表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第1章 灰はまだ祈りを知らない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/74

第3話 礼拝堂の獣

第3話です。

逃亡の夜、二人の前に現れたのは――

“普通ではない魔物”でした。

夜の森の奥で、何かがこちらを見ていた。


 焚き火の光が届かない闇の中。

 気配だけが、じっと息を潜めている。


 アシュは剣の柄に手をかけたまま、動かなかった。


 先に動いた方が不利になる。


 それは人間でも、獣でも、魔物でも同じだ。


「……アシュ」


 フィアナの声が、わずかに強張る。


「下がってろ」


 短く言うと、彼女は素直に一歩引いた。


 火が小さく爆ぜる。


 その音に合わせるように、闇の中で枝が揺れた。


 次の瞬間、低い影が一気に飛び出してくる。


 速い。


 だが、読めないほどじゃない。


 アシュは半歩だけ身をずらし、抜き打ちの一閃を放った。


 鋭い衝突音が夜に弾ける。


 手応えが、浅い。


「……硬いな」


 距離を取った影が、火の届く場所に姿を現した。


 それを見て、フィアナが息を呑む。


「え……」


 獣だった。


 大きさは中型犬ほど。

 白い毛並みはすすをかぶったように薄く汚れているが、月と火を受けた輪郭には、かすかに銀めいた光沢がある。耳はやや長く、尾はふさふさとしていた。


 だが普通の獣と違うのは、その目だった。


 淡く透き通った、冷たい青。


 獣の目にしては妙に澄みすぎている。


「……魔物、ですか」


 フィアナが小さく呟く。


「そのはずだ」


 アシュは視線を逸らさないまま答えた。


 だが違和感がある。


 魔物にしては殺気が薄い。


 襲うつもりなら、さっきの飛び込みで喉を狙っていたはずだ。

 だがこいつは違った。


 試した。


 そんな動きだった。


 獣――いや、魔物は低く唸りながらも、すぐには飛びかかってこない。


 焚き火を挟んで、じっとこちらを見ている。


 その視線が、一度だけアシュから外れた。


 フィアナの方へ向く。


 瞬間、アシュの身体が自然に動いた。


 彼女の前に立つ。


「下がれ」


 フィアナが息を呑む。


 だが次の瞬間、魔物の方が先に動いた。


 飛びかかったのはアシュでもない。

 フィアナでもない。


 ――焚き火の脇に置いてあった水袋だった。


「……は?」


 思わず、アシュが間の抜けた声を漏らす。


 魔物は水袋を咥え、そのまま二、三歩飛び退く。


 そしてしばらくこちらを警戒するように見たあと――ぺたり、と座った。


 フィアナが瞬きをする。


 アシュも数秒、何も言えなかった。


「……何してるんだ、お前は」


 低く呟く。


 魔物は答えない。当然だ。


 ただ、水袋を前脚で押さえたまま、じっとフィアナを見ている。


 警戒心はある。だが敵意は薄い。

 それが余計に気味が悪かった。


「……変です」


 フィアナが小さく言った。


「普通の魔物じゃ、ありません」


「見れば分かる」


「いえ、そうじゃなくて……」


 フィアナは戸惑ったように視線を揺らす。


「この子……私を見ています」


「それも見れば分かる」


「そういう意味ではなくて……」


 言い淀んでから、彼女はそっと首元へ手を当てた。


 神子候補の刻印がある場所だ。


「……怖がっていないんです」


 その言葉に、アシュの眉がわずかに動く。


「普通、魔物は加護持ちを嫌います。刺激されるから」


「だが、こいつは違うと?」


 フィアナは小さく頷いた。


「むしろ……近寄ってきている気がします」


 意味が分からなかった。


 魔物が人に懐くこと自体、まずありえない。

 まして神子候補のような存在に寄ってくるなど、普通ならもっと荒れるはずだ。


 だが目の前の獣は、水袋を抱えたまま座り込み、ただフィアナを見ている。


 まるで、ずっと探していたものをようやく見つけたみたいに。


「……気味が悪いな」


 アシュがそう言うと、魔物の耳がぴくりと動いた。


 そして次の瞬間、そいつは露骨に嫌そうな顔をした。


「……今、嫌がったか?」


「嫌がりましたね」


 少しだけ間があった。


 フィアナが、ほんの少しだけ口元を緩める。


 今まで見せたことのない、年相応の笑みに近かった。


 それを見てしまって、アシュは何とも言えない顔になる。


「近づくな」


 釘を刺すように言う。


「でも」


「魔物だぞ」


「分かっています」


 そう言いながらも、フィアナはゆっくりと一歩前に出た。


 アシュは舌打ちしそうになるのを堪える。


「アシュさん」


「何だ」


「この子、置いていけません」


「駄目だ」


 即答だった。


「早いですね」


「当たり前だろ」


 アシュは本気で言っている。


「俺たちは逃亡中だ。魔物なんか連れて歩けるか」


「でも、怪我をしています」


「だから何だ」


「見捨てるんですか」


 その一言に、アシュは一瞬だけ言葉を失った。


 最悪の聞き方だった。


 フィアナもそれに気づいたらしく、少しだけ気まずそうに視線を逸らす。


「……すみません」


「……」


「でも」


 彼女は魔物の頭を撫でたまま、静かに言う。


「この子、私たちと同じです」


「何がだ」


「追われて、怪我をして、ひとりでいた」


 アシュは答えなかった。


 答えられなかった、の方が近い。


 焚き火の向こうで、獣がじっとこちらを見返してくる。

 その青い目は、獣らしくないほど静かだった。


 やがてアシュは、深く息を吐く。


「……朝までだ」


 フィアナが顔を上げる。


「え?」


「それまで様子を見る」


「それって――」


「勘違いするな。置いていくかどうかは朝決める」


 フィアナの顔が、ぱっと明るくなった。


「ありがとうございます」


「礼を言われる筋合いはない」


 そう言いながら、アシュは少しだけ視線を逸らした。


 その様子を見ていた獣が、唐突に水袋を咥えたままアシュの方へ二歩ほど近づいてくる。


 そして、ぽとりと足元へ落とした。


「……何だこれは」


 フィアナが少しだけ笑いを堪えた声で言う。


「たぶん、仲良くしたいんだと思います」


「馴れ合うつもりはない」


 即答だった。


 だが獣は気にした様子もなく、再びフィアナのそばへ戻って丸くなる。


 焚き火のそばで、白い毛並みがゆっくり上下していた。


 完全にくつろいでいる。


「……図太いな」


「少し似てるかもしれません」


「誰にだ」


 フィアナは答えず、ただ小さく笑った。


 年相応で、少しだけ無防備だった。


 そんなふうに笑う顔を、アシュはまだ知らなかった。


 アシュはそれを見て、なぜか落ち着かない気分になる。


 フィアナは、足元で丸くなった白い獣を見つめた。


「……ずっと“この子”って呼ぶのも変ですね」


 アシュが眉を寄せる。


「名前でもつける気か」


「だめですか?」


「魔物だぞ」


「でも、もう離れない気がします」


「朝までだと言ったはずだ」


「朝になっても、たぶんついてきますよ」


 そう言ってフィアナが小さく笑うと、獣は耳をぴくりと動かした。


 少しだけ考えるように視線を落としてから、彼女はそっと口を開く。


「……ルゥ、はどうでしょう」


 獣が顔を上げる。


 淡い青の目が、まっすぐフィアナを見た。


「……反応したな」


 アシュが低く呟く。


 フィアナは少しだけ嬉しそうに、その頭を撫でる。


「気に入ったみたいです」


「ただ音に反応しただけかもしれない」


「それでも構いません」


 フィアナはそう言って、もう一度呼ぶ。


「ルゥ」


 今度は、白い獣が小さく喉を鳴らした。


 アシュは数秒それを見てから、諦めたように小さく息を吐く。


「……勝手にしろ」


 焚き火の向こう。


 少女と獣が並んでいる光景は、この夜の空気にはひどく不釣り合いだった。


 それでも――少しだけ、悪くないと思ってしまった。


 その時だった。


 ルゥの耳が、ぴくりと動く。


 次の瞬間、身体を起こして森の奥を睨んだ。


 アシュの表情が変わる。


「どうした」


 問いかけても答えはない。


 だが今度はアシュにも分かった。


 気配が、増えている。


 ひとつではない。複数だ。


 しかも、さっきまでの“様子見”の気配じゃない。


 もっと濃い。

 もっと近い。

 そして、その中には――人の気配も混じっていた。


 アシュはゆっくりと立ち上がる。


 焚き火の向こうで、フィアナも表情を強張らせた。


「……追手ですか」


「いや」


 アシュは低く言った。


「それだけじゃない」


 森の奥で、木々の隙間にいくつもの影が揺れた。


 低い唸り声。

 湿った土を踏む音。

 そして、そのさらに奥から聞こえる、甲冑の擦れる音。


 魔物と、人間。


 両方だ。


 最悪の組み合わせだった。


 ルゥが、フィアナの前に立つ。


 毛を逆立て、小さく唸る。


 その姿を見て、アシュはほんのわずかに目を細めた。


「……お前」


 ルゥは振り返らない。


 ただ、闇の奥を睨み続けている。


 フィアナが、かすかに呟く。


「守ろうとしてる……?」


 アシュは剣を抜いた。


 銀の刃が、焚き火の光を受けて冷たく光る。


「フィアナ」


「はい」


「火から離れるな」


「……分かりました」


 アシュは視線を前に向けたまま、低く言う。


「どうやら、休ませてはくれないらしい」


 闇が、ゆっくりとこちらへ滲んでくる。


 夜はまだ、終わらない。

第3話でした。


ルゥ、登場です。


次話からは、


ルゥの正体の違和感

追手との圧

逃亡の緊張感


がもう一段強くなっていきます。


もし少しでも

「続きが気になる」

「ルゥが気になる」

と思っていただけたら、


ブックマーク

評価

感想


などいただけると本当に励みになります。


次話もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ