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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第6章 王都の影へ

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第49話 荷継ぎ村

 イリスと別れたのは、朝の光が山の端を越える少し前だった。


 谷を見下ろせる岩場で、彼女は足を止めた。

 それまで一度も振り返らなかったくせに、その時だけはちゃんとこちらを見る。


「ここまでだね」


 短い声だった。


 フィアナが荷を抱えたまま、少しだけ息を詰める。


「王都へは……」


「行かないよ」


 イリスははっきり言った。


「少なくとも、表からは」


 アシュはその横顔を見る。


 迷いがないわけじゃない。

 だが、迷ったところで選べる道が増えるわけでもない。


「お前が持ってる情報は全部受け取った」


 アシュが言う。


「南保管層、古い荷路、南側の中継線。こっちはそれで動く」


「そっちは任せるわ」


 イリスは頷く。


「私は別の線を追う。王都に入らなくても見えるものはある」


 ガルドが腕を組む。


「じゃあまた会うな」


「約束はできないけど」


 イリスの返しは素っ気ない。


「でも、同じ相手を追ってるなら、勝手に交わるでしょ」


 それだけ言って、彼女は最後にフィアナを見る。


「気を付けてね」


「はい」


「あと――」


 イリスは少しだけ言葉を切った。


「自分の名前を、大切にね」


 フィアナの目がわずかに揺れる。


「……はい」


 イリスはそれ以上は何も言わなかった。

 踵を返し、山の裏へ消えていく。


 しばらく誰も口を開かなかった。


 ルゥだけが、消えた方角へ小さく鳴いてから、諦めたみたいにフィアナの足元へ戻ってくる。


「……行くか」


 アシュが言う。


 ガルドが頷く。

 ノアは無言で荷を背負い直し、フィアナも小さく息を吐いて前を向いた。


 ここからはもう、山の逃走ではない。


 王都へ向かう道だ。


 その実感は、山を下るほどはっきりしていった。


 荷路は古い。


 ところどころに崩れた石積み、朽ちた道標、乾いた轍の跡。

 人目を避けるには便利だが、足場としては最悪だった。

 半日も下れば足裏と膝がじわじわ重くなり、黙っていても消耗が身体へ溜まる。


 昼が近づくころ、ようやく山裾がひらけた。


 十数軒ほどの家が寄り集まった小さな村が見える。


「……村か」


 アシュが低く言う。


 ガルドが眉を寄せた。


「荷継ぎ村だな。昔はもっと栄えてたはずだ」


 ノアが遠目に家並みを見た。


「今は半分死んでる」


「街道の流れが変われば、村も死ぬ」


 ガルドはぶっきらぼうに返す。


「でも、水と納屋が残ってるなら休むには悪くねえ」


 アシュは村を見る。


 長居するつもりはない。

 だが王都へ向かう前に、人の流れと南側の道の空気を知るにはちょうどいいかもしれなかった。


 その時だった。


 村の入口近くで馬が鳴いた。


 次に、木が割れるような大きな音が響く。

 荷車の軸が折れた音だった。


「っ」


 アシュたちが視線を向ける。


 村へ入る坂道の途中で、小さな荷車が片輪を浮かせて傾いていた。

 引いていた馬が暴れ、前足を打ち鳴らし、御者台から転げ落ちた男が立ち上がれずにもがいている。


 荷車の後ろでは、女が必死に荷を押さえようとしていた。

 小さな子供がひとり、怖くて動けなくなっている。


 ガルドが吐き捨てる。


「アシュ」


「分かってる」


 言うより先に、もう身体が動いていた。


 坂を駆け下りる。

 アシュがまず子供の襟首を掴んで横へ引き、次に馬の頭を押さえに入る。


 暴れる馬は、恐怖と痛みで目を剥いていた。

 その鼻先へ、ルゥがするりと回り込む。


 白い毛並みがふっと視界に入った瞬間、馬の動きが一拍だけ鈍る。

 その隙にアシュが手綱を奪い、ガルドが横から荷車の傾きを支えた。


「ノア!」


「見えてる」


 ノアは壊れた車輪の下へしゃがみ込み、軸の裂け目を見る。

 完全に折れたのではない。

 ひびが深く入って、荷重に耐えきれなくなった形だ。


「持ち上げろ。少しでいい」


 アシュとガルドが同時に力を入れる。

 荷車がわずかに浮いたところへ、ノアが近くの石と板を差し込み、傾きを固定する。


 フィアナはすでに転げ落ちた男のそばへいた。


「動かないでください」


「だ、大丈夫だ……」


「そうですね。でも動かないでください」


 即答だった。


 足首をひねっている。

 骨まではいっていないだろう。

 だが放っておけばまともに歩けなくなる類の怪我だ。


 フィアナは白い加護を強く使わない。

 目立つし、今の消耗で無理もできない。

 だから布で圧をかけ、痛みを散らす程度の薄い光だけを当てる。


 御者の男の呼吸が少し落ち着く。


 その横で、荷を押さえていた女がようやく我に返った。


「あ、あんたら……旅の人か?」


「そうだ」


 アシュが短く答える。


「何を積んでる」


「塩と干し肉、それに布だよ……! 落としたら今月が終わる!」


「じゃあもっと頑張れ」


 ガルドが言い、荷縄を素早く締め直す。


 ノアは割れた軸へ板を当て、持っていた細紐と金具で応急に補強していた。


「村の中までは持つ」


「本当かい?」


「村の中までならな」


 それ以上を期待するな、という言い方だった。

 でも今は十分だった。


 子供はまだ固まっている。

 ルゥがその前に座り込み、小さく鳴く。

 それでようやく、子供の肩から力が抜けた。


「……白い」


 子供が呟く。


「犬?」


「違う」


 アシュが答える。


「たぶん違います」


 フィアナも言う。


「たぶんって何だよ」


 ガルドがぼやき、女が思わず笑った。


 その笑いで、場の強張りがようやく解ける。


 荷車はゆっくりと村の中まで押し込んだ。

 入口すぐの広場に着いた頃には、何人かの村人が出てきていた。


 最初は警戒の目だった。

 だが壊れた荷車と、怪我人の足に巻かれた布と、落ちずに済んだ荷を見れば、話は早い。


「助かったよ」


 御者の男が言う。


「ほんとに、あのままだったら全部ひっくり返ってた」


「礼はいい」


 アシュが言う。


「水を貰えるか」


 村の女が頷く。


「水くらいならいくらでもあるよ。昼の飯は大したもん出せないけど、休んできな」


 アシュは一度だけガルドとノアを見る。


 王都へ急ぐ。

 けれど、ここで人の流れと南側の様子が拾えるなら悪くない。


「少しだけ世話になる」


 そう答えると、村人たちの表情がようやく人並みに緩んだ。


 小村の空気は、山の隠れ家とは違う。


 炊いた穀物の匂い。

 濡れた洗濯物。

 修繕途中の柵。

 子供の声。

 犬の鳴き声。

 戦いの外側にある、普通の暮らしの音だ。


 それが逆に、今のアシュたちには少し不思議だった。


 広場の端で腰を下ろしたところへ、先ほどの御者が湯気の立つ椀を持ってきた。


「うちの嫁の粥だ。口に合うといいが」


 ガルドがありがたそうに受け取る。


「ありがてえな」


「お前、そういう時だけ素直だな」


 アシュが言う。


「食いもんには勝てねえよ」


「分かりやすい奴だな」


 フィアナは子供に呼ばれ、ルゥの説明をさせられていた。

 説明になっているのかは怪しい。

 ノアは村の水路と荷置き場を見て回っている。情報を集めるらしい。


 アシュは粥を受け取り、一口だけ飲んだ。


 温かい。

 それだけで、腹より先に肩の奥が少しほどける。


 その時、御者の男が声を落とした。


「あんたら、王都へ行くのかい」


 アシュの目が上がる。


「何でそう思う」


「荷路から来た旅人が、今この村に寄る理由なんてほぼ一つだ」


 男は広場の外、南の道を顎で示した。


「最近、南側の検問がきつくなってる。普通の行商は北を使えって追い返されるのに、逆に変な荷だけは通ってく」


 ガルドが椀を置く。


「どんな荷だ」


「箱だよ。白く封した細長い箱。王国兵だけじゃなく、教会側の黒い連中までついてた」


 アシュたちは視線を交わした。


 黒い連中。

 白衣じゃない。

 山で当たった裏の連中だ。


「いつだ」


 アシュが問う。


「三日前と、昨日の朝だ」


 男は言う。


「今朝も通るかと思ったが、そっちは来なかったな。代わりに南の見張りだけ増えてた」


 ノアがいつの間にか戻ってきていた。


「見張りは何人だ」


「村から見える範囲だけでも倍だ。しかも、荷を見る目ってより、人を選んで止めるような感じだった」


 この小村に寄ったのは正解だった。

 南側の荷が動いている。

 しかも王国と教会の両方が噛んでいる。


 白い施設の線は、もう王都へ戻り始めている。


 男がさらに声を落とした。


「悪いことは言わん。王都へ入るなら、まともな旅人の顔して行くのはやめときな」


「何でだ」


 ガルドが問う。


「今の南門はちゃんとした旅人ほど止められる」


 男は苦い顔で言う。


「逆に、荷運びや村回りの職人みてえなのは、通すときは案外雑だ」


 ノアが小さく息を吐いた。


「それはありがたい情報だな」


 御者の男は頷き、それ以上は深入りしなかった。

 聞きたいことを聞いたあとは、こちらの事情に踏み込まない。田舎の流儀なのか、それとも余計なことを知って得する時代ではないからか。


 どちらにせよ助かった。


 フィアナが戻ってくる。

 ルゥの頭には、いつの間にか子供が摘んだらしい小さな草花が乗っていた。


「……何だそれ」


 アシュが言う。


 フィアナが少しだけ困ったように笑う。


「気に入られたみたいです」


「本人はどうなんだ」


 ルゥはひと鳴きして、花をつけたままアシュの足元へ座った。


 ガルドが吹き出す。


「そのまま行くのかよ」


「目立つだろ」


 アシュが花を取ろうとすると、子供が慌てて声を上げた。


「だめ! 似合ってる!」


 広場に小さな笑いが広がる。


 ほんの短い時間だった。

 でも、その短さがちょうどよかった。


 ずっと緊張の中を歩いてきた一行が、ただの追われる影ではなく、人の中に立っている瞬間だった。


 アシュは花を取るのをやめた。


「……好きにしろ」


 ルゥは満足そうに尻尾を揺らした。


 粥を食べ終えた頃には、陽が少し傾き始めていた。


 長居はできない。

 だが、ここで得たものは小さくない。


 南の検問は厳しい。

 白い箱が運ばれている。

 黒衣がついている。

 まともな旅人ほど止められる。


 つまり、王都へ入るなら姿を変える必要がある。


「……行くぞ」


 アシュが立ち上がる。


 もう迷いはない。


 村人たちは深くは引き留めなかった。

 ただ、怪我をした御者の男が最後に言った。


「助かった。今度はあんたらがうまく切り抜けられるといいな」


 アシュは答えず、軽く手だけ上げた。


 それで十分だった。


 村を出る時、フィアナは一度だけ振り返った。

 短い寄り道。

 でも、人を助けて、少しだけ人の暮らしに触れた時間だった。


 王都へ向かう話の途中で、そういうものが残るのは悪くないと、アシュも思った。


 南の道は、夕方の光を受けて細く伸びている。


 その先にあるのは王都だ。

 記録と箱と、名前を消す側の街。


 アシュたちは、再び歩き出した。

第49話でした。


移動の途中で小さな村に寄って、

少しだけ人を助けつつ、王都南側の空気も見えてきた回でした。


ここから第6章は、

いよいよ王都へ近づいていきます。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いします。

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