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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第9章 白の奥

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第72話 あたたかいもの

 昼過ぎ頃には、雨は朝より少しだけ細くなっていた。


 止んではいない。

 だが、屋根を叩く音は昨夜より柔らかい。

 空き家の中の暗さも、ほんの少しだけ薄れていた。


 アシュは寝台に半身を起こしたまま、壁へもたれていた。


 起き上がれるようにはなった。

 だが、それだけだ。

 肩も脇腹もまだ痛む。

 動けばすぐ分かる程度に、灰刻の反動も残っている。


 それでも、昨夜みたいに指一本動かすのも億劫というほどではなかった。


 部屋の奥から、鍋の中で何かが煮える音がしている。


 ことことと、小さな音だ。


 アシュはそちらへ目を向けた。


 火の前にいるのはフィアナだった。

 袖を少しだけまくり、真剣な顔で鍋を見ている。

 横では先ほど戻ってきたガルドが腕を組み、壁にもたれながらその様子を見ていた。


「……珍しいな」


 アシュがぼそりと言う。


 フィアナが振り向いた。


「あ、起きてましたか」


「音でな」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「そりゃああれだけ緊張感のある顔で鍋見てたら、気にもなるだろ」


「緊張感って何ですか」


「今にも鍋と戦いそうな顔してるってことだよ」


 フィアナは少しだけむっとした顔をした。


「戦いません」


「戦ってるだろ。火加減と」


「それは……そうかもしれませんけど」


 アシュはそのやり取りを見ながら、小さく息を吐いた。


「ガルドがやってるんじゃねえのか」


「普段はな」


 ガルドが言う。


「でも今日は、フィアナが作るって聞かなかった」


 その言い方に、フィアナが鍋の前へ向き直ったまま小さく言った。


「アシュさんのためですから」


 アシュは一瞬だけ黙った。


「……そうか」


 それだけ返す。


 どう返せばいいのか分からなかった、という方が近い。


 ガルドはその空気を見て、わざとらしく肩をすくめた。


「俺は最初から、具を切るくらいにしとけって言ったんだけどな」


「それでは意味がないです」


「意味って何だよ」


「作ったことになりません」


「そうか?」


「なりません」


 言い切る。


 その声が予想以上にきっぱりしていて、ガルドが少しだけ笑った。


「頑固だな、お前」


「ガルドさんほどではありません」


「はは、言うようになったな」


 鍋から立ち上る湯気が、薄暗い空き家の空気に溶ける。

 干し肉と、少しの野菜と、穀の匂い。

 豪華ではない。

 でも、あたたかい匂いだった。


 ルゥがその匂いにつられるように起き上がり、鍋の近くまで行こうとする。


「まだ駄目です」


 フィアナがすぐに言う。


 ルゥは足を止めた。

 だが、諦めきれない顔で鍋とフィアナを交互に見る。


「お前も腹減ってんのか」


 アシュが言うと、ルゥは短く鳴いた。


「今は待ってください」


 フィアナが木のヘラで中をかき混ぜながら言う。


「ちゃんとみんなの分がありますから」


 その言い方が妙に真面目で、ガルドがまた吹き出しそうになる。


 ガルドはそこでようやく壁から背を離した。


「そういえば、塩入れたか」


「さっき入れました」


「本当にか?」


「本当です」


「見せろ」


「嫌です」


「焦がすなよ」


「焦がしません」


 口ではそんなやり取りをしながら、ガルドの目がちゃんと鍋の火加減と水の量を見ているのが分かった。

 全部を任せるつもりはないが、全部を放り出すつもりもないのだろう。


 アシュはそれを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「笑いましたね」


 フィアナが振り向く。


「笑ってねえよ」


「今、少しだけ笑いました」


「気のせいだ」


「気のせいじゃありません」


 そのやり取りの間に、ノアが上着を軽く払って戻ってきた。


 服の裾に雨粒が残っている。

 外を少し見てきたのだろう。


「なんかいい匂いがするな」


 部屋に入るなり言った。


「ちょうどいいところです」


 フィアナが答える。


 ノアは鍋とフィアナの顔を見て、それからガルドへ視線を向けた。


「今日はお前が作っていないのか」


「フィアナが料理長だ」


「珍しいな」


「そうだろ」


 ノアはそれ以上は言わず、机の上へ小さな包みを置いた。

 追加で手に入れたパンらしい。


「外は」


 アシュが訊く。


 ノアは短く答えた。


「まだ騒がしい。だが今朝よりは動きが散ってきた」


「教会は」


「白衣は増えてる」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ締まる。


 王都はまだ、何事もなかった顔ではいられない。

 それでも今は、こうして鍋の匂いに意識を向けられる時間がある。


 ノアも、それ以上はすぐに話を広げなかった。


「どっちにしろ、いまは食って休め」


 それだけ言って椅子へ座る。


 フィアナがようやく鍋を火から下ろした。


「……たぶん、大丈夫だと思います」


 その“たぶん”に、ガルドがすぐ反応する。


「急に不安になる言い方するなよ」


「だって私、あんまり料理の経験が……」


「まあ慣れるこったな」


 木の器に盛る。

 湯気が立つ。

 中身は素朴だ。

 でも、ちゃんと形になっていた。


 ガルドが自分の分を受け取り、一口すすったあとで言う。


「……お」


 フィアナの肩がぴくりと動く。


「どうですか」


「なかなかうめえじゃねえか」


「ほんとですか」


「ああ、うまいぞ」


 ノアも黙って一口飲み、それから小さく頷いた。


「悪くない」


 フィアナはそこでようやく少しだけ息を抜いた。


 最後に、アシュの分を持って寝台のそばへ来る。


「食べられますか」


「そのくらいなら」


 器を受け取る。

 熱が手に伝わる。

 まだ少し重い。

 でも、落とすほどではない。


 一口飲む。


 薄いが、ちゃんと味がある。

 少し柔らかすぎる。

 でも、不思議と悪くなかった。


 フィアナがじっと見ている。


「……何だ」


「どうですか」


「悪くない」


「それだけですか」


「うまい、って言えば満足か」


 フィアナの目が少しだけ大きくなる。


「それは……はい」


 アシュは器を見た。


 湯気がまだ立っている。

 雨音の中で、そのあたたかさだけが妙に現実感を持っていた。


「……うまい」


 小さく言う。


 フィアナの顔が、分かりやすく緩んだ。


「よかったです」


 ガルドが向こうで吹き出す。


「何だその顔」


「何でもありません」


「いや、あるだろ」


 ノアは器を置きながら、ほんの少しだけ口元を緩めていた。


 アシュはそれを見てから、もう一口だけゆっくり飲んだ。


 戦って、逃げて、潜んで、また次へ行く。

 そういうことばかり続いていた。


 だからこういう時間は、余計に落ち着かなかった。

 落ち着かないのに、悪くないと思ってしまう。


 ルゥは自分の分を食べ終えたあと、すぐ寝台の足元へ戻ってきた。

 アシュの足先に鼻を押しつけ、それから丸くなる。


「お前は食うのが早いな」


 アシュが言うと、ルゥはもう片目しか開けなかった。


 窓の外では、まだ雨が続いている。


 王都の不穏も消えていない。

 教会の動きも、きっとこれからもっとはっきりしてくる。


 でも今は、こうして湯気の立つ器を手にしていられる。


 その短い時間だけは、ちゃんと休んでもいいのかもしれない。


 フィアナは空になった器を受け取る時、ほんの少しだけ笑った。


 昨夜、森の中で見せたあの必死な顔とは違う。

 少しだけ、肩の力が抜けた顔だった。


 アシュはそれを見て、何も言わなかった。


 言わなくても、たぶん今はそれでよかった。

第72話でした。


今回は少しだけ日常寄りの回で、フィアナがアシュのためにご飯を作る時間を書いてみました。


束の間の休息ではありますが、次の戦いに備える大事な時間です。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。

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