表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第5章 逃げた器の行方

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/80

第40話 東へ抜ける痕跡

逃げた足跡は、

怯えたままの足跡とは、

少しだけ形が違う。

 東の山裾へ入ると、道はさらに見えにくくなった。


 山道というほど整っていない。

 獣道というには、人の足が通った形が残りすぎている。

 昔は炭焼きか見張りのために使われていたのかもしれない。今は草に呑まれ、石の並びだけが辛うじて線を作っていた。


 先を行くガルドが、低木を払いながら進む。


「こっちは人が通るには細いが、逆にそれがいい」


「何がだ」


 アシュが問う。


「追う側の人数が多いと、ばらける」


 ガルドは振り返りもせず言う。


「一人二人ならまだしも、まとまって来るならこの幅は鬱陶しい。しかも足場が均一じゃねえ」


 ノアが壁際の岩を見渡す。


「意図して残した道かもしれないな」


「誰がだ」


「逃げる側が、だ」


 その言い方に、アシュの目が細くなる。


 ノアは淡々と続けた。


「白い施設の裏から出て、そのまま自然地形へ消えるには都合が良すぎる。誰かが一度通って、通れる形を残している」


 フィアナが小さく息を吸う。


「イリスさん、でしょうか」


「さあな」


 ノアは短く答えた。


「誰かに案内された可能性もあるが、少なくとも偶然見つけた抜け道ではない」


 アシュは足元を見る。


 道そのものは荒れている。

 だが、ところどころだけ不自然に石が寄せられていた。

 滑りやすい箇所を避けるためか、落ちやすい土を踏み固めるためか。


「……知ってるやつの仕事だな」


「ああ」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「追われながらでも、ただ走ってたわけじゃねえ」


 フィアナはその言葉を聞いて、少しだけ前を向いたまま頷いた。


「やっぱり……進んでたんですね」


 アシュは返事をしなかった。

 だが否定もしない。


 逃げた、という言葉は間違っていない。

 それでも、今拾っている痕跡はもっと能動的だった。

 追われた者の足跡ではある。けれど同時に、自分で先を選んだ者の足跡でもある。


 山の裾の空気は冷たい。

 白い施設の中のような息苦しさはないが、朝の湿り気がまだ草葉に残っている。

 そこを抜けるたび、裾や靴に細かな水が触れた。


 ルゥは先へ出たり戻ったりを繰り返している。

 足場の悪い場所では一度止まり、後ろを見てから跳ぶ。急かしているというより、確認しているような動きだった。


「最近あいつ、案内役づらしてねえか」


 ガルドが言う。


「今ごろ気づいたのか」


 アシュが返す。


「気づいてたが、認めたくなかった」


「無駄な意地だな」


「うるせえ」


 フィアナがそのやり取りに小さく笑う。

 白い施設を出てから二度目の、ようやく人の息に近い笑いだった。


 しばらく進んだところで、道が一度だけ沢を跨いだ。


 橋はない。

 だが大きな石が連続して置かれている。自然に転がったには出来すぎた並びだ。


 ガルドがしゃがみ込む。


「ここだな」


「何がだ」


「手ぇ入ってる場所だよ。しかも古すぎない」


 アシュも石の縁を見る。

 泥の溜まり方が不自然に浅い。

 何度か人が踏んで、余計な土だけが落ちた跡だ。


 ノアが言った。


「一人分の通り方だな」


「それも何回か、だな」


 ガルドが続ける。


「一回だけなら、こんなふうにはならねえ」


 フィアナが沢の向こうを見た。


「何度も……?」


「迷ったやつの足じゃない」


 アシュが言う。


「行き来した跡だ」


 その言葉に、フィアナの表情が少し変わる。


「ということは」


「まだ先に、身を寄せる場所があった可能性がある」


 ノアが答えた。


「白い施設からここまで抜けて、さらに東へ行く。その往復だと考えれば筋は通る」


 ガルドが石を踏んで沢を渡る。


「だが、表道じゃねえ。逃げる先を分かってるやつの動きだ」


 全員が順に沢を越える。


 最後にアシュが渡った時、ルゥが向こう岸で小さく鳴いた。

 促す声ではなく、見つけたという声に近い。


 沢を越えた先の斜面に、古い石積みが埋もれていた。


 壁、だったものだろう。

 今は半分崩れ、草とツタに呑まれている。だが足元にはまだ踏み分けられた土が残っていた。


「建物の跡か」


 アシュが低く言う。


「見張り小屋か、炭焼き小屋か……」


 ガルドが辺りを見る。


「今は使ってねえ。だが、使えなくもない」


 中は狭かった。


 屋根は半分落ちている。

 壁も三面しか残っていない。

 それでも風は多少しのげるし、外からは見えにくい。


 そして何より、ここには人の手が入っていた。


 古い灰が石に寄せてまとめられている。

 新しく火を焚いた形ではない。

 だが、一度散った焚火跡を、誰かが崩れないよう整え直したような残り方だった。


 フィアナがしゃがみ込む。


「ここ、誰かが使ってます」


「使ってた、だな」


 ガルドが言う。


「今はいねえ。匂いも薄い」


 ノアは壁際へ目を向けていた。


 倒れた棚の下に、何か白いものが挟まっている。


 引き抜くと、それは布ではなく細い包帯の切れ端だった。

 洗い直して何度も使ったみたいに擦り切れている。


 アシュの目が少しだけ鋭くなる。


「怪我してたのは確かだな」


「ええ」


 フィアナもそれを見て頷いた。


「でも、手当てはしてます。誰かに手当てされたというより……自分で」


「分かるのか」


「なんとなく、です。でも」


 フィアナは包帯を見つめたまま言う。


「置き方が、誰かに看病されてる感じじゃないんです」


 ノアが小さく鼻を鳴らす。


「一人で生き延びてきた人間の痕跡ってことか」


 その言い方に、フィアナは静かに頷いた。


 ガルドは崩れた壁の外を見張りながら言う。


「長居はしたくねえが、確認できるものは見とくぞ。こういうとこに方向を残すやつもいる」


 アシュは小屋の奥へ目を向けた。


 残った壁の一面に、刃物で浅く削ったような線がいくつか入っている。

 意味のない傷にも見える。

 だが、並び方に癖があった。


「……これ、文字か」


 フィアナが近づく。


「全部じゃないです。でも、たぶん印です」


「読めるか」


 フィアナは指でなぞらず、目だけで追った。


「“東”と……あと、“水”……その下は潰れてます」


 ノアが横から覗き込む。


「水場を経由して東へ、か」


 ガルドが顔をしかめる。


「山の裾の先に湧き場があったな。古い巡回路の名残もある」


「そこへ向かったってことか」


 アシュが問う。


「たぶんな」


 ガルドは頷く。


「生き延びるなら水は要る。追手を撒くにも、谷筋に寄るのは悪くねえ」


 フィアナが壁の傷を見つめたまま、小さく言う。


「急いでいても、残そうとしたんですね」


「自分のためか、後から来る誰かのためかは分からねえがな」


 アシュが返す。


 だが、そのどちらでも筋は通る気がした。


 イリスは施設を抜け、ただ必死に消えただけじゃない。

 自分が通った先を、かすかにでも残そうとしている。

 それは助けを待つやり方じゃない。自分で選んで進んだ者のやり方だった。


 その時、ルゥが小屋の外でぴたりと動きを止めた。


 全員の空気がわずかに変わる。


 ガルドが即座に弓へ手をかける。

 アシュも音を殺して外へ出た。


 だが、いたのは人ではない。


 小屋の少し下、沢へ落ちる斜面の陰から、痩せた獣が二頭こちらを窺っていた。

 毛並みは茶黒く、背だけが異様に盛り上がっている。


「……グラッジボアか」


 ガルドが舌打ちする。


「こんな細いとこにも来るのかよ」


「腹が減ってりゃ来るだろ」


 アシュが短く返した。


 猪型の魔物だ。

 大きさは人より少し大きい程度だが、突進力が厄介なやつだ。


 ルゥが低く唸る。

 フィアナは包帯を荷へしまい、すぐに両手を重ねた。

 ノアは小屋の入口の石をひとつ蹴り、足場の悪い位置へ転がしておく。


「左を回る」


 ガルドが言う。


「一頭目を受けたら二頭目が来る」


「分かってる」


 アシュが前へ出た。


 最初の一頭が土を蹴る。


 まっすぐではない。

 少し膨らんでから横へ入る。

 獣らしい嫌らしさだ。


 アシュは引きつけ、最後に一歩だけ内へずれる。

 牙が脇腹を掠める寸前で剣を落とし、首筋へ深く刃を入れた。


 血が散る。

 だが二頭目は止まらない。


 ガルドの矢が肩へ刺さる。

 それでも突っ込む。


 そこへノアの細い術式が地面へ走り、足元の石を一瞬だけ浮かせた。

 獣の重心がぶれる。

 フィアナの白い光がその鼻先をわずかに逸らす。

 ルゥが横からぶつかり、アシュが返す刃で喉を断った。


 短い戦闘だった。


 静けさが戻ると、ガルドが肩で息を吐いた。


「……やっぱり山は山だな」


「油断したら串刺しだ」


 ノアが言う。


「縁起でもねえ」


 その横で、フィアナがルゥの頭を撫でる。


「ありがとうございます」


 ルゥは小さく鳴き、当たり前みたいな顔で毛を逆立てるのをやめた。


 アシュは剣の血を拭いながら、小屋の壁の傷をもう一度見た。


 東。

 水。


 次へ行くには十分な手がかりだった。


「動くぞ」


 短く言う。


 ガルドが頷く。


「湧き場を通る。その先に本当にまだ道が残ってるなら、イリスの隠れ先も近い」


 フィアナは小屋を一度だけ振り返った。


 白い施設を抜けた誰かが、ここで呼吸を整えた。

 怪我をして、それでも止まらず、先へ行くために印を残した。


 それだけで、もうただの痕跡じゃなかった。


 アシュたちは小屋を離れ、さらに東へ向かった。


 白い施設の中では終わらなかった道が、ようやく少しだけ生きたものとして見え始めていた。

第40話でした。


白い施設を抜けた先で、

イリスが“先を知って進んでいた”痕跡が少しずつ見えてきました。


ここから先は、

その足取りをもっと具体的に追っていきます。


少しでも続きが気になったら、

ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ