げた。


 廊下の向こうで慌ただしい足音がしたのだ。


 急いでいる。

 だが叫んではいない。

 隠すべきものを抱えて走る足音だった。


 ルークは無意識にそちらを見た。


 兵が二人。

 どちらも顔色が悪い。

 上の部屋へ向かっている。


 その一人が角を曲がる直前、小さく漏らした言葉だけが耳に引っかかった。


「……第六席が」


 ルークの足が止まる。


 次の言葉は聞き取れなかった。

 だが、聞き返す前に二人はもう角の向こうへ消えていた。


 ルークは反射的にそちらへ歩き出した。

 だが、廊下の途中で別の兵に止められる。


「ルーク」


 顔見知りだった。

 その男も顔色が悪い。


「今、上が慌ただしい。勝手にうろつくな」


「何があった」


 ルークが低く訊く。


 男は一瞬だけ視線を逸らした。


「……まだ正式な情報ではない」


「なら噂でもいい。何があった」


「ヴェスター卿が殺されたらしい」


 その一言で、音が消えた気がした。


 ルークはすぐには返せなかった。


 殺された。

 誰が。

 さっきまで歩いていた第六席が。

 無口で、細くて、何を考えているのか読めないあの男が。


「嘘だろ」


 ようやく出た声は、自分でも情けないほど乾いていた。


「俺もそう思ったよ」


 兵が低く返す。


「でも、上が一気に動いた。たぶん本当だ」


 ルークの喉がひりつく。


 ほんの少し前に会ったばかりだ。

 数を数えるほどの言葉しか交わしていない。

 なのに、その短い会話だけがやけに鮮明に頭へ残っている。


 教会には近づくな。

 追う相手を間違えるな。


 何を知っていた。

 何に向かおうとしていた。


「……どこで」


 ルークが訊くと、兵は首を振った。


「まだ詳しくは落ちてない。ただ、旧祈祷院の方だって話だ」


 旧祈祷院。


 その名前だけで、さっきまで別々だった違和感が急に一本へ繋がる。


 フィアナ。

 アシュ。

 教会。

 ディルク。


 嫌な感じだった。


「おい」


 兵が声をかける。


「大丈夫か?顔色悪いぞ」


「……別に」


「別に、じゃねえだろ」


 だが、その先は続かなかった。


 今度はもっとはっきりした足音が近づいてくる。

 伝令だ。


 若い兵が息を切らしながら廊下を走り、ルークの前で止まった。


「ルーク・エスハルト!」


「何だ」


「第三区画へ。至急」


「……分かった」


 返事をしながら、ルークは一度だけ目を閉じた。


 戻ってきた日のはずだった。

 ただ報告を終えて、次の命令を待つだけの日になるはずだった。


 それが、もう違う。


 第六席が死んだ。

 しかも、自分が会ったその日のうちに。


 ルークはゆっくり目を開け、上着の裾を払った。


 考えるのは後だ。

 今は動く。


 だが、足を踏み出した瞬間にも、さっきのディルクの声だけが妙にはっきり耳に残っていた。


 ――教会には近づくな。


 それが忠告だったのか。

 命令だったのか。

 あるいは、死ぬ前にようやく零した本音だったのか。


 もう確かめる相手はいない。


 ルークは歯を食いしばり、そのまま第三区画へ向かった。

第81話でした。


第10章という事で、ここから少し視点を変えて、ルーク側から王都の動きを見る流れに入っていきます。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。

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