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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第4章 白環の逃亡者

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第31話 白い部屋の跡

閉じ込めるための部屋と、

選ぶための部屋は、

よく似た顔をしている。

 夜明け前に動くと決めた通り、一行は空が白み始めるより早く窪地を出た。


 空気は冷たく、昨夜の魔物の血の匂いはもう風に薄められている。

 だが歩き出してすぐ、アシュは肩の傷がまだ眠っていないことを思い出した。


 痛い。


 それだけなら、もう慣れている。

 問題は、慣れていても消えないことだった。


 先頭のガルドは振り返りもせずに進む。

 ノアは少し遅れて岩肌や地面の線を拾いながら歩く。

 フィアナはルゥと並び、時おり胸元へ手をやっていた。


 白環は静かだった。

 静かすぎることが、逆に不気味だった。


「……まだ反応はねえのか」


 アシュが問うと、フィアナは歩幅を乱さず答えた。


「昨日みたいな強いものは、まだありません。ただ……」


「ただ?」


「近づいている感じはあります」


 言葉を選ぶような声だった。


「呼ばれている、とは少し違うんです。なんというか、待たれている感じに近いです」


 ガルドが前を向いたまま鼻を鳴らす。


「そりゃ、安心できる言い方じゃねえな」


「私もそう思います」


 フィアナは苦く笑った。


 アシュはそれ以上は言わず、前方へ視線を戻した。

 東の観測路は、昨夜よりさらに痩せている。

 道と呼べるほど整っていない。

 それでも踏み跡が完全には消えていないのは、ここが死んだ場所ではない証拠だった。


 誰かが使っていた。

 長く、隠すように。


 やがて道は尾根を離れ、山肌の内側へ折れた。

 風が弱くなる代わりに、湿り気のない冷たさが増す。

 崖と崖の間を縫うように進んだ先で、ガルドが手を上げた。


「止まれ」


 一行の足が止まる。


 前方には、ただの岩壁しか見えない。

 いや、見えているのはそういうふうに見せたい壁だった。


 ノアが一歩前へ出て、細い指で空をなぞる。


「……あるな」


「何がだ」


「線だ」


 ノアは崖の下半分を見上げた。


「観測塔の外郭術式より古い。しかも隠してある」


 アシュも目を凝らす。

 風化した岩の継ぎ目に混じって、たしかに不自然な細い刻みが見えた。

 自然に割れた石ではない。

 見つからないように削り、見つかったとしても意味が分かりにくいように埋め込まれた線だ。


「入口か」


「可能性は高い」


 ノアが頷く。


「観測塔よりずっと小さい。塔というより、監視所か補助施設に近い」


 ガルドが周囲を一度見回す。


「嫌な作りだな。近づくまで何も見せねえ」


「見せる必要がなかったのでしょう」


 フィアナが静かに言う。


「ここに来る人が、限られていたなら」


 アシュは崖へ近づき、岩肌へ手を触れた。


 冷たい。

 だがその冷たさの奥に、ただの石とは違う張りがある。


「開けられるか」


 ノアが少し考え、首を傾げる。


「術式の残りは薄い。こじ開けるだけならできる。だが、仕掛けが連動しているなら中身が潰れるかもしれない」


「またフィアナか」


 ガルドが言う。


「……たぶん」


 ノアはあっさり認めた。


 フィアナは息を吸い、崖の正面へ進み出た。

 ルゥも当然のように足元へ寄る。


「やります」


 アシュはすぐ横へ立った。


「無理そう止めるぞ」


「はい」


「止める前に倒れるな」


「努力します」


「その返し、好きだな」


「好きではありません」


 小さく返された声に、ほんの少しだけ硬さが緩む。


 フィアナが崖へ手を当てる。


 白環が灯った。


 白い光が岩の表面を走り、見えなかった線だけを拾い上げていく。

 張りつめていた壁が、一度だけ低く鳴った。


 乾いた音。


 次の瞬間、岩の一部が内側へずれた。


 人が一人ずつ入れる程度の、狭い口が現れる。


「……ほんとにあるんだな」


 ガルドが吐き捨てるように言う。


「最初から、見つかる相手を選んでいたんでしょう」


 ノアはその隙間を覗き込み、先に入った。


「空気は生きてる。罠も完全には死んでない。足元を見ろ」


 中は暗かった。


 だが観測塔のように上へ伸びる構造ではない。

 低い天井の石廊下が、そのまま山の腹へ刺さるように続いている。


 狭い。

 人を迎える場所ではなく、運び込まれたものを留めるための通路だった。


 アシュは最初の数歩で気づいた。


 床の幅が妙に一定だ。

 壁の高さも、人が不自由なく歩くには少しだけ足りない。

 ここは祈る場所でも、見張る場所でもない。


「閉じ込めるための道だな」


 ぽつりと漏らすと、ノアが前を向いたまま言う。


「そうかもしれない」


「かも、じゃねえだろ」


 ガルドが顔をしかめる。


「いや」


 ノアは短く息を吐いた。


「閉じ込めるだけなら、もっと作りが雑でいい。ここは管理するために整えられすぎてる」


 廊下の先で、部屋が三つに分かれていた。


 どれも同じくらい小さい。

 木の扉は腐り、ほとんど枠しか残っていない。

 中は驚くほど白かった。


 壁だ。


 石の上へ、何か白い塗料のようなものが幾重にも重ねられている。

 時間が経って剥げ落ち、それでもなお白さだけが残っている。


 フィアナが足を止める。


「……白い」


 かすれた声だった。


 アシュも部屋の中を見る。


 寝台の跡のような低い台。

 壁際の輪。

 何かを留めていたらしい細い金具。

 そして、子どもの背丈ほどの位置に走る、爪痕みたいな細い傷。


 ガルドの顔つきが変わった。


「おい」


「分かってる」


 アシュが低く返す。


 分かっている。

 見ただけで、ここが何のための部屋だったか、言葉にしなくても伝わってくる。


 ノアが一番奥の壁へ寄り、指先で白い表面を撫でた。


「洗ってる」


「何をだ」


「痕跡をだ」


 ノアは振り返らない。


「血か、術痕か、穢れか。何にせよ、残り方がまずいから上塗りしたって感じだ」


「隠したってことか」


「そのための施設だろうな」


 フィアナが、部屋の敷居から動けないまま立っていた。


 ルゥも唸りはしない。

 ただ、耳を伏せて床の匂いを嗅ぎ、それから部屋の中央を見ている。


「どうした」


 アシュが問うと、フィアナは少しだけ呼吸を整えてから言った。


「閉じ込めるための部屋じゃありません」


 ノアが顔を上げる。


「何だと」


「閉じ込めるだけなら、もっと怖い感じがします」


 フィアナは白い壁を見つめたまま、ゆっくり言葉を選んだ。


「ここは……選ぶための部屋です」


 その一言で、空気がまた冷えた。


 ガルドが舌打ちする。


「違いがあるのかよ」


「あります」


 フィアナははっきり言った。


「ここには、痛みだけじゃなくて、待たされていた感じが残っています」


「待たされていた?」


「順番とか、判定とか……そういうものを」


 ノアの表情がわずかに沈む。


「候補選別室」


 アシュがそちらを見る。


「知ってるのか」


「名前だけだ」


 ノアは白い壁から手を離した。


「正式な施設名じゃない。だが、候補や器を一時的に留めて、状態を見るための部屋があったという記述は読んだことがある」


「読んだことがある、で済ませるには嫌な場所だな」


「俺も同感だ」


 短い返答だった。


 部屋の隅には、倒れた小さな棚があった。

 その下に、薄い木片が挟まっている。


 ガルドがしゃがみ込み、それを拾い上げた。


「札か?」


 木片は半分ほど割れていた。

 表面の文字は擦れ、端には白い塗料の跡がついている。


 アシュが受け取り、読み取ろうとする。


 薄い。


 だが、かろうじて残った二文字だけは分かった。


「……選定」


 フィアナが息を止める。


 ノアの目が鋭くなる。


「もう半分は」


「潰れてる」


 アシュが答えた。


「だが十分だな」


 ここが何の場所だったのか、もう誤魔化しようがなかった。


 フィアナが部屋の中央へ、一歩だけ踏み込む。


 アシュは止めなかった。

 止めても、たぶん今は意味がない。


 白環が淡く光る。


 その時だった。


 部屋の奥、白い壁の一点に、ほんの一瞬だけ影が重なった。


 少女の輪郭だった。


 長い髪。

 細い肩。

 だが観測塔で見た後ろ姿ほどはっきりしていない。


 立っているのではなく、座っている。

 膝を抱えるみたいに、壁際へ寄って。


「……イリスさん」


 フィアナの声が震える。


 影は答えない。


 ただ、ゆっくり顔を上げる仕草だけを残し、それから白い壁の中へ滲むように消えた。


 ルゥが小さく鳴く。


 フィアナはその場へ膝をつきそうになり、アシュがすぐ腕を支えた。


「見えたのか」


「はい……でも、顔までは」


 細い息と一緒に言葉がこぼれる。


「ここにいたのは確かです。怖かった。でも、それだけじゃありません」


「待ってたって感じか」


 ガルドが言う。


 フィアナは小さく頷いた。


「あと、諦めていなかった感じがします」


 ノアが別の部屋へ入り、壁と床を確かめていた。

 やがて一枚の石板の継ぎ目へ手を止める。


「こっちだ」


 部屋の奥、白い寝台跡の下に、浅い隙間がある。


 アシュとガルドが並んで石板へ手をかける。

 重い。

 だが二人で持ち上げれば、どうにかずらせた。


 下に隠されていたのは、細長い箱だった。


 木製。

 湿気で傷み、角は割れている。

 だが完全には崩れていない。


「また箱かよ」


 ガルドが顔をしかめる。


「最近多いな、流行ってんのか」


「嫌なら開けるな」


「うるせえ」


 ノアが箱の蓋を確かめた。


「鍵穴はない。封だけだ」


「術は」


「薄い。もう切れてる」


 アシュが蓋に手をかけ、ゆっくり開く。


 中には布と、紙と、細い金属片が入っていた。

 上に乗っていたのは、白い布の切れ端。

 端にだけ、淡い青の刺繍が残っている。


 フィアナの目がそこへ留まる。


「これ……」


「見覚えがあるのか」


「いいえ。でも、候補者の衣に近いです」


 ノアがその下の紙を取り上げた。

 ほとんど読めない。

 だが、何度も書き直されたように同じ場所だけが濃い。


「名前か」


 アシュが言う。


 ノアは薄れた文字を追う。


「……イリ……ここまでだな」


 フィアナの呼吸が止まる。


 箱の底には、もう一枚だけ小さな金属板があった。

 手のひらほどの細長い札。

 白い塗装が剥げ、その下の黒い金属が覗いている。


 表には数字が刻まれていた。


 五


「番号か」


 ガルドが低く言う。


「候補番号でしょうね」


 ノアは答えた。


「名前ではなく番号で管理する。ありがちなやり方だ」


 その言い方に、アシュの目が少し冷える。


「王国も教会も、そういうのは好きだな」


「好きというより、壊れにくい」


 ノアは平坦に返す。


「番号は捨てやすい」


 誰もすぐには言葉を返さなかった。


 フィアナだけが、白い布の切れ端を見つめている。


 それを見て、アシュはふと気づく。


 似ているのだ。

 フィアナが今ここに立っていることと、ここにいた何者かが“選ばれる側”として扱われていたことが。


 違う道を進んでいるはずなのに、どこかで重なってしまう。


「……持っていけるものだけ持つぞ」


 アシュが言う。


 止まっている時間は長くない。


 ルークたちがどれだけ近いかは分からない。

 東へ進むべきだという大筋も変わらない。


 だが、この箱を見つけた以上、ここで終わるわけにもいかなかった。


 ノアが紙と金属板を布へ包む。

 フィアナは一瞬迷い、それから白い布切れだけをそっと手に取った。


「持つのか」


 アシュが問うと、彼女は小さく頷いた。


「これは……置いていく方が嫌です」


「そうか、なら持て」


 短く返す。


 ガルドは部屋の入口に立ち、外の気配を探っていた。


「長居しすぎだな」


「分かってる」


 アシュが答える。


 その時だった。


 ノアが廊下の先を見たまま、低く言う。


「……人の足音だ」


 全員の動きが止まる。


「数は」


 ガルドが問う。


「まだ遠い。だが一つじゃない」


 アシュは即座に箱の中身を布へ包み、自分の上着の内へ押し込んだ。


 フィアナが布切れを抱く。

 ルゥはもう唸っている。


「追手か」


「可能性は高い」


 ノアが短く答える。


「このまま正面へ戻れば鉢合わせる」


 ガルドが歯を鳴らすように舌打ちした。


「じゃあ別口だ。こういう施設に一個しか道がねえわけがない」


 アシュはすぐ周囲を見る。


 白い部屋。

 低い廊下。

 そして最奥、寝台跡の裏側。


「ノア」


「分かってる」


 ノアは壁へ手を当て、残った術式の流れを探る。


「奥に細い抜けがある。保守路だろう。人一人ずつなら通れる」


「先導しろ」


「言われなくても」


 アシュはフィアナを見る。


「行けるか」


「行けます」


 顔色は良くない。

 だが目は逸れていない。


 ガルドが最後にもう一度だけ、白い部屋を振り返った。


「……クソみてえな場所だな」


「ああ、どこもかしこもな」


 アシュが言い、壁の奥へ続く暗がりへ身体を滑り込ませた。


 第二観測点は終点じゃなかった。


 ここに残っていたのは、イリスが“いた”証拠だけだ。

 なら、その先がある。


 人の足音が近づいてくる。


 追われながらでも、もう止まれない。


 アシュたちは白い部屋をあとにして、さらに東へ抜けるための細い保守路へ消えていった。

第31話でした。


今回は第二観測点の実物に辿り着いて、

イリスの痕跡と、候補者たちを扱っていた場所の不気味さを前に出しました。


ここからさらに、

東の先と、追ってくる側の距離が近づいていきます。


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次話もよろしくお願いします。

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