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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第7章 旧祈祷院地下

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第63話 断ち切る灰

 アシュは息を深く吸った。


 肺の奥まで、地下の冷えた空気が刺さる。

 喉の奥が焼けるみたいだった。


 フィアナが封じられている。

 ノアの術でも切れない。

 ガルドの矢も弾かれる。

 ルゥも近づけない。


 アシュは剣を握り直した。


 足の裏へ力を込める。

 血が逆流するような感覚が、一気に全身を駆け上がった。


 灰刻。


 心臓が一つ、大きく鳴る。


 次の瞬間、世界の重さが変わった。


 鈍く重かった空気が薄くなる。

 筋肉の奥に沈んでいた熱が、一気に噴き上がる。

 視界が削れる代わりに、目の前の線だけが異様なほど濃く浮かんだ。


 ディルクの鎖が鳴る。


 さっきまでなら、重かった一撃だ。

 だが今は、振り下ろされる軌道の途中が見える。

 アシュは正面から受けなかった。半歩だけ踏み込み、鎖の外へ滑り込む。


「――!」


 ディルクの目が、初めて動いた。


 アシュはそのまま床を蹴る。


 石が割れる。

 礼拝堂跡の空気が一瞬遅れて鳴った。


 速い。

 重い。

 踏み込みが、一段違う。


 ディルクがすぐに鎖を返す。

 今度は横薙ぎ。足と胴をまとめて断つつもりの軌道だ。


 アシュは剣で斬り払った。


 火花が散る。

 重いはずの鎖が、今は押し切れる。


 そのまま前へ出る。


「アシュさん……!」


 フィアナの声が遠い。


 ディルクは一歩引いた。

 ほんの一歩。だが、あの男が初めて自分から間合いをずらした。


「……その力」


 低い声だった。


 鎖を構え直しながら、ディルクの目が細くなる。


「そうか」


 短い息。


「お前が例の……」


 アシュは返さない。


 答えるかわりに、さらに踏み込む。


 ディルクの鎖が床を這う。

 今度は陽動じゃない。真正面から止めに来ている。


 アシュはそれを力で踏み越えた。


 封印線が足首へ絡む。

 だが止まりきる前に、脚力で引き千切る。

 石床に刻まれた線が悲鳴みたいに光った。


 ガルドが息を呑む。


「おいおい……!」


「見惚れるな!」


 ノアが叫ぶ。


「右だ、アシュ!」


 アシュの目にはもう見えていた。


 右側の封印は薄い。

 重りの食い込みが浅い。

 そこだけ床の継ぎ目が甘い。


 アシュは剣を振り抜いた。


 石と一緒に、封印線がまとめて断ち切れる。

 光が弾けた。


 フィアナを縛っていた輪が一段緩む。


「アシュさん!今です!」


 フィアナ自身が叫んだ。


 ノアの術が重なる。

 細い光が断ち切れた継ぎ目へ突き刺さる。

 そこへガルドの矢が飛んだ。


 重りが砕ける。

 封印が大きく揺らいだ。


 フィアナの膝が床につく。

 でも、もう完全に固定されてはいない。


 ルゥがそこへ飛び込み、残った鎖へ噛みついた。

 今度は弾かれながらも、ほんの僅かだけ節をずらす。


 それで足りた。


 アシュはディルクの正面へ出た。


 ディルクが鎌本体を起こす。

 短い刃が喉を狙う。


 アシュは身を捻って避けた。

 頬が裂ける。

 血が散る。

 でも、その代わりに懐へ入った。


 拳で肘を打つ。


 鈍い音。

 ディルクの右腕が一瞬だけ流れる。


 そこへ剣を叩き込む。

 肩口。深く。


 ディルクの身体が大きくぶれた。


 だが倒れない。

 片腕が裂けても、なお鎖を離さない。


「まさかこれほどまでとはな……」


 ディルクが低く言う。


 血が白衣を濡らしているのに、声はまだ平坦だった。


「その力は報告対象だ」


「報告する前に終わらせる」


 アシュが返す。


 ディルクの目が細くなる。


「舐めるなよ」


「こっちのセリフだ」


 次の瞬間、二人が同時に動いた。


 鎖が真上から落ちる。

 アシュは剣を逆手気味に返し、正面から弾いた。


 重い。

 それでも押し負けない。


 灰刻が全身の奥で軋む。

 筋肉が熱い。

 骨がきしむ。

 だが今はまだ前へ出る。


 ディルクが左手で重りを返し、今度は腹を狙う。

 アシュは半歩だけ引いて避け、その勢いのまま踏み込み直した。


 速さで上回る。


 ディルクの目がわずかに見開かれる。


 その一瞬を、ガルドが射抜いた。


 矢はディルク本人ではなく、鎖の中程へ突き立つ。

 完全には止まらない。

 だが、節の流れが一拍だけ鈍る。


「今だ、アシュ!」


 ノアの声。


 アシュは礼拝堂跡の中央を一気に駆け抜けた。


 踏み込みで床が鳴る。

 視界の端で、封印線の薄いところが裂け目みたいに見える。


 ディルクが迎え撃つ。

 鎌本体を起こし、首を刈りにくる。


 アシュは低く沈んだ。

 刃が頭上を掠める。

 そのまま懐へ滑り込む。


 近い。


 ディルクが一歩下がろうとする。

 だがもう遅い。


 フィアナの祈りが走る。


 眩しすぎない、小さな光。

 でも、一瞬だけディルクの視界を白く染めるには十分だった。


「っ」


 ほんの刹那。


 それだけで足りた。


 アシュの剣が走る。


 胸ではない。

 首でもない。

 鎖を操る腕、その付け根から斜めに深く。


 肉を裂く感触。

 骨へ当たる鈍い手応え。

 ディルクの身体がついに膝を折る。


 鎖が床へ落ちた。


 金属音が、礼拝堂跡に硬く響く。


 後ろの実働役が顔を強張らせる。


「ディルクさ――」


 最後まで言わせなかった。


 ルゥが飛び込み、喉元へ噛みつく。

 男が悲鳴を詰まらせる。


 実働役は床へ転がった。


 もう前へ出てこない。


 ディルクは片膝をついたまま、なおアシュを見上げていた。


 血が落ちる。

 白衣が赤く染まっていく。

 それでも、その目だけは妙に静かだった。


「……なるほど」


 低い声が落ちる。


「記録より、成長しているな」


 アシュの呼吸が荒くなる。


「何の話だ」


「さあな」


 ディルクは短く答えた。


「お前を知れば、上が動く」


「……関係ねえ」


「……だろうな」


 その返しは、ほんの僅かだけ皮肉に聞こえた。


 アシュは剣先をさらに寄せる。


「終わりだ」


 ディルクは否定しなかった。


 ただ、礼拝堂跡の奥を一度だけ見た。


 それからアシュへ視線を戻す。


「一つだけ」


 低く言う。


「その娘を連れている限り、お前達は、この王都から逃げられない」


「黙れ」


「次は捕る」


 アシュは答えなかった。


 そのまま剣を振り抜く。


 喉ではない。

 心の臓を確実に断つ角度で、胸へ深く突き入れた。


 ディルクの身体がわずかに震える。

 それから、音もなく崩れた。


 鎖が床へ転がる。


 白衣の裾が石へ広がり、ようやくその場が静かになった。


 フィアナが息を詰める。

 ガルドも、ノアも、すぐには何も言わない。


 アシュは剣を抜いたまま立っていた。


 勝った。

 そう分かるまでに、ほんの少し時間がかかった。


 灰刻の熱が、今度は逆に内側を焼き始める。


 遅れてきた痛みが、腕と肩と背へ一気に食い込んだ。


「っ……」


 膝が少しだけ揺れる。


「アシュさん!」


 フィアナが駆け寄ろうとする。


「来るな」


 反射で言った声が、自分でも思ったより荒かった。


 フィアナが足を止める。


 アシュは一度だけ深く息を吐く。

 視界の端が滲んでいる。

 でも、まだ立てる。


 まだ終わっていない。


「ノア」


 低く言う。


「必要なもんだけ取れ」


「分かった」


 ノアはすぐ動いた。

 記録棚から板束を二つ抜き、袖の中と袋へ分ける。


 フィアナは小部屋へ戻った。

 

「うそ」


 先ほどまで、かろうじて意識があった三人だったが、糸が切れたようにぐったりしている。


「もたなかったか」


 ガルドが後ろから悔しそうに呟く。


 悔しさを顔に出しながら、それでもこの状況を飲み込んでいるのが分かる。


「……ごめんなさい」


 小さく、それだけ言った。


 アシュはその背を見てから、ようやく腰の小袋へ手をやった。


 黒い小瓶を一本、取り出す。


 栓を抜く。

 苦い液体を喉へ流し込む。


 熱が落ち着くわけじゃない。

 ただ、暴れ始めた痛みの輪郭だけが少し鈍る。


 ガルドがアシュの腕を取り、立たせる。


「無茶しやがって。その薬も残り少ないんだろ?」


「やるしかなかった」


 アシュが短く返す。


 残り本数のことは言わない。

 今は数える時じゃない。


 ルゥがディルクの亡骸を一度だけ見て、それからアシュの足元へ戻る。

 低く喉を鳴らした。


 ノアが板束を抱えたまま言う。


「長くはいられない。ここを崩して出る」


「できるか」


「完全には無理だがな」


 アシュは頷いた。


「やれ」


 ノアの術が床の封印線へ流れ込む。

 今までディルクが張っていた術式の残骸へ逆流するように光が走る。


 礼拝堂跡が低く鳴る。


「下がれ!」


 ガルドが叫ぶ。


 全員が一斉に入口側へ退く。


 次の瞬間、床へ残っていた封印の継ぎ目がまとめて弾けた。

 石が割れ、白い箱の積み方が崩れ、礼拝堂跡の右側が大きく沈む。


 旧祈祷院地下の空気が、一気に濁った。


 ガルドが先に通路へ滑る。

 ノアが記録を抱え、フィアナとルゥが続く。

 アシュは最後に一度だけ振り返った。


 崩れた礼拝堂跡の向こうで、白い箱と寝台の影が土煙に沈んでいく。

 全部を壊せたわけじゃない。

 全部を救えたわけでもない。


 それでも、確かに傷は入った。


 アシュはそのまま通路へ飛び込んだ。


 地下の冷たい空気が、逃げるように後ろへ流れていく。

 痛みは増していた。

 それでも足はまだ止まらない。


 ここで終わりじゃない。

 終わらせるために、次がいる。

第63話でした。


アシュが灰刻を発動したことにより、なんとか第6席に勝利出来ました。


次は、

旧祈祷院地下からの離脱と、持ち帰れたもの、そして次の戦いへどう繋がるかを進めていきます。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いします。

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