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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第9章 白の奥

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第73話 休んでいられるうちに

 雨は朝よりさらに細くなっていた。


 止んではいない。

 けれど、昨夜から続いていた重い音ではなく、屋根を静かになぞるような降り方に変わっている。


 空き家の中も、昨日より少しだけ明るかった。


 アシュは寝台から起き上がり、壁に背を預けたままゆっくり息を吐いた。


 肩はまだ痛む。

 脇腹も、少し深く呼吸をすれば鈍く軋む。

 だが、昨日までみたいに起き上がるだけで視界が揺れるほどではなかった。


 目の前では、フィアナが濡れた布を絞っている。


「……もう、それいらねえだろ」


 アシュが言うと、フィアナは首を横に振った。


「念のためです」


「大丈夫だ」


「だめです」


 フィアナは少しだけ口元を緩めたが、手は止めない。


 昨夜ほど切羽詰まった顔ではない。

 それでも、気を抜いているわけでもなかった。


 ルゥは寝台の足元で丸くなっていた。

 アシュが少し動くたびに片耳だけを上げる。

 やっぱり見張っているつもりらしい。


 窓際ではガルドが短剣の刃を布で拭いていた。

 その手を止めずに言う。


「顔色はだいぶましになってきたな」


「ああ、もう大丈夫だ」


「疲労ってのは蓄積するもんだ。休めるうちに休んどけ」


「どいつもこいつも、うるせえな」


「だったらぶっ倒れるんじゃねえ」


 その返しに、アシュは小さく鼻を鳴らした。


 部屋の空気は静かだった。

 穏やか、とまではいかない。

 でも、張り詰めすぎてもいない。


「ノアは」


 アシュが訊く。


「まだ戻ってません」


 フィアナが答える。


「朝から外を見に行っています」


「また一人でか」


「一人の方が目立ちにくいからな」


 ガルドが代わりに言った。


「ともかく、お前はまだ寝てろ。外の空気吸わせたら暴れまわりそうだしな」


「お前、俺の事なんだと思ってやがる」


「さあな」


 反論しようとして、アシュは結局やめた。


 事実だった。


 動けるようにはなってきた。

 だが、剣を握ってまともに戦えるかと問われたら、まだ答えは出ない。


 灰刻を使ったあとの、あの芯の削られる感じは簡単には抜けない。

 体の痛みだけなら、まだましだ。

 厄介なのは、少し深く力を入れた時に分かる“空き”だった。


 その沈黙を埋めるように、フィアナが言う。


「少しなら、外の空気を入れましょうか」


「兵に見つかるだろ」


「窓を少しだけです」


「それくらいなら勝手にしろ」


 フィアナが窓をわずかに開ける。


 湿った空気が細く入ってくる。

 雨の匂い。

 土の匂い。

 それに混じって、遠くの通りを行く足音も聞こえた。


 少し多い。


 昨日も多かったが、今日の足音は質が違う。

 急ぎ足ではあるが、慌ててはいない。

 探している側の歩き方だ。


 アシュの目が細くなる。


「だいぶ増えてるな」


 ガルドも窓の方へ視線をやった。


「ああ。兵も白衣も、昨日より自然な顔して歩いてる」


「自然な顔?」


「慣れてきたってことだろ」


 その言葉で、部屋の空気が少しだけ締まった。


 最初の混乱が終わり、王都側も動き方を整え始めている。

 つまり、こちらが隠れていられる時間も減ってきているということだ。


 フィアナが窓を閉める。


「長くはいられないんですね」


「だろうな」


 アシュが答える。


「向こうも馬鹿じゃねえ」


 その時、扉の外で短く合図が鳴った。


 ガルドが立つ。

 弓に手をかけたまま、扉へ寄る。

 次いで聞こえた二度目の合図で、小さく息を抜いた。


「ノアだ」


 扉が開く。


 ノアは濡れた上着を軽く払って中へ入ってきた。

 雨の中をそれなりに歩いたらしい。

 顔はいつも通りだが、目だけが少し鋭い。


「どうだった」


 アシュが訊く。


 ノアはすぐには答えず、机の上へ小さな包みを置いた。

 買ってきたパンと、乾いた薬草らしい。


「思ったより早い」


 それが最初の言葉だった。


「何がだ」


「締め付けだ」


 ノアは濡れた髪を指で払う。


「教会側の動きが早い。旧祈祷院地下の件とヴァルトの件は、完全に広がってる」


 フィアナの表情が硬くなる。


「ここは」


「まだバレてないだろう」


 ノアは答えた。


「だが、時間の問題だと思っておいた方がいい」


 ガルドが舌打ちする。


「面倒になってきたな」


 ノアが机に手をついた。


「西側だけじゃない。中央寄りにも白衣が増えてる。おそらく、教会本部が本腰いれて動き出したんだろう」


「教会本部か」


 アシュの声が低くなる。


 ノアは頷いた。


「席持ちが二人もやられたんだ。王国も黙ってないだろう」


 それを聞いて、フィアナが静かに息を呑んだ。


 空き家の中の休息は短い。

 そのことが、はっきり形になり始めていた。


 ガルドが腕を組む。


「で、まだ潜伏するのか」


「今日いっぱいは動かない」


 ノアが即答する。


「動くなら、明日以降だ」


 短い言葉だったが、それで十分だった。


 アシュは壁にもたれたまま天井を見た。


 休めるなら休みたい。

 でも、休めば休むほど向こうの準備も進む。

 そういう時間の流れが、今はもどかしかった。


「そんな顔するな」


 ガルドが言う。


「焦って飛び出しても失敗するだけだ」


「分かってるよ」


「なら今日は黙って飯食って寝ろ」


 フィアナが小さく言う。


「今晩は、少しだけましなものを作ります」


「お、やる気だな」


 ガルドが言うと、フィアナは少しだけ顎を引いた。


「はい。おいしいと言ってもらえるように頑張ります」


「そいつは楽しみだ」


「でも、ガルドさんが見ていてくれないと不安です」


「おい。そこは自分で全部作るって言えよ」


 ガルドが笑う。


「まあ任せろ。アシュの顎が外れるくらい、うまいもん作ってやる」


「私が作ります」


「分かった分かった」


 ノアがそのやり取りを見て、ほんのわずかに口元を緩めた。


 王都はきな臭い。

 教会も動いている。


 それでも、今はまだこの部屋の中で火を起こして、鍋をかける時間がある。


 その小ささが、逆に大事に思えた。


 ルゥが立ち上がり、ノアの足元を一度だけ回ってから、また寝台のそばへ戻ってきた。

 そしてアシュの足先へ鼻を押しつける。


「お前もしつこいな」


 アシュが言うと、ルゥは片目だけ開けた。


 全然聞く気がない顔だった。


 フィアナがその様子を見て、少しだけ笑う。


 アシュは何も言わなかった。


 雨音はまだ続いている。

 だが、その向こうで王都が変わり始めているのも、もう隠せない。


 休んでいられるうちに休む。


 たぶん、今はそれしかできない。

第73話でした。


少しずつ体調を回復させつつも、王都の不穏が迫ってきています。


少しでも続きが気になったら、

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