第54話 裏口の記録
夜はまだ終わっていなかった。
南の第三倉庫の中では、次の白い箱がもう動き始めている。
昼より人は少ない。
そのぶん、一人ひとりの目が濃い。
責任者の怒声。
箱を持ち上げる音。
薄板を重ねる乾いた音。
その全部の奥で、さっき受け取った木片の重さだけが、妙に手の中へ残っていた。
アシュは荷車の横へ戻ると、ガルドにだけ聞こえる声で言った。
「一人つながった」
ガルドは顔を上げない。
「レオフか」
「ああ」
「本人か?」
「おそらくな。まだ掴みきれてない」
ガルドは鼻を鳴らした。
「だろうな。都合よく出てくる男でもねえ」
その言い方に、アシュは少しだけ口元を動かした。
倉庫の奥では、フィアナがまた写し板を前へ寄せられていた。
さっきより枚数が多い。
若い女ももう容赦しない。
「これも」
「うん」
「手を止めるな」
「分かった」
フィアナの声はまだ少し硬い。
でも、最初よりはずっと自然になっていた。
ノアは確認机の端で、新しく入ってきた荷札を並べ直している。
ただ並べているだけじゃない。
数字と印と回送先を頭の中で繋げている顔だった。
「白封二、補助一、戻し札なし……」
小さく呟く。
その独り言に、確認役の男が面倒そうに目を向けた。
「何だ」
「いや」
ノアは平然と返す。
「二便目の方が軽いと思って」
「軽くはない。軽く見せてるだけだ」
確認役は吐き捨てた。
その一言を、アシュは横で聞き逃さなかった。
白い箱は、数だけじゃない。
流れごと分けられている。
重いもの。軽く見せるもの。
見せ方まで決めて運ばれている。
その時、倉庫の入口でまた軽い足音がした。
さっきの少年だ。
今度は水桶ではなく、細い布包みを抱えている。
中身は雑に畳んだ布切れにしか見えない。
「確認の戻り」
少年が言う。
誰へ向けた声でもない。
だが真っすぐ、フィアナの机の端へ歩いていく。
若い女が顔をしかめた。
「今か?」
「今だって言われた」
「何の戻りよ」
「古い写しの布」
少年は面倒そうに言って、布包みを机へ置いた。
「いらないなら捨てる」
「ちょっと待ちなさい」
若い女が手を伸ばすより先に、フィアナが包みを押さえた。
「私が見ます」
若い女が目を向ける。
「何で」
「さっきの写しの続きをやるなら、ここを広くした方がいいです」
とっさの返しだった。
でも不自然ではない。
若い女は舌打ちしながら肩をすくめた。
「勝手にしな。ただし散らかすなよ」
「うん」
フィアナは包みを自分の机の下へ引いた。
動きは小さい。
だが、アシュにはそれだけで十分だった。
あれも伝言だ。
ノアも同時に気づいたらしい。
確認札を並べる手を止めず、ほんの僅かに顎を引く。
まだ開くな、という合図だった。
それからしばらくは、本当に何も動かなかった。
白い箱が二つ、奥へ寄せられる。
控えが一束増える。
責任者がまた怒鳴る。
荷役が一人、木箱の角で指を打って悪態をつく。
全部が倉庫の夜として自然に流れていく。
その中で、布包みだけが机の下に沈んだまま動かない。
やがて、責任者が年配の男に呼ばれて奥へ入った。
確認役の男も、それにつられて席を外す。
机のあたりにいる目が、一瞬だけ薄くなる。
ノアがその隙を逃さなかった。
「フィアナ」
ごく普通の声で言う。
「その布、番号の印だけ見とけ」
「……うん」
フィアナは机の下で包みを開いた。
中に入っていたのは、古い布ではなかった。
薄い木板が一枚。
それから、小さな紙切れが二つ。
紙の方は油染みがあって、表からだとただの捨て紙にしか見えない。
フィアナの目が僅かに大きくなる。
だが声は出さない。
「何て書いてある」
アシュが荷車を押すふりのまま、小さく言う。
フィアナは紙を机の陰へ寄せ、読む。
「……箱は追うな。受け渡しの控えを追え」
ノアの目が細くなる。
もう一枚。
「西の古い記録庫。裏口の保管棚、下から三段目。第三の受け渡し控え」
そこまで読んで、フィアナは少しだけ息を止めた。
紙の端に、見覚えのある癖がある。
数字の書き方。
線の引き方。
レオフの名前を知らなくても、ノアが「本物だ」と言った意味が分かる癖だった。
「……やっぱり、あの人なんですね」
フィアナが小さく言う。
「ああ」
ノアが答える。
「直接会う気はないみたいだが、本物だ」
アシュは紙切れを一瞬だけ見て、また荷の方へ視線を戻した。
箱は追うな。
受け渡しの控えを追え。
たしかにその通りだった。
白い箱の中に人がいる。
それは分かった。
だが、今ここで箱を奪っても終わらない。
どこから来て、どこへ落ちて、誰が受け取ったか。
その線を押さえないと、王都の中で何も掴めない。
「西の古い記録庫……」
ガルドが低く言う。
「さっきの場所か」
「ああ」
アシュが答える。
「鐘がもう一つ鳴ったら、だな」
ノアが頷く。
「補助の束も、たぶんそっちと繋がってる」
その時、確認役の男が戻ってきた。
全員の空気が一瞬で元に戻る。
フィアナは紙を布に挟み込み、何もなかった顔で写し板へ向き直る。
ノアは荷札へ目を落とし、アシュは木箱の位置を直すふりをした。
確認役の男は机へ戻るなり、露骨に面倒そうな顔をした。
「第三の戻し、まだ来ねえのか」
若い女が肩をすくめる。
「さっき地下へ降ろしたばかりよ」
「だから遅いって言ってる」
吐き捨てるような会話だった。
だがそのやり取りの中で、もう一つ拾えた。
地下へ降ろした後、また上に戻ってくる何かがある。
記録か、空箱か、あるいはその両方か。
ノアがそこへ自然に混ざる。
「戻しってのは、どこから来る」
確認役の男が顔を上げる。
「聞くなと言ったはずだが」
「数が合わないと、こっちも困る」
ノアの返しはあくまで事務的だった。
男は舌打ちしたが、答えないままではいられなかったらしい。
「西だ」
短く言う。
「古い記録庫の方で一度合わせる。だから戻りが遅い」
それだけ言って、また荷札へ目を落とした。
十分だった。
西の古い記録庫。
裏口の保管棚。
第三の受け渡し控え。
伝言と倉庫の流れが、ようやく一つに重なる。
アシュは木箱を持ち上げながら、小さく言った。
「決まりだな」
ガルドが低く返す。
「待ってる間に行くのか」
「全員は動かさない」
ノアが言う。
「さっきと同じだ。俺とアシュが行く。フィアナとガルドはここに残れ」
フィアナが顔を上げる。
「私も行った方がいいとは思わない。けど……」
言葉を選ぶように少しだけ黙る。
「その控えが本物なら、そこに白い箱の中身に触れる時があるかもしれない」
「あるだろうな。だから取りに行く」
アシュが答えた。
フィアナは小さく頷く。
「なら、お願いします」
ちゃんと自分もこの流れの中にいるうえで、今は託すと言っている声だった。
ガルドが荷車の取っ手へ手をかける。
「こっちはどうする」
「うまく誤魔化してくれ」
アシュが言う。
「次の白封が来ても、不自然に止めるな」
「無茶言いやがるな」
ガルドは鼻を鳴らす。
「俺が止める時は、派手に止めるぞ」
その返しに、アシュはほんの少しだけ口元を動かした。
ルゥは机の下へ戻ったフィアナの足元で、じっと座っている。
その耳は、相変わらず鋭いままだ。
倉庫の夜はまだ続く。
だが、次に追うべき場所は見えた。
欲しいものは、箱の中そのものじゃない。
それを動かした“見えない手”の方だった。
第54話でした。
白い箱を追うだけでは足りない、
というレオフの線が、ようやく具体的に繋がってきました。
少しでも続きが気になったら、
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次話もよろしくお願いします。




