第77話 白い壁の奥
白い壁の奥は、やはり白くなどなかった。
動かなくなった灰色の異形を横目に、アシュたちはさらに奥へ進んだ。
通路は細い。
湿ってはいないのに、息苦しい。
石壁は冷たく、灯りは弱く、足音だけが妙に響く。
ルゥは完全に低い姿勢になっていた。
毛を逆立て、鼻先を床近くへ寄せながら進んでいる。
さっきの一体だけでは終わらないと、全身で告げていた。
「なんであいつらが教会の中にいやがるんだ」
ガルドが小さく言う。
ノアが先を見たまま頷く。
「その秘密が奥にあるかもしれない」
アシュは剣を持つ手に少しだけ力を込めた。
今の一体は軽かった。
速くはあったが、脅威というほどではない。
だが、それは最初だったからかもしれない。
その時、右側の木の扉の向こうで、また擦れるような音が鳴った。
全員の足が止まる。
次の瞬間、今度は左。
さらに前。
ひとつじゃない。
壁の向こうを、何かが這いずり回っている。
「囲ってやがるのか」
ガルドが吐き捨てる。
「いや」
ノアが低く言った。
「まるで引き寄せられてるみたいだな」
フィアナの顔色がさらに白くなる。
「呼ばれてるみたいです」
「誰にだ」
アシュが問う。
フィアナは喉元を押さえたまま、小さく首を振る。
「分かりません。でも……嫌な感じが、強くなってます」
その言葉と同時に、正面の扉が音を立てて内側から膨らんだ。
木が軋む。
次いで、薄い板が割れた。
灰色の腕が一本、二本と飛び出す。
人間の腕の形をしているのに、肘から先の長さが揃っていない。
指も多い。
無理やり束ねて人の形に寄せたみたいな気味悪さだった。
「来るぞ」
アシュが言った。
扉が破れ、異形が二体這い出してきた。
さっきと同じく小柄だ。
だが今度は、一体の背中が不自然に膨らんでいる。
もう一体は、片脚を引きずっているくせに異様に速い。
先に動いたのは引きずる方だった。
床を掻くように滑り、一直線にフィアナへ向かう。
アシュが間に入る。
斬る。
今度は横へ流さず、肩口から深く入れた。
灰色の身体が裂ける。
血とも泥ともつかない液が飛ぶ。
それでも異形は止まらない。
「ちっ」
押し返すより早く、ルゥが横から飛びかかった。
白い影が首筋へ噛みつく。
そのまま床へ叩きつけるように体重をかけた。
異形が潰れた声を上げる。
そこへガルドの矢が飛ぶ。
今度は喉。
矢は深く刺さり、異形の身体を床へ縫い止めた。
「まず一体!」
ガルドが叫ぶ。
同時に、背中の膨らんだ方が跳んだ。
人の跳び方じゃない。
膝を使わず、丸ごと浮いたみたいに壁を蹴る。
天井近くまで一気に上がり、そのまま落ちてくる。
ノアが手を振る。
細い光が走り、異形の軌道がほんの少しだけずれた。
それだけで十分だった。
アシュが半歩入り、落ちてきた身体を下から斬り上げる。
重い感触。
だが骨じゃない。
もっと繊維質の何かを断つ手応えだった。
異形は床へ落ち、なお動こうとする。
その白い目がぐるりと回った時、フィアナが短く息を吸った。
「いや……」
小さな声だった。
アシュがそちらを見るより早く、フィアナの手から淡い光が滑った。
強い光ではない。
だが、異形の白い目へ触れた瞬間、それは明らかに怯んだ。
身体が縮む。
うごめいていた口元がひときわ激しく震える。
「効いてるのか?」
ガルドが言う。
「分かりません……でも、嫌がってます」
「十分だ」
アシュは倒れかけた異形の頭を踏みつけ、そのまま剣を突き立てた。
ようやく、動きが止まる。
通路に重い静けさが戻る。
だが、それもまた長くは続かなかった。
前方の暗がりで、今度は複数の目が光った。
白い。
濁った、死んだみたいな白だ。
「まだいるぞ」
ノアが言う。
今度は三体。
しかもさっきより少し大きい。
背丈は人間に近いが、肩幅が異様に狭い。
その代わり腕が長く、指先が床を擦っている。
ルゥが低く唸った。
フィアナも顔を強張らせる。
「人の気配じゃありません」
「だな」
ガルドが矢をつがえる。
「腕がなるぜまったく」
三体はすぐには飛び込んでこなかった。
細い通路の先で、揃ってこちらを見ている。
待っているのか、測っているのか。
「普通の魔物じゃねえな」
アシュが低く言う。
「命令待ち、してるみたいだ」
ノアが短く返す。
教会はこういうものを使っている。
ただ生まれた異形じゃない。
選び、残し、従わせている。
その事実が、目の前の三体だけで嫌になるほど伝わってきた。
先に動いたのは真ん中の一体だった。
歩くというより、引き寄せられるように前へ出る。
遅い。
だが、その遅さは囮だった。
左右の二体が壁を蹴る。
「横だ!」
ノアの声と同時に、ガルドの矢が飛ぶ。
右。
左。
どちらも急所ではない。
だが、それで十分だった。
片方の肩を止め、もう片方の進路を逸らす。
その隙にアシュが真ん中へ踏み込む。
斬る。
手応えは浅い。
避けたわけでもないのに、刃の通りが悪い。
「硬いな」
「中が詰まってるのかもな」
ガルドが次の矢を引きながら言う。
左からもう一体が飛び込む。
アシュは剣を返し、その腕を落とした。
だが、落ちた腕が床の上でまだ少し動いている。
「気持ち悪いな……!」
フィアナが息を詰める。
ルゥがその腕を踏み砕いた。
嫌悪を露骨に見せるような動きだった。
ノアが壁際へ光を流す。
細い術式が走り、残った一体の足元を絡め取る。
「今だ」
アシュとガルドが同時に動いた。
矢が胸を貫く。
その直後、アシュの剣が首を落とした。
ようやく、三体とも動かなくなる。
通路に残ったのは、切れた肉と、薬品みたいな変な匂いだけだった。
ガルドが鼻をしかめる。
「最悪な匂いだなクソ」
フィアナは口元を押さえていた。
吐きそうというより、息を整えている顔だった。
「大丈夫か」
アシュが訊く。
フィアナは小さく頷く。
「……はい。大丈夫です」
だが声は硬い。
ルゥはまだ毛を逆立てたまま、死んだ異形たちを睨んでいる。
近づきたくないのが見て分かる。
ノアが通路の奥を見た。
「この辺りから先が濃いな」
「濃い?」
「気配だ」
ノアは短く息を吐く。
「帳面庫の裏通路でこれなら、もっと奥はさらにひどいだろう」
アシュは剣についた灰色の液を払った。
教会本部の奥へ入る前から、もうこれだ。
白い箱の先にあるものがまともであるはずがない。
「戻るか?」
ガルドが言った。
軽口ではない。
確認の声だった。
アシュは前を見たまま答える。
「いや」
フィアナも、少し息を整えてから言う。
「行きます」
ノアが頷いた。
「なら急ぐぞ」
それが正しかった。
こんな場所で立ち止まっていれば、次はもっと面倒なものが来る。
四人と一匹は、死んだ異形の間を抜けてさらに奥へ進んだ。
通路の先は少しだけ広くなり、白い壁がまた続いている。
だが、もう誰もそれを白いとは思っていなかった。
その奥に何がいるのか。
セレナか。
失敗作か。
もっと別の何かか。
まだ姿は見えない。
だが、着実に近づいている。
そのことだけは、全員分かっていた。
第77話でした。
まだ本命までは届いていませんが、教会の白い壁の奥で何が使われているのか、その気味悪さが少しずつ見えてきた回です。
少しでも続きが気になったら、
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