第57話 閲覧制限の部屋
古い記録庫の奥へ続く廊下は、棚のある部屋よりさらに静かだった。
ここでは、誰も大きな音を立てないのだと分かる。
先頭を行くアシュが足を止めた。
廊下の先に、飾り気のない木の扉が一つある。
鍵穴はあるが、外から見える錠はない。
代わりに、取っ手の金具だけが不自然に擦れていた。
「中にいる」
アシュが小さく言う。
ノアが耳を澄ませる。
「一人だな。板を動かしてる」
読む音ではない。
おそらく選り分ける音だ。
フィアナは抱えた布束を胸に寄せたまま、何も言わない。
首元へ手をやりかけて止める仕草だけが、少しだけ固かった。
アシュが扉へ手をかける。
鍵はかかっていなかった。
戸をわずかに押す。
中は細長い部屋だった。
左右の壁一面に棚。
中央に長机が二つ。
机の上にも板束や綴じた帳面がいくつも積まれている。
灯りは机の端に一つだけ。
その明かりの前に、白衣の老人が立っていた。
背を向けている。
机の左と右へ板束を分けていた。
どちらを残し、どちらを奥へ回すか、そんなふうに見えた。
「左だ」
ノアが囁く。
机の左に積まれている方が新しい。
右は古い控えだ。
問題は、老人が机からほとんど離れないことだった。
「注意引けるか?」
「一瞬だけなら」
指先がわずかに動く。
灯りの火がふっと揺れた。
老人が顔を上げる。
小さく舌打ちし、机から離れて奥の小窓へ歩いた。
「誰が開けたんだ……」
独り言だった。
「今だ」
アシュが滑るように中へ入る。
ノアも続く。
フィアナは扉の陰から廊下を見張った。
机まで三歩。
左の板束へ手を伸ばす。
いちばん上の板を開く。
細い字が並んでいた。
灰祈地方白施設/選定外候補移送一覧
その下。
南保管層 第三/仮収容/再仕分前
アシュの目が細くなる。
「やっぱりか」
ノアはすでに次の板へ移っていた。
第三仮収容/移送先候補
裏返す。
そこに並んだ地名の一つで、三人の視線が止まる。
王都西区画旧祈祷院地下
扉の陰から、フィアナが小さく息を呑む。
「旧祈祷院……」
ノアがさらに一枚引いた。
白環反応残留/再仕分候補
フィアナの顔色が変わる。
けれど声は出さなかった。
終わっていない。
地下へ落として、それで終わりにはしていない。
使える形にもう一度分ける前提で、置いている。
その時、老人の足音が戻ってきた。
アシュが板を戻す。
ノアも束を揃える。
まだ足りない。
でも欲張れば終わる。
机の端に、板束ではないものがあった。
黒い表紙の帳面だった。
古い埃を薄くかぶっている。
けれど背表紙だけは擦れている。
灯りの揺れの残りで、その文字が一瞬だけ見えた。
灰刻関連
アシュの手が止まる。
喉の奥が、ひやりと冷えた感覚があった。
「……何で」
声にはならないほど小さかった。
ノアもそれを見た。
目だけが鋭くなる。
今追っていたのは、白い箱の流れだ。
その横に、アシュ自身の力の名がある。
偶然で済むはずがない。
「一枚だけだ」
ノアが囁く。
老人の足音が近い。
アシュは帳面を開いた。
最初の数枚は番号と照合印ばかりだった。
さらに一枚めくる。
短い文が目に入る。
灰祈地方案件照合/灰刻運用記録 一部移管
その下。
適応例 保留
再現性なし
個体差大
視界が一瞬だけ狭くなった。
灰刻が、自分だけのものじゃない。
王都で記録され、照合されている。
言葉より先に、その事実だけが胸の奥へ落ちた。
「アシュさん」
フィアナが、ほとんど息みたいな声で呼ぶ。
老人が戻る。
もう近い。
ノアが即座に帳面を閉じ、元の位置へ滑らせた。
だが、背表紙の向きがわずかにずれた。
三人は棚の陰へ身を滑らせる。
老人が机の前で止まる。
老人の手が机の端をなぞった。
そこで、ぴたりと止まる。
アシュの手が剣へ触れた。
数秒の沈黙。
老人は小さく鼻を鳴らした。
「……最近の若いやつは雑な仕事をする」
それだけ言って、黒い帳面ではなく別の板束を持ち上げた。
完全には気づかれていない。
ただ、誰か実務の人間が雑に触ったと思っただけらしい。
ノアが目だけで合図する。
今だ。
机の端にあった薄い控え札を、ノアが二本の指で抜き取る。
表には番号。
裏には短い受入印と移送先。
それだけで十分だった。
三人は扉の陰まで後退し、廊下へ出る。
フィアナが小さく息を吐いた。
今まで止めていたのだろう。
「見えましたか」
「ああ」
アシュが答える。
「南保管層の第三は仮置きだ。そのあと旧祈祷院地下へ回す」
ノアが控え札を見せる。
「それと……灰刻の記録があった」
フィアナの目が大きくなる。
「やっぱり」
白い箱の問題だけじゃない。
フィアナの問題だけでもない。
アシュの灰刻まで、この王都の記録の奥と繋がっている。
古い記録庫を出る。
裏口の外の空気は、さっきより冷たかった。
でも、頭の中は逆に熱い。
旧祈祷院地下。
白い箱の移送先。
灰刻関連。
追うべき線が二本並んだ。
「順番は」
ノアが問う。
アシュは少しだけ考えてから答えた。
「変わらねえ」
短く言う。
「まずはレオフだ。あいつが知ってることを吐かせる。そのあと旧祈祷院地下へ行く」
フィアナが頷く。
「うん」
その返事は自然だった。
夜はまだ長い。
けれど、追う先だけはもう見失わなかった。
第57話でした。
ついに、
南保管層のその先にある移送先まで見えてきました。
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