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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第9章 白の奥

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第71話 雨の翌朝

 朝になっても、雨は止んでいなかった。


 夜のあいだよりは少し細くなっている。

 だが、空き家の屋根を打つ音は絶えず続いていた。

 雫が軒先を伝い、窓枠の外を細く流れていく。


 フィアナは寝台のそばで目を開けた。


 浅い眠りだった。

 何度も途中で目が覚め、そのたびにアシュの呼吸を確かめていた気がする。


 薄暗い部屋の中で、最初に視界へ入ったのは、寝台の端から投げ出されたアシュの手だった。

 昨日よりは少しだけ血色が戻っている。

 呼吸も、夜のあいだよりは深い。


 フィアナは小さく息を吐いた。


 まだ眠っている。

 でも、生きている。


 その事実だけで、胸の奥の硬さがほんの少し和らいだ。


 足元ではルゥが丸くなっていた。

 フィアナが身じろぎすると、すぐに片目だけ開ける。

 警戒を完全には解いていない顔だった。


「おはようございます」


 小さく声をかけ頭を撫でると、ルゥは低く喉を鳴らした。

 返事のつもりなのだろう。


 部屋の反対側では、ノアが椅子に座ったまま眠っていた。

 浅く腰かけ、腕を組んだまま壁へ寄りかかっている。


 ガルドは窓際にいた。

 椅子ごと壁に寄せ、弓を手の届く位置に置いたまま目を閉じている。

 こちらも、少しでも物音があればすぐ起きるだろう姿勢だった。


 誰もちゃんと休めてはいない。


 それでも、昨夜よりは空気が落ち着いている。

 森の中で倒れていたアシュを見つけて、ここへ連れ戻せた。

 その事実が、狭い空き家の中にようやく少しだけ温度を作っていた。


 フィアナは立ち上がり、水差しの中を確かめた。

 半分ほど残っている。

 布を濡らし、寝台の横へ戻った。


 額へ触れる。

 熱は少しある。

 昨日の夜よりは下がっていたが、まだ安心できるほどではない。


「……無茶しすぎです」


 寝ている相手にしか言えない声で呟く。


 昨夜、雨の中で見つけた姿がまだ消えない。

 泥の上に倒れた背中。

 雨に打たれたままの黒い上着。

 呼びかけるまで、ぴくりとも動かなかった体。


 思い出すだけで、胸の奥がまた冷たくなる。


 フィアナは目を伏せ、そのまま濡れた布を絞った。


 少しして、アシュの指先がわずかに動いた。


 フィアナが顔を上げる。


 まぶたがゆっくり持ち上がる。

 焦点が合うまでに少し時間がかかったが、やがてアシュはぼんやりと天井を見て、それから横へ視線を向けた。


「……朝か」


 掠れた声だった。


「はい」


 フィアナは小さく頷く。


「おはようございます」


 アシュは何か言い返そうとしたが、喉がうまく動かなかったのか、小さく咳き込んだ。

 フィアナがすぐ水差しを手に取る。


「大丈夫ですか」


「……ああ」


 そう言いながら起き上がろうとして、すぐに眉をしかめた。

 肩と脇腹の痛みが一気に来たのだろう。


「まだ無理です」


「まだ何もしてねえだろ」


「しようとしました」


 フィアナはきっぱり言った。


「今はまだ駄目です」


 そのやり取りで、ようやくガルドが目を開けた。

 窓際からこちらを見て、ひとつ息を吐く。


「起きたか」


「見りゃ分かるだろ」


「口は元気そうで安心したよ」


 ガルドが言うと、ノアもその声で目を覚ました。

 椅子から少しだけ体を起こし、寝台の方へ視線を向ける。


「動けるか」


「無理そうだ」


 アシュは即答した。


 その返しに、ノアが小さく頷く。


「なら今日は寝てろ」


「最初からそのつもりで言ってるだろ、お前」


「念のため確認しただけだ」


 それだけで会話は終わった。

 短い。

 でも、その短さの中に安堵が混じっているのが分かる。


 ガルドは立ち上がり、窓の外をもう一度見た。


「雨、今日はこのままかもな」


「王都の様子は」


 アシュが訊く。


 ノアが答えた。


「まだ見に行ってない。お前がそんな状態だったからな」


「そうか」


「だが静かすぎるわけでもない。兵の足音は夜のあいだも増えてた」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ締まる。


 ヴァルトが死んだ。

 旧祈祷院地下は壊した。

 教会も王国も、何も感づいていないままではいられない。


 束の間の休息だ。

 それは全員分かっている。


 だからこそ、今は休めるだけ休むしかなかった。


 フィアナが水を差し出す。


「飲めますか」


「ああ」


 アシュは少しだけ体を起こし、渡された水を口にした。

 喉が鳴る。

 その動きひとつでさえ、まだ痛みを含んでいるのが見えた。


 飲み終えたあと、アシュは寝台の背へ体を戻す。


「……ヴァルトさんは」


 その言葉に、フィアナの指が少しだけ止まった。


「動いていませんでした」


 静かに答える。


「そうか」


 それ以上は訊かなかった。


 ヴァルトのことを考えているのか、考えないようにしているのか。

 その顔からは、まだ読みきれない。


 ルゥが寝台の端へ鼻先を乗せた。

 アシュの手に触れる。

 確かめるみたいに一度だけ軽く押し、それから喉を鳴らした。


「お前も起きてたのか」


 アシュが小さく言う。


 ルゥは当然だと言わんばかりに耳を動かした。


 ガルドがそれを見て、少しだけ口元を緩める。


「見張りは一番真面目だったぞ、そいつ」


「だろうな」


 アシュが返した声は弱い。

 でも、昨夜よりは少しだけいつもの調子に近かった。


 フィアナはそのことに、言葉にしないまま少しだけ安心した。


 外では雨がまだ降っている。

 空き家の中は暗く、冷える。

 それでも、昨夜の森の中よりはずっとましだった。


 アシュが起きたことで、止まっていた時間が少しだけ動き出した気がする。


「今日は何もするな」


 ノアがもう一度言った。


「外は俺とガルドで見る」


 アシュはそれに反論しなかった。

 反論する力も、理由も、今はなかった。


 フィアナが布を畳みながら言う。


「朝のうちに何か食べられそうですか」


「……あまり腹は減ってねえ」


「少しでも食べてください」


 ガルドが窓際から振り返る。


「じゃあ、今日はおとなしく世話されてろ」


「うるせえ」


「ま、世話するのは俺じゃなくてフィアナだけどな」


 その一言に、フィアナは少しだけ目を見開いた。

 ガルドはもう窓の外へ視線を戻していて、それ以上は何も言わない。


 だが、その何気ない言い方が、妙に部屋の空気を柔らかくした。


 アシュもそれには返さなかった。

 返せなかったのかもしれない。


 雨音が続く。


 その音に混じって、遠くの通りから兵の足音がかすかに聞こえた。

 王都はまだ眠っていない。

 むしろ、昨夜より少しだけ硬くなっている。


 でも今はまだ、この狭い空き家の中にいられる。


 その短い時間だけでも、ちゃんと休むべきだ。


 フィアナはそう思いながら、もう一度だけアシュの顔を見た。


 昨夜よりは落ち着いている。

 それでも、もう二度とあんなふうに雨の中へ一人で倒れていてほしくはなかった。


 その思いだけが、静かに胸の奥へ残り続けていた。

第71話でした。


ヴァルト戦と雨の夜を越えて、ようやく迎えた朝を書いた回でした。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。

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