第67話 過去からの訪問者
木の陰から現れた男は、昔と変わらない顔で笑っていた。
いや、正確には違う。
昔より少しだけ整っている。
感情の隠し方だけが、前よりうまくなっていた。
「よう。ひさしぶりだな」
軽い声だった。
だが、その場の空気を一段冷やすには十分な響きだった。
アシュは剣に手をかけたまま、その顔を見た。
「……なんで、お前が」
男は肩をすくめる。
「また会えたんだ。もっと喜んでくれよ」
口元だけが笑っている。
「灰の村で会った時は、ゆっくり相手出来なかったからな」
「てめえはしつこいんだよ」
「まあね」
あっさり返した。
だが目だけは笑っていなかった。
ヴァルト・グレイン。
名前を口にしなくても分かる。
今さら見間違える相手でもない。
森の薄暗がりの中で、ヴァルトは一歩だけ前へ出た。
土を踏む音が小さい。
無駄のない足取りだった。
「手紙、ちゃんと届いたんだな」
アシュの眉が寄る。
「レオフはどうした」
「レオフ?さあね。ネズミみたいに王都中を這いずり回ってるんじゃない」
ヴァルトは笑みを消さない。
「まさか本気でレオフだと思った?」
「死ぬほど性格悪い真似しやがって」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
そこでようやく、アシュの手が剣の柄を握り込んだ。
「何のつもりだ」
「何のつもりって」
ヴァルトは少しだけ首を傾げた。
「もちろん、決着つけに来たに決まってるだろ」
その一言だけ、真っ直ぐだった。
風が弱く吹く。
湿った土の匂いが揺れる。
アシュは剣を抜いた。
「帰れ」
「帰れ、か」
ヴァルトが口元を少し歪める。
「お前、昔からそこだけは変わらないよな。口より手が出る」
「お前と話して得することがあるのか」
「あるだろ」
ヴァルトの声が少しだけ落ちた。
「俺はずっと、お前と話したかったんだよ」
その言葉に、アシュの目が細くなる。
話したい。
そんな綺麗な感情じゃないことくらい、声で分かる。
「お前の遊びに付き合ってるひ……」
言い終わるより早く、ヴァルトが消えた。
踏み込みが速い。
アシュは反射で前へ出る。
次の瞬間、鋭い金属音が森の中へ弾けた。
ヴァルトの剣が、斜め上から首筋を狙って落ちてくる。
受ける。
重い。
「っ……」
見た目より、ずっと重い一撃だった。
ヴァルトが目の前で笑う。
「ディルクを倒したんだってね」
「ああ?」
「上の席を一つ空けてくれて助かるよ」
押し返し、間合いを切る。
だがヴァルトは退かない。
逆に滑り込むように踏み込み、二撃、三撃と刃を重ねてくる。
速い。
荒さがない。
前より洗練されている。
そして何より、アシュの癖を知っている動きだった。
左からの切り返しを読まれる。
腕を狙った突きも、半歩で外される。
アシュは舌打ちを飲み込んだ。
読まれている。
剣筋じゃない。
その前の、踏み込みと呼吸の癖ごと見られている。
ヴァルトがそこで初めて大きくは斬り込まず、剣先をわずかに下げた。
「そういう顔」
軽く言う。
「何だ」
「今の顔だよ。嫌な相手に当たった時の」
アシュは返事の代わりに踏み込んだ。
正面からじゃない。
半歩外へ外し、ヴァルトの利き腕側を嫌う角度で入る。
だが、そこへ行くと決めた瞬間に、ヴァルトの足が先に動いていた。
剣は来ない。
代わりに肩がぶつかる。
「っ」
アシュの体勢がわずかに浮く。
そこへ遅れて刃が来た。
首ではない。
脇腹でもない。
服の裾、その切れ目をなぞるような嫌な軌道だ。
アシュは剣で払う。
火花が散る。
今度はヴァルトの方が先に下がった。
だが距離を切るためじゃない。
木の根が張った場所まで誘うような下がり方だった。
アシュは追わない。
追えば足を取られる。
「えらく慎重だな」
ヴァルトが言う。
「前なら詰めて来ただろ」
「さっきからよくしゃべりやがるな」
「嫌いだろ?昔から」
笑う。
「お前の事ならなんでも知ってるよ」
その言葉に、アシュの胸の奥がわずかに苛立つ。
だからあえて、何もしなかった。
動かない。
踏み込まない。
森の湿った土の上で、ただ剣先だけをわずかに揺らす。
ヴァルトの笑みが少しだけ浅くなった。
「……へえ」
「来ねえのか」
「お前が来いよ」
「嫌だね」
ヴァルトは剣を立てたまま言う。
「せっかく二人きりなんだ。たっぷり楽しませてもらうよ」
軽い。
だが、その軽さの奥にある執着だけはまるで隠れていない。
アシュは土を踏む位置を変えた。
ほんの少しだけ。
その瞬間、ヴァルトが来た。
速い。
上段からではない。
低く滑り込み、脚を止めるための斬撃。
アシュは受けずに跳ぶ。
着地の瞬間を狙って、今度は真上から重い一撃。
剣で受ける。
鈍い衝撃が腕を抜ける。
ヴァルトが目の前で笑う。
「やっぱ受けるんだ」
「昔のお前なら避けてたな。守るものが出来たからかな?」
押し返す。
だが、ヴァルトはその力比べを待っていなかった。
力がかかった瞬間に剣を引く。
押し返す先が消えて、アシュの身体が一瞬だけ前へ流れた。
その流れへ、膝が入る。
「っ……!」
浅い。
だが、止まるには十分だった。
ヴァルトはそこを斬らない。
逆に半歩だけ離れて、面白そうに見る。
「はははは」
「いいねえ今の顔。あの歴代最年少の席持ちが、今はいいようにされている」
アシュの剣先がわずかに下がる。
ヴァルトは本当に見ている。
読み合いじゃない。
昔からの積み重ねで、アシュの動きそのものを崩しに来ている。
「お前、気に入らねえな」
アシュが吐く。
「奇遇」
ヴァルトの返しは軽い。
「俺もだよ。ずっと」
今度は真正面から来た。
アシュも受けて立つ。
刃がぶつかる。
だが、ヴァルトはここでも深追いしない。
決めに来るように見せて、届く手前で軌道を変える。
斬るためというより、反応を引き出すための振り方だ。
アシュが踏み直す。
今度は正面からじゃない。
木を一本挟む角度へ回る。
ヴァルトの視線を切り、足元から崩すつもりで低く入る。
だがヴァルトは木の幹を挟んだまま笑った。
「それ、訓練の時にやった戦法だな」
アシュの動きがわずかに止まる。
止まったところへ、幹越しに剣が伸びる。
頬が浅く切れた。
ヴァルトが一歩、木陰から出る。
「覚えてるよ。お前があの時、何でもない顔で立ってたの」
アシュは血を拭いもしなかった。
ヴァルトの目は、昔を見ていた。
今の森じゃない。
「第七席を決めるらしいぞ」
昔の声をなぞるみたいに言う。
「ヴァルト、お前が選ばれるはずだ、って言ったよな」
アシュは返さない。
返す必要がないと思った。
だが、その沈黙ごと、ヴァルトは腹を立てているようだった。
「だけど」
ヴァルトの口元の笑みが、そこで少しだけ歪む。
「気づいたら、お前が第七席についていた」
ヴァルトは低く言った。
「各地で名を挙げて、どこ行ってもお前の話をする奴ばっかりだった」
「心の底から、うんざりしたよ」
ヴァルトは天を仰ぐ。
「そしてお前は逃げた」
「村を焼き、人を殺しまくって」
「罪の重さに耐えきれなかったのか?」
次の踏み込みは、今まででいちばん深かった。
アシュも前へ出る。
逃げれば押し切られる。
刃がぶつかる。
「ふざけんじゃねえ」
火花。
湿った土。
木々の間を抜ける弱い風。
ヴァルトの剣は重い。
だがそれ以上に、感情が重い。
怒り。
嫉妬。
執着。
その全部が、押し込む力に変わっている。
アシュはそれを真正面から受ける。
「てめえが捨てたもんは、そんな軽いもんじゃねえんだよ!」
「くっ……!」
押される。昔のヴァルトとはまったくの別人のように感じる。
「まだだろ」
剣を噛み合わせたまま言う。
「そんなもんじゃないだろ、アシュ」
「黙れ」
「いや、黙らない」
ヴァルトの目が細くなる。
「俺はずっと、お前にこれを言いたかったんだ」
押し合いが解ける。
ヴァルトが一度だけ下がった。
「逃げたところで、お前の罪は赦されないんだよ」
その一言だけは、アシュの胸に突き刺さった。
森の空気が冷える。
空のどこかで、雨の匂いが濃くなり始めていた。
第67話でした。
今回はヴァルトとの因縁が、アシュを苦しめる回になりました。
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次話もよろしくお願いします。




