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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第5章 逃げた器の行方

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第44話 逃げた者の言葉

逃げ延びた人間の言葉は、

救いより先に、

生き残るための冷たさを連れてくる。

 小屋の中は、外から見たより整っていた。


 広くはない。

 大人が四、五人も入れば、それだけで空気が埋まる程度の広さしかない。

 それでも、寝る場所、火を使う場所、水を置く場所が無駄なく分けられていて、長く生きるために使われてきた場所だと分かる。


 イリスは戸口の内側に立ったまま、すぐには奥へ入らなかった。


 まずアシュを見る。

 次にガルド。

 その次にノア。

 最後にフィアナの胸元へ視線が落ちる。


 警戒している。

 しかも、誰を一番警戒すべきかを見極める癖が染みついている目だった。


「武器は好きに持ってていい」


 イリスが言った。


「その代わり、変な真似をしたらすぐ出ていってもらう」


「歓迎されてねえな」


 ガルドがぼやく。


 イリスはそれに表情も変えない。


「歓迎する理由がまだないもの」


 ノアが小さく鼻を鳴らした。


「だろうな」


 壁際に粗い棚

 吊るされた乾燥薬草

 繕いかけの布

 小さな鍋

 そして、寝床が一つ


 一人で使っている場所だった。


 イリスもそれを隠そうとはしない。


「座って」


 短く言って、自分は壁際に残る。

 逃げ道を背にする位置だ。


 アシュはそれを見て、小さく息を吐いた。


 慣れている。

 人を中へ入れても、自分だけは先に逃げられる位置を取る。

 そうやって生き延びてきたのだろう。


 フィアナが慎重に腰を下ろす。

 ルゥはその足元へ寄り、しばらくイリスを見上げていた。


 イリスの目が、ほんの少しだけ揺れる。


「……その子、あの子に似てる」


 フィアナが顔を上げた。


「あの子、というのは」


「白い施設にいた頃、何度か見た」


 イリスは言葉を選ぶみたいに少し間を置く。


「失敗作だとか、反応が歪んでるとか、そういう言い方をされてた小さい獣。全部同じ個体だったかは分からないけど」


 ルゥが低く唸る。

 フィアナがすぐに背を撫でた。


「大丈夫です」


 それがルゥへ向けたものか、自分へ向けたものかは分からない。


 アシュが口を開く。


「白い施設について、知ってることを話せ」


 イリスの目がアシュへ戻る。


「いきなりね」


「時間がねえ」


「追手?」


「ああ」


「王国に追われながら、よくここまで来たものね」


 その言い方には、皮肉だけじゃないものが混じっていた。


 アシュは短く言う。


「来たかったわけじゃねえ。来るしかなかった」


「そう」


 イリスはそれ以上そこには触れず、代わりにフィアナを見た。


「あなたは、まだ候補の段階なの?」


 フィアナは少しだけ迷ってから答える。


「たぶん、そうです」


「たぶん」


 イリスはかすかに目を細めた。


「曖昧な返事ね」


「全部を教えてもらえていないので」


「……そういうところは変わらないのね」


 その一言に、フィアナの表情が少しだけ動いた。


「変わらない?」


「王国も教会も。候補を使う時は名前を消すくせに、肝心なことは何も教えない」


 イリスの声は静かだった。

 怒鳴るほどの熱はない。

 代わりに、何度も噛んで薄くなった怒りが底に沈んでいる。


「白い施設は、候補を分けるための場所よ。集めて、測って、振り分けて、それぞれ別の場所へ送る」


 ノアが言う。


「祈祷室は、その判定のためか」


「ええ」


 イリスは頷いた。


「祈祷室で見るのは、祈れるかどうかじゃない。どれだけ器として保つか、どの段階まで耐えるか、それだけ」


 ガルドが顔をしかめる。


「人間を桶か何かみてえに言いやがるな」


「実際、そう扱ってたんだもの」


 即答だった。


 そこには迷いも誇張もない。

 見たままを言っているだけの冷たさがあった。


 フィアナが膝の上で指を組む。


「あなたは……そこから、どうやって」


「逃げた」


 イリスは言った。


「それだけ」


「それだけで済む話じゃねえだろ」


 アシュが低く返す。


 イリスは少しだけ口元を歪めた。


「そうね。済まなかったから、今ここにいる」


 それから、壁の方へ視線を流す。


「正確には、逃げる前から少しずつ探してた。通路の順番、見張りの癖、食事の時間、鍵の音。そういうのを、壊れないうちに覚えていった」


 小屋の空気が静かに沈む。


 白い施設の中で、番号をつけられたまま、逃げるための準備だけは少しずつ進めていたのだ。


「一人でか」


 アシュが問う。


「最初から最後まで一人じゃない」


 イリスは短く言った。


「でも、最後に走る時は一人だった」


 ノアが目を細める。


「協力者がいたのか」


「いた、で済ませていいのか分からないわね。見逃した人、目を逸らした人、口を閉じた人。そういうのが何人かいた」


「王国側か、教会側か」


「両方」


 ガルドが低く吐き捨てる。


「ずいぶん歪んだ場所だな」


「今さらでしょう」


 イリスの返しに、今度はガルドも何も言い返さなかった。


 フィアナがそっと訊く。


「それでも、どうして……」


「どうして逃げたのか、って」


 イリスが先に言った。


「ええ」


 フィアナは小さく頷く。


「逃げるのは、怖かったはずです」


「怖かったわよ」


 イリスはあっさり答えた。


「でも、残る方が嫌だった」


 その一言に、フィアナの指先が少し強く組まれる。


「祈祷室で分かったの。あそこで決められたら、もう自分の名前ではいられないって」


 イリスはそこで初めて、少しだけ視線を落とした。


「候補って言葉のままなら、まだ曖昧でいられる。でも、その先に行ったら、もう違う。私自身の都合なんて一つも残らない」


 アシュは黙って聞いていた。


 イリスの言葉は大げさじゃない。

 だから余計に重い。


 フィアナが、かすかに息を吐く。


「私は……まだ、そこまで分かっていなかったかもしれません」


「分からなくていいわ」


 イリスは言った。


「分からないまま逃げられるなら、その方が楽なこともある」


「でも、もう見てしまいました」


 フィアナの声は細い。

 けれど逸れない。


 白い部屋

 祈祷室

 第五候補

 白環反応不安定

 器移行保留


 見てしまった以上、以前のままではいられない。


 イリスはその目を見て、ほんの僅かに表情を緩めた。

 笑ったわけではない。

 でも、初めて“ただの追手ではない”と認めたような変化だった。


「……そう」


 小さく言う。


「それなら、たぶんあなたはもう戻れない」


 イリスはアシュへ視線を戻した。


「白い施設は末端よ。あそこで分かるのは、せいぜい振り分け方まで」


「その先は」


「王都」


 短い言葉だった。


 だが、その二文字で小屋の空気が変わる。


「候補の正式記録、器への移行記録、選定外の処理文書、異端扱いに切り替えた帳簿。全部、最後は王都へ集まる」


 ノアがすぐに問う。


「どこに」


「王国側の封印文庫と、教会側の保管塔。両方に分かれてる」


 アシュの目が細くなる。


 イリスはさらに続けた。


「白い施設は、痕跡を残さないための場所。でも完全に消すなら、最後に書類がいる。だから王都を消さない限り、どこかには残る」


「レオフの線か」


 アシュがぼそりと呟く。


「知ってる名前?」


 イリスが問う。


「少しな」


「なら早い方がいい」


 その言い方に、フィアナが顔を上げる。


「何かあるんですか」


 イリスは一拍だけ黙った。


「王都側も、もう動いてるはずよ」


「どうして分かる」


 ガルドが訊く。


「ここしばらく、山へ上がってくる人間の質が変わった」


 イリスの声は平坦だった。


「雑な探索じゃない。探し方を知ってる人間が増えてる。白い施設の線が表へ出たなら、向こうも焦る」


 ノアが小さく息を吐く。


「遅かったくらいだな」


「ええ。でもまだ間に合うかもしれない」


 その言い方に、アシュが問う。


「何がだ」


「消される前に取れる記録があるかもしれない」


 小屋の中が静かになる。


 王都

 封印文庫

 保管塔

 異端処理文書

 器移行記録


 欲しい答えの形が、ようやく一つに繋がり始めていた。


 その時、ルゥが急に顔を上げた。


 唸りはしない。

 だが耳が立つ。


 ガルドが即座に戸口へ寄る。

 アシュも立ち上がった。


「何だ」


「……人じゃねえな」


 ガルドが低く言う。


「でも静かすぎる」


 ノアが外の気配を探るように目を細めた。


「山の鳥が止まってる」


「つまり」


「何かが近い」


 イリスは壁際から短剣を取り、立ち上がった。

 その動きに迷いはない。


「ここは長く使えない」


「話はまだ終わってねえぞ」


 アシュが言う。


「そうね。でも今は移動するのが優先」


 イリスの返しは乾いていた。

 けれど、今は最初の突き放し方ではない。


「もう少し東に場所がある。そこで続きは話す」


 ガルドが振り返る。


「信用していいのかよ」


「したくないならしなくていい」


 イリスは短く答える。


「でも、王都の話が聞きたいなら、今は動いた方がいい」


 アシュは一瞬だけ考えた。


 答えは早い。

 立ち止まる理由がない。


「行くぞ」


 短く言う。


 フィアナが頷く。

 ノアも無言で荷を持つ。

 ルゥはもう戸口の方へ向いている。


 イリスが先に外へ出る直前、ふと振り返ってフィアナを見る。


「あなた」


「はい」


「白環を使い切らない方がいい」


 その一言に、フィアナが小さく目を見開く。


「……はい」


 イリスはそれ以上は何も言わず、小屋の外へ出た。


 生き延びた者の忠告だった。

 優しさと呼ぶには少し硬い。

 でも、突き放したままでもない。


 アシュたちはすぐにその後を追う。


 痕跡を追う段階は終わった。

 ここからは、イリスの知っている先へ行く。


 そして答えの一部は、王都にある。

第44話でした。


イリスの言葉で、

白い施設の先と、王都へ向かう理由が少しずつ見えてきました。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。

次話もよろしくお願いします。

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