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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第5章 逃げた器の行方

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第39話 落ちた先の道

崩れた場所に長くいる理由なんて、

もうどこにも残っていない。

 割れ目の向こうへ転がり込んだ直後、背後で白い施設の下層が大きく鳴った。


 石と石が噛み合いを外す音。

 白く塗られた壁が割れ、押し込められていたものが一気に息を吐くような、嫌な響きだった。


 アシュは着地と同時に半身を起こし、すぐ振り返る。


 割れ目はまだ開いている。

 だが向こう側は、もう白い粉と崩れた石で半ば埋まり始めていた。

 祈祷室の奥も、白い廊下も、ルークたちの姿も見えない。


 ただ、崩落の音だけが、遅れて何度も響いてくる。


「……すぐには追って来れねえよな」


 ガルドが低く言う。


「来られてたまるか」


 アシュは短く返した。


 ノアが耳を澄ませる。

 視線は割れ目ではなく、頭上の岩の鳴り方や、空気の流れを測るように動いていた。


「少なくとも今は向こうも手間取ってる。崩れた床を越えて、同じ抜け道をすぐに使える形じゃない」


「じゃあ、今のうちってことか」


 ガルドが言う。


「そういうことだ」


 フィアナは壁へ手をつき、細く息を整えていた。

 白環の光はもう弱い。

 けれど完全には消えていない。

 肌の下で熱を持ったまま、かすかに脈打っているのが、ここまで離れても分かる気がした。


 アシュは彼女を見る。


「行けるか」


「行けます」


 返事は早かった。

 だが声に残るかすれは隠しきれていない。


 アシュは一瞬だけ黙る。


 言い返す言葉はあった。

 だが今は、言い負かしても意味がない。


「……なら落ちるなよ」


「はい」


 フィアナが小さく頷いたところで、ルゥがその足元へ身体を寄せた。

 白い毛並みの端には、まだ白い粉と灰が残っている。

 それでも、怪我をしているとは思えないくらい迷いなくフィアナの脛へ鼻先を押しつけた。


「あなたも、です」


 フィアナがしゃがみ込み、ルゥの頭をひと撫でする。


「無理はしないでください」


 ルゥは小さく鳴き、撫でられるのを一拍だけ受けて、すぐ先の暗がりへ顔を向けた。


 ノアが顎でその先を示す。


 割れ目の向こうは、狭い通路になっている。

 白い施設の中みたいな整った白壁じゃない。

 岩を無理に削って、人の幅だけ確保したような荒い抜け道だった。


 壁に白はない。

 代わりに、削られた石の筋と、ところどころ打ち込まれた古い鉄杭が残っている。


「施設の裏道だな」


「裏ってより、捨て道だろ」


 ガルドが顔をしかめる。


「他人に見せる気のある作りじゃねえ」


 ノアも短く頷いた。


「見せる必要がなかったんでしょう。表に出すための道じゃない」


 アシュは剣を収め、先頭で歩き出した。


 通路は、見た目ほど長くはなかった。

 曲がり角を二つ折れ、足元が少し湿ってきたころには、前方に外光が差しているのが見えた。


 だがその短さが、逆に気味悪い。


 白い施設の下層から、ほとんど躊躇なく外へ捨てられるような長さ。

 誰かを隠すための道というより、処理の続きを外でやるための抜けに見える。


「嫌な作りだな」


 アシュがぼそりと漏らす。


 ガルドが鼻を鳴らした。


「ここにあるもんは全部そうだろ」


「そんな事わかってる」


「なら文句言うな」


「うるせえ」


 ぶっきらぼうな応酬だったが、そのやり取りにフィアナが少しだけ肩の力を抜くのが見えた。

 ノアはそれを見ても何も言わず、先の光だけを追っている。


 出口は、崖の裏側に開いていた。


 大人が一人ずつ屈んで抜ける程度の穴。

 外へ出ると、そこは谷の裏手へ回り込む細い斜面だった。

 白い施設は岩の出っ張りに遮られ、もうほとんど見えない。


 空が見える。


 それだけで、施設の中にいた時より息がしやすかった。

 朝の光はもう谷の上まで差していて、冷えた空気の中にも少しだけ乾いた明るさが混じり始めている。


 ガルドが周囲を一度見回し、しゃがみ込んだ。


「おい、気づいたらもう朝だぞ」


「疲れてる場合じゃないぞ」


 ノアがすぐに返す。


「向こうも出口を探す。長居は危ない」


 アシュも斜面の土へ目を落とした。


 崩れた草の流れの中に、新しいものが一本だけ混じっている。

 踏み抜いた跡じゃない。

 知っている人間が、迷わず重心を置いて進んだ歩幅だ。


「……誰か通ってるな」


 ガルドも隣へ寄る。


「一人だ」


 ノアが続けた。


「軽い。荷も多くない」


「慌ててもいねえな」


 ガルドが地面を見たまま言う。


「こういう抜け道は、知ってるやつしかこうは歩けねえ」


 フィアナが斜面の端へ目を向ける。


 低木の枝に、細い布が引っかかっていた。

 白に近いが、時間で灰色に褪せている。

 それでも布地そのものは安くない。

 候補者の衣や、施設で与えられるものに近い質感だった。


 アシュが手を伸ばし、それを取る。


 布は小さい。

 袖口か、裾の端か。

 強く引かれて裂けたらしい。


 フィアナがその布を見つめたまま、小さく呟く。


「……イリスさん」


「可能性は高い」


 ノアが答える。


「少なくとも、白い施設の中で終わってない」


 ガルドが鼻を鳴らす。


「だろうな。あの中で終わるなら、わざわざこんな抜け道いらねえ」


 その言葉に、アシュは布切れを見下ろした。


 候補として測られ、決められ、名前を削られた誰かが、それでも施設の外まで出ていた。


 そう思うだけで、白い施設の見え方が少し変わる。


 閉じ込めるためだけの場所じゃない。

 そこから、抜けた者がいた場所でもある。


「東か」


 アシュが問う。


 ガルドは斜面の先、谷の向こうの山裾を見た。


「東だな。谷を巻いて、あの山の裾へ出る。そっから先は古い山道の名残がある」


「あいつらに追跡されているが、いけそうか」


「真っ直ぐ追ってくるなら遅れる。だが、ルークとかいう奴みてえなのが頭なら読んでくるかもな」


「面倒だな」


「今さらだろ」


 ガルドの返しはいつも通りだったが、そこに少しだけ張りつめすぎない温度が混じっていた。


 ノアが先へ進みかけて、ふと立ち止まる。


「……血」


 アシュが見ると、岩陰に小さな染みが残っていた。

 乾いている。

 新しくはない。

 だが古すぎもしない。


 フィアナが静かに言う。


「怪我をしていたんですね」


「施設を抜ける時に、無傷で済む方がおかしい」


 ノアが答える。


「それでも止まってない。手当ては最低限で動いた」


 アシュは血痕の続きに視線をやる。


 数歩先で、もうそれは見えなくなる。

 誰かが意識して痕跡を薄くしたのか、それとも体力が戻ったのか。


「急いでたのか」


「急いでいた」


 フィアナは頷いた。


「でも、追われて走る感じとは少し違います。止まりたくないから進んだ感じです」


 アシュは返事をしなかった。


 その違いは、たぶん大きい。

 逃げるためだけに動いた者と、自分で先を選んだ者とでは、残るものが違う。


 ルゥが先へ出て、斜面を軽く跳んだ。

 少し行って振り返り、早く来いとでも言うように尻尾を揺らす。


 ガルドが苦笑ともつかない息を吐く。


「おい、急かされてるぞ」


「お前よりは優しいな」


 アシュが言う。


「今のは皮肉か?」


「聞かないと分からねえのかよ」


 その横で、フィアナが小さく笑った。


 ほんの少しだった。

 でも、白い施設を出てから初めての、ちゃんとした緩みだった。


 アシュはそれを横目で見て、それ以上は何も言わず、先に歩き出す。


 斜面は歩きやすくない。

 浮いた石も多い。

 それでも、あの白い部屋の中よりはましだった。


 ガルドが先導を引き受け、ノアが痕跡を拾い、ルゥが前へ出る。

 フィアナは布切れを丁寧に畳み、自分の荷へしまった。


 斜面を下り切るころには、朝の光が谷の底まで差し始めていた。

 白い施設はもう完全に見えない。


 その代わり、東の山裾の先に、古い山道の名残が細く伸びているのが見える。


 誰にも見せるつもりのない抜け道。

 それでも、そこを通って先へ行った者がいた。


 なら、自分たちも行くしかない。


「動くぞ」


 アシュが短く言う。


 誰も異論は挟まない。


 白い施設を背にして、一行は東の山裾へ向かって歩き出した。

 イリスが消えた、その続きへ。

第39話でした。


白い施設の中で終わっていなかった。

それが見えただけでも、大きな一歩だった気がします。


ここからは、

イリスが進んだ先を追う第5章に入っていきます。


続きを読んでもらえたら嬉しいです。

ブックマーク、評価、感想も励みになります。


次話もよろしくお願いします。

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