第59話 夜へ向かう足
レオフの気配が完全に消えたあとも、三人はすぐには動かなかった。
夜の風が冷たい。
でも、さっきまでの会話の熱だけが胸の奥に残っている。
フィアナはレオフが消えた方をまだ見ていた。
薄暗い路地の先には石壁と影しかない。
それでも、ついさっきまでそこに人がいた感じだけは消えていなかった。
ノアは見取り図と交代時間の紙片をたたみ、内ポケットへ入れた。
「俺たちも長居しない方がいい」
「分かってる」
アシュは短く返す。
そのまま三人は路地を離れた。
歩幅は速すぎない。
急げば目立つ。
だから普通の顔をして、夜の王都に溶け込む。
南門から外れた細い道を戻りながら、ノアが小さく言う。
「戻ったら、今夜のうちに整理しておく」
「何をだ」
「入ったあとに何を取るかだ」
アシュは少しだけ眉を寄せた。
「地下で、か」
「ああ」
ノアは前を見たまま頷く。
「全部は無理だ。人も記録も箱も、全部となると破綻する」
フィアナがそこで初めて口を開いた。
「選ばないといけないんですね」
「そうだ」
ノアは即答した。
「だから先に決める」
アシュは黙って歩いた。
決める。
それは正しい。
でも、実際にあの場を見た時、割り切れる気もしなかった。
実際に、白い箱の中に人がいた。
それだけでもう、仮定の話では無くなっていた。
王都の通りへ戻ると、人はさっきよりさらに減っていた。
それでも完全に静かにはならない。
王都は夜になっても、どこでなにかが起きている。
「倉庫へ戻る前に、一つだけ聞いていいですか」
フィアナが小さく言う。
アシュが目だけでそっちを向く。
「何だ」
「灰刻のことです」
アシュの足が、ほんのわずかに遅れた。
ノアは何も言わない。
ただ、聞いている。
「さっきの帳面」
フィアナは続けた。
「アシュさんの力が、ずっと前から王都で記録されてたみたいでした」
「そう見えたな」
アシュは短く返す。
「……知ってたんですか」
「知らねえよ」
少し強い声になった。
言ってから、アシュは小さく息を吐く。
「悪い。お前に当たるつもりじゃねえ」
フィアナは首を横に振った。
「わかっています」
しばらく歩いてから、アシュは低く言った。
「この力が普通じゃないのは分かってた。だが、王都の記録に残ってるとは思ってなかった」
「レオフも知っていたな」
ノアが言う。
「なんか気分悪ぃな」
アシュが吐き捨てる。
「自分の力が、自分の知らねえところで勝手に並べられてたってのは」
フィアナはその横顔を見たが、何も言わなかった。
慰めにも、軽い励ましにもならないと分かっていたのだろう。
その沈黙はむしろ助かった。
やがて南の第三倉庫の裏手が見えてくる。
灯りはまだ生きていた。
完全には片づいていないらしい。
夜の仕事がまだ続いている。
「戻ったらすぐ散るか」
アシュが言う。
ノアが頷く。
「その方がいい。今夜はもう、あそこに長くいる意味がない」
「ルゥとガルドを拾って、そのまま西へ抜ける」
「ああ」
倉庫の裏口から中へ入ると、空気はさらに悪くなっていた。
疲れと苛立ちが混ざった匂いがする。
責任者がまた誰かを怒鳴っている。
確認役の男は机へ突っ伏しそうな顔で荷札を見ていた。
若い女も、さっきより明らかに声が荒い。
ルゥはすぐにこちらへ気づいた。
耳を立てて、横になっていた。
その横で、ガルドが箱の陰から目だけで訊いてくる。
どうだった。
アシュは小さく頷いた。
当たりだ。
それだけで十分だった。
ルゥが音もなくガルドの足元から離れ、するりとフィアナの側へ戻る。
何も言わない。
ただ、ちゃんと全員が戻ったことだけを確かめるみたいに、足元へ座った。
「遅えぞ」
ガルドが荷車の向こうからぼそりと言う。
「色々あった」
アシュが返す。
「だろうな。その顔で分かる」
ガルドはそれ以上は聞かなかった。
今はそれでいい。
責任者の怒鳴り声が、また奥から飛ぶ。
「おい、お前ら。サボってるんじゃねえ! まだ終わってねえんだよ!」
アシュたちはその声に従うふりをして、もう一度だけ動き始めた。
長くいるつもりはない。
だが、ここで急に消えれば余計に目立つ。
荷を一つ寄せる。
写し板を二枚戻す。
壊れた箱を脇へ避ける。
そういう小さな動きで時間を稼ぎながら、四人は自然に同じ場所へ寄った。
ノアが板束を抱えたまま、小さく言う。
「今夜のうちにここを離れる」
ガルドが頷く。
「そうしよう。もうあいつに怒鳴られるのはうんざりだ」
「西外れに空き家がある」
フィアナの目が上がる。
「レオフさんが言ってたところですね」
「ああ」
アシュが短く答える。
「明日の夜、旧祈祷院地下に入る」
その一言で、全員の空気が変わる。
ガルドは少しだけ口元を引き締めた。
「ようやくか」
「白い箱の中身も、その先も、そこにある」
フィアナが静かに息を吸う。
「行きましょう」
迷いのない声だった。
怖さは消えていないはずなのに、それでも前を見る声だった。
それ以上の言葉はいらなかった。
責任者がまた別の怒声を飛ばす。
その隙に、ノアが荷札の束を机へ戻す。
ガルドは工具箱を閉じる。
フィアナは最後の写し板を重ねる。
もう十分だ。
ここにいる理由は尽きた。
アシュは最後に、白い箱が積まれた奥を一度だけ見た。
「行くぞ」
低く言う。
四人と一匹は、夜の倉庫をあとにした。
王都の空気は相変わらず冷たい。
でも、追う先だけはもう迷わなかった。
今回から、第7章スタートです。
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