第8話 灰祈りへ
第8話です。
礼拝堂の奥に残されていたものが、
アシュたちを次の場所へ導いていきます。
礼拝堂の中に、しばらく誰も声を出さなかった。
セレナの残した空気だけが、まだそこに貼りついているようだった。
フィアナは床に座り込んだまま、俯いている。
ルゥはそのすぐそばに丸まり、耳だけをぴんと立てていた。
アシュは入口から視線を外さないまま、しばらく外の気配を探る。
追手はまだ近くにいる。
だが、踏み込んでくる気配はない。
今すぐ仕掛けるより、逃げ道を狭める方を選んだのだろう。
気に食わないが、あの女ならそうするだろう。
やがてアシュは小さく息を吐き、礼拝堂の奥へ視線を向けた。
さっきの音。
崩れた祭壇の下から聞こえた、かすかな金属音。
「……動けるか」
フィアナはすぐには答えなかった。
少し遅れて、かすかに頷く。
「はい……大丈夫です」
「その“大丈夫”は信用ならない」
アシュが言うと、フィアナはほんの少しだけ口元を動かした。
笑った、というほどでもない。
でも、完全に折れてはいないと分かるくらいには、表情が戻っていた。
アシュはそれ以上何も言わず、祭壇の方へ歩いた。
石造りの祭壇は半ば崩れていて、床との隙間に黒い影が沈んでいる。
その奥に、確かに何かが見えた。
金属だ。
古びた銀色の光が、わずかに覗いている。
「下がってろ」
アシュは片膝をつき、崩れた石をひとつずつどかしていく。
見た目より重い。
しかも、ただ崩れたというより、意図的に埋められたような積み方だった。
ルゥが低く鼻を鳴らす。
フィアナも、少し離れた場所からじっとそれを見つめていた。
やがて、最後の石片をどかしたところで、それは全体を現した。
古びた銀の円盤だった。
掌よりひと回り大きい程度。
表面には複雑な刻印が刻まれている。
中央には、何かの紋章のようなもの。
だがそれは、王国の紋でも、教会の聖印でもなかった。
「……見せてください」
フィアナが近づく。
アシュは一瞬だけ迷ったが、黙って円盤を差し出した。
フィアナはそれを両手で受け取る。
その瞬間、白い光がかすかに滲んだ。
アシュの目が細くなる。
「またか」
「今度は、前より……浅いです」
フィアナの声はまだ弱い。
だが、円盤を持つ手は震えていなかった。
白い光が刻印の溝をなぞるように走っていく。
その軌跡を見た瞬間、アシュは違和感を覚えた。
この紋様を、知っている。
どこで見たのかはすぐに出てこない。
だが、確かに一度見ている。
「……これ」
フィアナが呟く。
「地図、みたいです」
「地図?」
「全部じゃありません。でも、どこかを指してる」
彼女は円盤の端を指先でなぞった。
そこには細い線と、いくつかの印が刻まれている。
ただの装飾ではない。
意図を持って刻まれたものだ。
「ここ……たぶん、礼拝堂です」
「分かるのか」
「完全には。でも、ここから北へ向かう線がある」
アシュの胸の奥で、嫌な予感が形を取る。
北。
この礼拝堂から北へ進んだ先にあるものなど、ひとつしか思い浮かばない。
「……灰祈りの村か」
言葉にした瞬間、礼拝堂の空気が少しだけ冷えた気がした。
フィアナが顔を上げる。
「知ってるんですか」
アシュはすぐには答えなかった。
答えようとすると、喉の奥に焼けた煙の味が蘇る。
それを押し込めるように、アシュは短く言った。
「知ってる」
それだけだった。
だが、それだけで十分だったらしい。
フィアナはそれ以上深くは聞かなかった。
代わりに、円盤を見つめたまま言う。
「この礼拝堂……ただの廃墟じゃなかったんですね」
「だろうな」
ルゥが間を縫うように、祭壇のまわりをくるりと回る。
それから、ふいに北側の壁際で足を止めた。
耳を立て、じっと一点を見つめる。
「どうした」
アシュが声をかけると、ルゥは壁の向こうを嗅ぐように鼻を動かした。
次の瞬間、小さく唸る。
アシュの顔つきが変わる。
「来たか」
外だ。
さっきまで遠巻きだった気配が、また近づいてきている。
しかも今度は数が増えている。
「フィアナ」
「はい」
「立てるな」
彼女はすぐに頷いた。
さっきまでの沈んだ様子はまだ残っている。
だが、足に力は入っていた。
それを見てアシュは少しだけ安心し、円盤を上着の内側へしまう。
「ここを出る」
「追手が?」
「追手もだが、それだけじゃない」
ルゥの唸り方が変わっていた。
人間相手の時より低い。
もっと本能的な警戒だ。
「魔物か」
アシュが呟くと、礼拝堂の外から、木が軋むような音がした。
大きい。
複数ではないが、質が悪い。
「……穢れを引いてるな」
教会兵と王国兵の死体、戦闘の血、加護の発動。
ここ数時間で、この場所は匂いを撒きすぎた。
呼び寄せてもおかしくない。
「裏から出るぞ」
アシュは礼拝堂の奥へ向かう。
崩れた壁の隙間。
昨夜、いざという時の退路として確認していた場所だ。
フィアナがその後に続き、ルゥが最後尾につく。
外へ出た瞬間、朝の冷気が肌を刺した。
東の空は少しだけ明るくなっている。
夜と朝の境目。
いちばん人も獣も動きやすい時間だ。
アシュは一度だけ振り返り、礼拝堂を見た。
崩れた石壁の向こうから、黒い気配がじわじわと滲んでいる。
長居は危険だった。
「北へ行く」
フィアナが顔を上げる。
「……灰祈りの村へ?」
「ああ」
「そこに、何があると思いますか」
アシュは少しだけ考えた。
答えは出ている。
だが口にしたくなかった。
「ろくなものが残ってるとは思えない」
それでもそう言うしかない。
「でも、教会が隠したいものがあるなら、そこだ」
フィアナは黙って聞いていた。
やがて、小さく息を吸う。
「行きます」
その返事は、思ったより早かった。
アシュが見ると、フィアナはもう俯いていなかった。
「……戻りたくないです」
静かな声だった。
「でも、逃げるだけで終わりたくもない」
その言葉に、アシュは何も返さなかった。
代わりに少しだけ視線を逸らし、前を見る。
それで十分だった。
フィアナはもう、自分の足で進もうとしている。
なら止める理由はない。
「無理はするな」
「はい」
「死ぬな」
「それ、命令ですか」
「そうだ」
フィアナがほんの少しだけ笑う。
その笑みは、これまで見せてきた作ったようなものじゃない。
まだ弱いが、それでも自分の意志で浮かべたものだった。
アシュはそれを見て、何も言わずに歩き出す。
森の北へ。
灰祈りの村の方角へ。
ルゥが先に駆け、また少し戻ってくる。
まるで、急げと言うように。
その時、背後で礼拝堂の方から獣の咆哮が響いた。
低く、濁った声。
それに混じって、人の怒号も聞こえる。
追手と魔物が、ほぼ同時に礼拝堂へ踏み込んだのだろう。
「……間に合ったな」
アシュが低く言う。
フィアナが後ろを振り返る。
だが彼は止まらない。
「見るな。行くぞ」
短く言って、歩調を上げる。
フィアナもすぐに前を向いた。
もう戻らない。
戻れない、ではなく。
戻らない。
その違いだけが、今は確かにあった。
朝靄の向こうに、森の輪郭が続いている。
その先にあるのは、アシュが最も近づきたくなかった場所だ。
灰祈りの村。
四年前、自分が焼いた村。
消えない火と、消えない罪が残る場所。
だが今度は、斬るためではない。
確かめるために行く。
あの日、自分が何を燃やしたのかを。
何を見ないまま、剣を振るってしまったのかを。
アシュは一度だけ、上着の内側にしまった銀の円盤へ触れた。
冷たい感触が、現実を引き戻す。
逃げるだけでは終われない。
なら進むしかない。
灰の中へ。
第8話でした。
礼拝堂に残されていたものをきっかけに、
アシュたちはついに灰祈りの村へ向かうことになります。
ここから、物語の“核”に近づいていきます。
もし少しでも面白いと思っていただけたら、
ブックマーク
評価
感想
などいただけると、とても励みになります。
次話もよろしくお願いします。




