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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第5章 逃げた器の行方

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第45話 追跡の影

隠れ方を知っている者ほど、

そこに長く留まらない方がいい理由も知っている。

 イリスの言う通り、小屋に長く残ることはなかった。


 荷をまとめる時間すら最低限だった。

 火の跡は崩し、水桶は伏せ、布は畳んで隠す。そこに人がいた形を、一つずつ薄くしていく手つきに迷いがない。


 アシュはそれを黙って見ていた。


 慣れている。

 そう見えるのは、生き延びるために何度も繰り返してきたからだ。


「見てるだけ?」


 イリスが言った。


「手際がいいな」


 アシュが返すと、イリスはほんの僅かに眉を動かした。


「まあ慣れてるからね」


 手を止めず、最後に小屋の戸口へ土を払って足跡を薄くした。


「こっち」


 短く言って、岩の陰へ入っていく。


 道と呼べるほどのものではない。

 木々の根の間、岩の切れ目、崩れた斜面の縁を、最短ではなく見つかりにくい順で選び続けたような進み方だった。


 アシュたちはその後を追う。


 フィアナはイリスから少し遅れて歩いていた。

 距離を詰めたい気持ちはあるのだろう。だが、急に踏み込みすぎれば相手が引くと分かってもいるらしい。


 ルゥだけが、最初から遠慮を知らなかった。

 イリスの前を横切り、岩を飛び越え、時おり振り返っては小さく鳴く。


「この子、警戒心ってものがないの?」


 イリスが言う。


「あります」


 フィアナが答える。


「でも、たぶん人を見る時の基準が少し変なんです」


「だろうね」


 イリスは前を向いたまま言った。


「白い施設にいた時も、そういうのはいた」


 フィアナが息を止める。


「……やっぱり、見ていたんですね」


「見たくなくても見える場所だったから」


 そこで会話は切れた。


 道はさらに細くなる。

 山裾を離れ、乾いた沢筋へ降りる。上から見れば行き止まりにしか見えない場所だが、底まで下りると、崩れた石の並びの向こうに人が抜けられる幅だけが残っていた。


 ノアが足を止める。


「ここも誰かが使ってるな」


「イリスさん以外に、ですか」


 フィアナが訊く。


 ノアは頷いた。


「最近だ。しかも一人じゃない」


 ガルドがすぐに地面へ目を落とす。


 乾いた砂利の流れ。

 踏み跡は薄い。だが確かに複数ある。しかも、隠し慣れた足運びだった。


「王国側じゃねえな」


 ガルドが低く言う。


「何で分かる」


 アシュが問う。


「王国兵は、ここまで細かく痕を消さない。消す必要もない」


 イリスの顔つきが変わった。


「心当たりがあるのか」


 アシュが言う。


 イリスは答える前に、沢筋の先を見た。


「白い施設の線が切れたなら、王国より先に嗅ぎつける連中がいる」


「教会か」


「正確には、その奥」


 短い返しだった。

 だが、それだけで十分だった。


 白衣の聖職者じゃない。

 もっと秘匿に近い側。

 表に立たないまま人を囲い、選び、消す連中だ。


「急ぐぞ」


 アシュが言う。


 一行は沢筋を抜けた。


 その先にあったのは、斜面の途中へ半ば埋もれた古い見張り小屋だった。

 小屋というより、石積みの監視所の残骸に近い。屋根は一部落ちているが、壁はまだ生きている。中へ入れば、矢も風もいくらか防げる作りだ。


「ここで一度休憩」


 イリスが言った。


「次の道は、明るいうちに進んだ方がいい」


「追手が来るなら、止まるのは悪手じゃねえのか」


 ガルドが言う。


「来るなら、ここで迎った方がましよ」


 イリスは淡々としていた。


「沢筋の途中で囲まれるより、壁がある方がいい」


 アシュは中を確認する。


 狭い。

 だが戦えない広さでもない。

 壁の裂け目から外も見える。


「悪くねえな」


 アシュが言うと、イリスは短く頷いた。


 そのまま中へ入り、床際の石を一つどかす。

 隠してあったらしい小袋が出てきた。中には乾いた薬草と、細い鉄針が数本。


「まだ置いてたのか」


 ノアが言う。


「全部持ち歩くと、死んだ時に全部消えちゃうからね」


 イリスの返しは乾いていた。

 それが冗談でないと分かる言い方だった。


 フィアナは荷を下ろしながら、小さく訊く。


「……一人で、ずっとこうしていたんですか」


 イリスはすぐには答えなかった。

 袋の口を結び直し、それからようやく言う。


「ずっとじゃないわ。助けてくれる人もいた。でも、最後は一人で動けないと意味がない」


 フィアナは何か言いかけて、やめた。


 アシュにはその横顔だけで十分分かる。

 私ならできるだろうか

 そう考えた顔だった。


 その時、ルゥが戸口の方でぴたりと止まった。


 低い唸り声。


 ガルドが弓を取る。

 アシュもすぐに剣へ手をかけた。


「来たか」


 ノアが壁の隙間から外を見る。


「三……いや、四」


「人か」


「ああ」


 ガルドの声が落ちる。


「しかも、気配が薄い」


 イリスが短剣を抜いた。


「王国じゃない」


「根拠は」


 アシュが問う。


「足の置き方」


 イリスは即答した。


「囲う気じゃない。見つけたらすぐ仕留める動き」


 小屋の外、斜面の上に黒い影がひとつ現れた。


 白衣ではない。

 黒だ。


 布ではなく、軽い鎧の上に黒い上着を羽織り、顔の下半分まで覆っている。

 聖職者というより、執行用に形を変えた兵だった。


 もう一人。

 さらに二人。


 四人。


 全員が無駄なく散って、小屋の出口と側面を押さえる位置につく。


「……面倒なのが来たな」


 アシュが低く言う。


 先頭の黒衣が、小屋へ向けて短く告げた。


「対象を確認。白環反応二。それ以外の排除を許可」


 フィアナの顔色が変わる。

 イリスの目は逆に冷えた。


「やっぱりそうだよね」


 次の瞬間、黒衣の一人が札を投げた。


 ノアが即座に叫ぶ。


「伏せろ!」


 札が壁へ貼りつき、青白い封線が一気に広がる。

 小屋の入口が閉じるように術式で塞がれ、空気が一瞬だけ重くなる。


「封鎖術か」


 アシュが舌打ちする。


「王国兵よりよっぽど厄介だな」


「しかも、殺す気で来てる」


 イリスが低く言う。


 彼女の声に恐怖はあった。

 だが、それより先に慣れがあった。


 黒衣が踏み込んでくる。


 最初の一人は正面。

 二人目は壁沿い。

 三人目は封鎖を維持。

 四人目が斜面の上で待機。


 役割分担まで見える動きだった。


 アシュが前へ出る。

 正面から来た黒衣の刃は細い。突きに特化している。

 喉か、脇か、急所だけを狙う剣だ。


 アシュは正面で受けず、半歩ずれて流す。

 そのまま踏み込み、首を狙う。

 だが相手も浅く引き、代わりに札を滑らせてきた。


 アシュは腕で払う。

 札が床へ落ち、そこから細い光が走る。


「ちっ」


 足を止めるための封だ。


 ノアが即座に術式で床を打ち消し、ガルドの矢が壁沿いの黒衣の肩へ刺さった。

 それでも黒衣は声を上げない。

 歯を食いしばるだけで、もう一枚札を抜く。


「声もださねえなんて、気味悪いんだよ」


 ガルドが吐き捨てた。


 イリスが低い位置から飛び出す。

 正面からは行かない。

 黒衣の死角へ滑り込み、短剣で手首だけを裂いた。


 札が落ちる。


「下手に切るな!」


 アシュが言う。


「血に触ると面倒な術があるかもしれねえ!」


「言うのが遅い!」


 イリスが返す。


 その間に、フィアナが両手を重ねる。

 白い加護は強くは打たない。

 小屋の中で暴れれば、こちらの動きも止まる。

 だから相手の封線だけを鈍らせるように、正確に細く走らせた。


 札の光がわずかに揺らぐ。


「今です!」


 ルゥが飛ぶ。


 壁沿いの黒衣へ横から体当たりし、体勢を崩したところへアシュの剣が入る。

 喉ではない。肩口から腕を落とす。

 戦闘不能にするだけで十分だった。


 残る二人がすぐに退く。

 無駄に死なない。

 それが余計に厄介だ。


「撤退するのが早いな」


 ノアが低く言う。


「確認と始末だけの部隊か」


 アシュは正面の黒衣を睨む。


 そいつは一歩下がり、初めて口を開いた。


「器候補二名を確認。報告を優先する」


 イリスの表情が変わる。


「二名……」


 フィアナも息を呑む。


 つまり今の教会側は、イリスだけじゃなくフィアナも同列で見たということだ。


「逃がすかよ」


 ガルドが矢を引く。


 だが放つより先に、斜面の上にいた四人目が細い笛を吹いた。


 耳障りな高音。


 次の瞬間、斜面の上の木々がざわりと揺れた。


「……魔物を寄せたか」


 ノアが顔をしかめる。


「クソっ」


 ガルドが吐き捨てる。


 黒衣たちはその隙に距離を取る。

 追えば魔物。

 追わなければ報告が走る。


「アシュ!」


 ノアが叫ぶ。


 斜面の上から、灰黒い猿型の魔物が二体、三体と飛び出してきた。

 細い腕が長く、爪だけが異様に白い。


「グレイマーカーか!」


 ガルドが言う。


「今ここで来るかよ!」


 アシュは舌打ちし、追う判断を切った。


「黒衣は捨てる! 魔物を先に潰すぞ!」


 イリスが一瞬だけアシュを見る。

 その判断が早かったことに驚いたのかもしれない。

 だがすぐに短剣を構え直し、フィアナの横へついた。


「その子を真ん中に!」


「分かってます!」


 フィアナが返す。


 ルゥが低く唸り、最初の一体へ飛ぶ。

 ノアの術式が斜面の石を浮かせ、ガルドの矢が二体目の眼を射抜く。

 アシュは前へ出て、三体目の腕を落とした。


 最後の一体が斜面を転がり落ちた時には、黒衣たちの気配はもう遠かった。


 静けさが戻る。


 だが、戻った静けさは前と同じものじゃない。


 フィアナはまだ息を整えきれていない。

 その横で、イリスは黒衣が消えた方角を睨んでいた。


「……早すぎる」


「教会の秘匿部隊か」


 アシュが問う。


 イリスは頷く。


「白い施設が動いた時点で、もっと早く山へ入っててもおかしくなかった。でも、ここまで来たならもう隠しきれない」


 ノアが落ちた札を拾う。


 白い封印用の紙ではない。

 黒地に銀で細く印が入っている。


「正規の執行札じゃないな」


「秘匿用よ」


 イリスが答える。


「白衣が表なら、あいつらは裏」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「ロクでもねえもんばっか増えるな」


 アシュは剣の血を払った。


 王国だけじゃない。

 教会の奥も、もうこちらを探し始めている。


 山の中に留まれる時間は、思ったより少ない。


「王都だな」


 ぼそりとアシュが言う。


 イリスがそちらを見る。


「決めるのが早いのね」


「のんびりしてる暇がなくなった」


「それは正しい判断」


 彼女はそこで初めて、ほんの少しだけアシュたちを見る目を変えた。


 まだ信用ではない。

 でも、ただの厄介ごとを見る目ではなくなった。


「場所を変える」


 イリスが言う。


「今度は本当に、長く話せるところへ行く」


 フィアナが静かに頷く。


「はい」


 イリスの目が一瞬だけフィアナの白環に落ち、それから離れる。


「その前に、歩ける?」


「歩けます」


「無理なら言いなさい」


 イリスの言い方は素っ気なかった。

 

 フィアナは少しだけ目を見開き、それから小さく頷いた。


「……はい」


 ルゥがその二人の間を見上げ、ひとつ鳴く。

 ガルドが苦笑ともつかない息を吐いた。


 アシュは短く息を吐き、東を見る。


 白い施設。

 イリス。

 黒衣の秘匿部隊。

 王都にしかない記録。


 もう引き返せない。


「行くぞ」


 短く言う。


 今度はイリスも、何も言わずに先へ踏み出した。

 その後を、アシュたちが続く。


 山の中で終わる話ではなくなってきた。

 答えはもう少し先、そして王都へ近づいている。

第45話でした。


イリスと合流した直後に、

今度は教会側の秘密が動き出しました。


ここから先は、

王都へ向かう理由が強くなっていきます。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いします。

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