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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第1章 灰はまだ祈りを知らない

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第7話 器の価値

第7話です。

今回は、神子候補として育てられたフィアナの過去と、

それを“正しい”とする側の理屈に触れる回です。

 礼拝堂の外で、枯れ枝を踏む音がした。


 ひとつではない。


 複数だ。


 しかも、隠す気のない足取りだった。


 アシュは剣を抜いたまま、入口の前に立つ。


 礼拝堂の中はまだ冷えていたが、先ほどまでの静けさとは別の、張り詰めた空気が満ちていた。


 フィアナは壁際に座ったまま、呼吸を整えている。


 顔色はまだ悪い。


 祭壇に触れた反動は、かなり重いらしかった。


 白い小さな獣は、その少し前で低く唸り、入口の奥を睨んでいた。


「来るな」


 アシュは小さく言った。


 返事の代わりに、足音が止まる。


 数秒の沈黙。


 その後、礼拝堂の入口にひとつの影が現れた。


 女だった。


 淡い色の長い髪。

 聖職者の装い。

 整いすぎた笑み。


 夜明け前の薄明かりの中でも、その女の輪郭だけが妙に鮮明に見えた。


 アシュはわずかに目を細める。


 教会の人間だと、一目で分かった。


 ただし、そこらの執行兵とは格が違う。


「久しぶりですね、フィアナ」


 女は柔らかく言った。


 その声を聞いた瞬間、フィアナの肩が目に見えて強張る。


 青い瞳に浮かんだのは、安堵ではなく警戒だった。


「……セレナ様」


 かすれた声だった。


 敬意ではない。


 長く染みついた呼び方が、先に出ただけだ。


 女――セレナは、礼拝堂の入口に立ったまま中を見回した。


 崩れた祭壇。

 壁際のフィアナ。

 剣を構えるアシュ。

 そして唸る白い獣。


 すべてをひと目で把握して、なお少しも慌てない。


 それが余計に不気味だった。


「追手にしては、随分少ないな」


 アシュが低く言う。


 セレナは微笑んだ。


「今ここで必要なのは兵ではなく、会話です」


「会話で連れ戻せると思ってるなら、甘いな」


「いいえ」


 セレナは穏やかなまま答える。


「連れ戻すことに、会話の必要はありません」


 その言い方に、アシュの眉がぴくりと動く。


 だがフィアナは、むしろその言葉を聞いて表情を固くした。


 予想していたのだろう。


 そういう人間だと、知っている顔だった。


「フィアナ」


 セレナは一歩だけ中へ入る。


 ルゥの唸り声が強くなる。


「こちらへ来なさい」


 命令だった。


 だが声音はどこまでも静かで、叱責も怒気もない。


 それがかえって、逃げ場のなさを際立たせる。


 フィアナは立ち上がろうとしなかった。


「嫌です」


 短く、はっきりと言う。


 セレナはほんのわずかに目を細めた。


「まだ子どもですね」


「……そうやって、いつも“未熟だから”って言って、考えることを奪ってきたじゃないですか」


 フィアナの声は震えていた。


 だが、目は逸らしていない。


「私が何を見て、何を思っても、全部“導きが足りない”で終わらせてきた」


 アシュは黙って聞いていた。


 セレナは小さく息をつく。


「あなたを奪ったのは、私ではありません」


「……え?」


「最初から、あなたには自由など与えられていない」


 その言葉はあまりに静かで、だからこそ冷たかった。


「あなたは神子候補です。生まれつき、そういう価値を持っていた」


「価値じゃない」


 フィアナが言う。


「私は……人間です」


「もちろん」


 セレナは頷いた。


「人間です。だからこそ、器になれる」


 礼拝堂の空気が凍る。


 アシュが一歩前へ出る。


「言葉を選べよ」


「事実を言っているだけです」


 セレナの視線が、ゆっくりとアシュへ向く。


「世界が、綺麗事だけでは保たないことを、あなたも知っているはずでしょう」


 フィアナの顔が青ざめていく。


「穢れは消えません。異端も、魔物も、祈りだけでは止まりません」


 静かに続ける。


「誰かが受け止めなければ、誰かが壊れなければ、この世界の均衡は保てない」


 フィアナの手が震える。


「だから、器が必要なんです」


 セレナの声は変わらない。


「あなたは選ばれた。それは不幸ではありません」


 少しだけ微笑む。


「多くの命を救う、尊い役目です」


「尊い……?」


 フィアナが笑った。


 乾いた、小さな笑いだった。


「壊れることが、ですか」


「必要なことです」


「死ぬことも?」


「場合によっては」


 迷いはなかった。


 アシュの中で、何かが切れた。


「……やっぱり同じか」


 低い声だった。


「灰祈りの村でも、そう言った奴がいた」


 フィアナが息を呑む。


「必要だ、選ばれた、世界のためだってな」


 セレナは表情を変えない。


「なら、理解は早いはずです」


 アシュの口元がわずかに歪む。


「理解してるから腹が立つんだよ」


 礼拝堂の空気が冷える。


「お前らの理屈は、いつも“必要な誰か”を決める側にいる」


 セレナは何も言わない。


「壊れるのはフィアナだ。選ばれるのも、捨てられるのも、フィアナだ」


「ですが、誰かが決めなければ」


「黙れ」


 アシュの声が低く落ちる。


 ルゥまで唸り声を強めた。


「決めることと、奪うことを同じにするな」


 セレナはしばらく黙っていた。


「……なるほど」


 わずかに笑う。


「あなたは、ようやく理解し始めたのですね」


 アシュの目が冷える。


「フィアナ」


 セレナが言う。


「その男といる限り、あなたは救われません」


 フィアナの肩が震える。


「その人は、あなたを守っているのではない。自分の罪を見ないために、あなたを使っているだけです」


 ルゥが一歩前へ出た。


 牙を剥く。


 セレナが視線を落とす。


「……その個体、まだ生きていたのですね」


 アシュが即座に反応する。


「お前、何を知ってる」


「知る必要はありません」


 言い切る声音に、一片の揺らぎもない。


「それは失敗例です。残しておく価値はない」


「やめてください」


 フィアナが前に出る。


「この子を、そんなふうに言わないでください」


 セレナはわずかに目を細める。


「変わりましたね」


 静かに言う。


「以前のあなたなら、飲み込んだはずです」


 フィアナは答えない。


「……見ました」


 小さく言う。


「子どもたちが、選ばれていくのを」


 沈黙。


「私も、その中のひとりだったんですか」


「ええ」


 セレナは即答した。


「あなたも候補でした」


 フィアナの呼吸が乱れる。


「ですが、それが何だというのです」


「違う……」


「違いません」


「違う!」


 白い光が、かすかに滲む。


「私は……そんなために生きてきたんじゃない」


 声が震える。


「最初から、捨てられるために生まれたわけじゃない」


「それを決めるのは、あなたではありません」


 その瞬間。


 アシュが前に出る。


「そこまでだ」


 剣がわずかに上がる。


「斬りますか?」


「必要なら」


 数秒の沈黙。


 セレナは小さく息をついた。


「……今日はここまでにしておきましょう」


 あまりにあっさりとした撤退だった。


「フィアナ。あなたは必ず戻ることになります」


 確信の声だった。


「器は、自分の価値から逃げられません」


 そしてアシュを見る。


「守るだけでは、何も救えませんよ」


 セレナは去っていった。


 気配もすぐに消える。


 沈黙。


 フィアナが崩れるように座り込む。


 ルゥがそっと寄り添う。


「……戻りたくない」


 小さな声。


 アシュは短く言う。


「戻させない」


 それだけだった。


 だが、迷いはなかった。


 その時。


 礼拝堂の奥から、微かな金属音がした。


 アシュが視線を向ける。


 崩れた祭壇の下。


 何かが、そこにあった。

第7話でした。


今回は、

フィアナが“器”として見られてきた現実と、

それを当然とするセレナの理屈に触れる回でした。


ここからさらに、


神子制度の残酷さ

灰祈りの村との繋がり

教会が隠しているもの


が近づいていきます。


もし少しでも面白いと思っていただけたら、


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次話もよろしくお願いします。

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