表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第1章 灰はまだ祈りを知らない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/80

第5話 白環の残響

第5話です。

戦いの夜の続き。


辿り着いた廃礼拝堂で、

フィアナは“何か”に触れてしまいます。

石造りの礼拝堂は、夜の森の中に沈むように立っていた。


 崩れた尖塔。

 半ば朽ちた外壁。

 ツタの絡んだ石段の上には、風雨に削られた聖印が辛うじて残っている。


 もうずっと使われていないのだろう。


 人の祈りが途絶えて久しい場所には、独特の冷たさがあった。


 アシュは荒い呼吸を押し殺しながら、礼拝堂の中へ足を踏み入れた。


 床には割れた石片と、朽ちた長椅子の残骸が散らばっている。正面の祭壇は半ば崩れ落ちていたが、屋根はまだ生きていた。雨風はしのげる。


 今の二人と一匹には、それで十分だった。


「……ここなら、少しは持つ」


 低く呟く。


 フィアナはアシュの腕を支えたまま、慎重に周囲を見回していた。


「追ってきますか」


「来る」


 即答だった。


「ただ、すぐじゃない」


 あれだけの血と死体が残っていれば、向こうも体勢を立て直す。

 それまでのわずかな時間が、今は必要だった。


 アシュは壁際まで進むと、そこでようやく体重を預けるように腰を下ろした。


 その瞬間、脇腹の傷が熱を持って疼く。


「っ……」


 小さく息が漏れる。


 フィアナの表情がすぐに曇る。


「やっぱり深いです」


「掠っただけだ」


「その言い方、信用できません」


 少しだけ責めるような声だった。


 アシュは言い返そうとして、やめた。


 灰刻の反動で、左腕の奥がまだ鈍く軋んでいる。肩と脇腹の傷も熱い。痛みに慣れているだけで、平気なわけではない。


 フィアナは膝をつき、腰の小袋から布と薬包を取り出した。


「傷、見せてください」


「自分でできる」


「今の状態で?」


 まっすぐ言われて、アシュは黙った。


「……手際は悪くないな」


「それ、褒めてますか」


「一応な」


 小さくそう返すと、フィアナは呆れたように息をついた。


 だが口元はわずかに緩んでいた。


 彼女はアシュの上着をそっと開き、脇腹の傷口を確かめる。投槍は深くは入っていないが、裂けた肉に血が張りついていた。


「痛みますか」


「痛い」


「それは、そうですよね」


 消毒が染みる。


 アシュは眉ひとつ動かさないようにしたが、指先だけはわずかに強張った。


 フィアナはそれに気づいたらしい。


「我慢しなくていいです」


「してない」


「しています」


 即答だった。


 その言い方が妙に自然で、アシュは少しだけ目を細める。


「……お前、意外と遠慮がないな」


「さっき命を助けられたので、今だけです」


「今だけか」


「今だけです」


 そう言いながらも、フィアナの手つきは丁寧だった。


 乱暴さがない。

 ただ傷を閉じるだけではなく、痛みをなるべく増やさないようにしているのが分かる。


 人に触れることに慣れている手だ、とアシュは思った。


 教会の中で、きっと何度も誰かの傷や熱を見てきたのだろう。


 やがて包帯を巻き終えると、フィアナはようやく小さく息を吐いた。


「……これで少しはましです」


「助かる」


 短く言うと、フィアナは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。


「ちゃんとお礼を言うんですね」


「言わない方がよかったか」


「いえ。少し意外だっただけです」


 アシュはそれ以上返さず、礼拝堂の奥へ視線を向けた。


 その時だった。


 礼拝堂の中央近くで、ルゥが低く唸った。


 白い背がぴんと張る。


 さっきまで傷を舐めながら座っていたはずなのに、今は祭壇の方をじっと見上げていた。


「……どうした」


 アシュが問うても答えるはずがない。


 だがルゥは明らかに警戒していた。


 耳を伏せ、尾を低くし、床を踏む足に迷いがない。まるで、この場所の何かを知っているようだった。


 フィアナもその気配に気づき、ゆっくり立ち上がる。


「祭壇……?」


 崩れた石段の向こう。

 ひび割れた祭壇の中心に、古びた円環紋が刻まれていた。


 礼拝堂の聖印に似ているが、少し違う。


 もっと古い。

 もっと無機質な形だ。


 アシュは眉を寄せた。


「近づくな」


 言うが、フィアナは祭壇から目を離さない。


「……これ、教会の紋ではありません」


「分かるのか」


「少しだけ」


 フィアナはそう呟くと、一歩だけ前に出た。


 足の怪我を庇いながら、それでも止まらない。


 ルゥはその横をすり抜けるように進み、祭壇の手前でぴたりと立ち止まった。唸り声は消えたが、今度は落ち着きがない。呼吸が浅くなっている。


 アシュは立ち上がろうとして、反動で身体が軋むのを感じた。


「フィアナ」


「少しだけ、見ます」


「見るだけで済ませる顔じゃない」


 低く言うと、彼女は一瞬だけこちらを振り返った。


 その青い目には、奇妙な確信と、拭いきれない不安の両方が浮かんでいた。


「……嫌な感じがするんです」


「なら離れろ」


「でも、知っている感じもするんです」


 意味の分からない言葉だった。


 だがフィアナ自身も、うまく説明できていないようだった。


 彼女は祭壇の縁へ手を伸ばす。


 その瞬間、ルゥが小さく鳴いた。


 止めるような、怯えるような声だった。


 アシュが一歩踏み出すのと、フィアナの指先が石に触れるのは、ほとんど同時だった。


 白い光が走る。


「――っ」


 フィアナの身体が強張る。


 次の瞬間、礼拝堂の空気が変わった。


 冷たい。


 いや、違う。


 時間そのものが、ひび割れた石の隙間から滲み出してくるみたいだった。


 アシュは思わず目を細める。


 祭壇の紋様が、フィアナの指先から淡く発光している。首元の刻印も呼応するように白く灯り、彼女の白銀の髪が微かに揺れた。


 それはまるで、彼女を中心に白い輪が閉じるような光だった。


「フィアナ!」


 呼ぶが、反応がない。


 彼女の目は開いているのに、焦点が違う場所を見ていた。


 見ている、というより――見せられているような目だった。


 白い光が、崩れた礼拝堂の壁をなぞる。


 その向こうに、何かが重なった。


 もう存在しないはずの景色が、そこにあった。


 崩れていた壁は元の形を取り戻し、床の割れ目は消え、長椅子は整然と並んでいる。祭壇の前には白い衣をまとった人々が膝をつき、頭を垂れていた。


 だが、誰ひとりとして顔が見えない。


 輪郭が曖昧だ。


 まるで、記憶の染みみたいに揺れている。


 そして、その中心に立つ白衣の人物だけが、やけに鮮明だった。


 聖職者だ。


 胸元には、今の教会の聖印より古い形の円環紋。


 その手には、幼い子どもの腕が握られている。


 逃がさないように。

 選別するように。


 アシュの背筋に冷たいものが走った。


「……何だ、これは」


 答える者はいない。


 フィアナの呼吸だけが浅い。


 彼女は見ている。

 そして、見せられている。


 次の瞬間、景色がまた揺れた。


 礼拝堂の外。

 夜。

 泣き声。


 何人もの子どもが列を作らされ、聖職者たちに囲まれている。


 首元には光る印。


 ある者には淡く。

 ある者には濃く。


 その中のひとりが泣きながら後ずさる。


 だが、白衣の手が容赦なく肩を掴む。


 その時、言葉が聞こえた。


 耳で聞いたのではない。

 光景そのものから滲み出た声だ。


 ――器は選ばれなければならない。

 ――穢れを受ける者が必要だ。

 ――世界のために。


 アシュの顔から血の気が引く。


 その響きには聞き覚えがあった。


 四年前。

 灰祈りの村で、自分が聞いた声と同じ種類のものだった。


 言葉は違っても、理屈が同じだ。


 必要な犠牲。

 選ばれた器。

 世界のため。


「……やめろ」


 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。


 フィアナの身体がわずかに震える。


 光景はまだ続いている。


 今度は、石床の上に横たえられた子どもたちだった。


 白い光の輪。

 円環紋。

 何かを測るようにかざされる手。


 そして、拒まれた者が連れていかれる。

 残された者が泣く。


 その泣き声の中に、フィアナの小さな声が混ざった。


「……やだ」


 か細い、今にも消えそうな声だった。


 その瞬間、光が乱れる。


 祭壇の紋様が強く明滅し、礼拝堂の中へ白い波紋が広がった。


 ルゥが鋭く鳴く。


 アシュは反射的に駆け寄り、フィアナの肩を掴んだ。


「フィアナ!」


 揺さぶる。


 だが彼女の指先は祭壇に吸いついたように離れない。


 白い光が首元の刻印から溢れ、ひび割れた石床を走る。


 空気が震えた。


 このままではまずい。


 直感がそう告げていた。


「……離れろ!」


 アシュは無理やりフィアナの手首を引いた。


 強い抵抗ではない。


 だが、石の向こう側に何かが掴んでいるような重さがあった。


 その一瞬、アシュの視界にも何かが流れ込んだ。


 炎。

 灰。

 泣き声。

 焼け落ちる家々。

 そして、炎の向こうでこちらを見ている子どもの目。


 灰祈りの村。


「っ……!」


 アシュの呼吸が止まる。


 次の瞬間、フィアナの手が祭壇から離れた。


 白い光が弾ける。


 礼拝堂を満たしていた幻の景色が、音もなく崩れ去った。


 残ったのは、ひび割れた壁と、冷えた夜気と、荒い呼吸だけだった。


 フィアナの膝が崩れる。


 アシュは咄嗟にその身体を抱き留めた。


「しっかりしろ」


 返事はない。


 だが意識を失ったわけではないらしい。彼女は震えながら、ようやく浅い呼吸を繰り返している。


 顔色が悪い。

 唇も白い。

 首元の刻印だけが、まだ微かに明滅していた。


 ルゥがすぐそばまで来て、フィアナの頬へ鼻先を寄せる。


 確かめるような仕草だった。


「……何を見た」


 アシュは低く問うた。


 フィアナはしばらく答えなかった。


 やがて、かすれた声で呟く。


「子ども、たちが……いました」


 途切れ途切れの言葉だった。


「ここで……選ばれてた」


 アシュの喉がきつくなる。


「何にだ」


 問いかけると、フィアナはゆっくりと目を閉じた。


「……器に」


 礼拝堂の空気が、さらに冷えた気がした。


 アシュは抱き留めたままのフィアナを見下ろす。


 彼女の手はまだ震えている。


 怯えだけではない。

 理解してしまった者の震えだ。


「この場所……教会の礼拝堂じゃ、ありません」


 フィアナが細く息を吐く。


「もっと前……教会が今の形になる前から、使われてた場所です」


「神子のための場所か」


「……多分」


 その答えは、確信に近かった。


 アシュは祭壇を睨みつける。


 石に刻まれた円環紋は、すでにただの古い傷のように沈黙していた。


 だがさっき確かに、そこに“理屈”があった。


 人を器として選び、世界のために壊す理屈が。


 そしてそれは、灰祈りの村で見たものと地続きだった。


「……ふざけるな」


 声は低かった。


 怒鳴るでもなく、ただ冷えた怒りだけがあった。


 フィアナがわずかに顔を上げる。


 アシュは祭壇から目を離さないまま、続けた。


「昔からそうやって選んで、壊して、残ったものだけで世界を繋いできたのか」


 答える者はいない。


 だが沈黙そのものが、肯定に思えた。


 その時、礼拝堂の外で風が鳴った。


 アシュははっとして顔を上げる。


 違う。


 風だけじゃない。


 遠くから、わずかに金属音が混じっている。


 追手だ。


 向こうもこちらを見失っていない。


 ルゥもそれに気づいたらしく、入口の方へ振り返って低く唸った。


「……休憩時間は終わりか」


 アシュは小さく息を吐き、フィアナをゆっくり壁際へ座らせた。


「立てるか」


「……少しだけ、待ってください」


「待てない」


 言いながらも、その声は少しだけ抑えられていた。


 フィアナは息を整えながら、祭壇の方をちらりと見た。


「アシュさん」


「何だ」


「この場所……さっき見たものと、どこか繋がっている気がします」


 その一言で、アシュの表情が止まる。


「繋がってる、とは」


「うまく言えません。でも……同じものに触れた感じがするんです」


 アシュは無意識に、左頬から首へ走る火傷痕へ手をやった。


 嫌な汗が背中を伝う。


 灰祈りの村。

 自分が焼いた村。


 できれば二度と思い出したくない場所。


 だが今、その場所の記憶と、この礼拝堂の気配が繋がった。


 偶然ではない。


 そんな予感だけが、重く沈んでいく。


「……なら、行くしかないか」


 自分でも驚くほど静かな声だった。


 フィアナが顔を上げる。


「え……」


「逃げるだけじゃ埒が明かない」


 礼拝堂の外では、もう気配が近づいている。


「向こうが何を隠してるのか、確かめる」


 アシュは剣を取った。


 脇腹が痛む。

 灰刻の反動も抜けていない。


 それでも、立つしかなかった。


 フィアナはアシュを見つめ、やがて小さく頷いた。


「私も、行きます」


「止めても来るだろうな」


「……はい」


 それだけ言って、アシュは礼拝堂の入口へ視線を向ける。


 ルゥはすでにその前で立ち、闇の向こうを睨んでいた。


 外では、誰かが枯れ枝を踏んだ。


 ひとつではない。

 また増えている。


 そして今度は、追うだけの足音じゃない。


 探し当て、確かめ、奪い返すための足音だった。


 アシュは剣の柄を握り直す。


 礼拝堂の冷たい空気の中で、怒りだけが妙に鮮明だった。


 灰祈りの村に繋がるなら、もう逃げるだけでは終われない。


 その確信だけを胸に、アシュは低く言った。


「……来るなら来い」


 夜はまだ、何ひとつ終わっていなかった。

第5話でした。


今回は廃礼拝堂で、

フィアナが“神子”に繋がる過去の断片へ触れる回でした。


ここから少しずつ、


神子とは何か

教会が何を隠しているのか

灰祈りの村と何が繋がっているのか


が見え始めます。


もし少しでも面白いと思っていただけたら、


ブックマーク

評価

感想


などいただけると、とても励みになります。


次話もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ