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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第1章 灰はまだ祈りを知らない

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第2話 逃げる理由

第2話です。

逃亡を始めた二人の最初の夜。


まだ互いを知らないまま、少しずつ距離が変わっていきます。

夜の森は、思っているより静かだ。


 風が葉を揺らす音もある。遠くで鳴く虫の声もある。

 それでも、人の気配が消えた場所の静けさは、どこか空洞じみていた。


 アシュは足を止めずに歩いていた。


 後ろから、小さく枝を踏む音がついてくる。


 フィアナだ。


 足を怪我しているはずなのに、声ひとつ上げない。

 呼吸だけが、少しずつ乱れていく。


 無理をしているのは明らかだった。


「……止まるか」


 不意にそう言うと、後ろの足音が一瞬だけ止まった。


「大丈夫です」


 すぐに返ってくる。


 間を置かない声だった。


「歩けます」


「そうか」


 アシュはそれ以上何も言わなかった。


 そのまま、ほんの少しだけ歩調を落とす。


 気づかれない程度に。


 それでもフィアナは必死についてくる。


 しばらく進んだ先で、森がわずかに開けた。


 倒木と岩場が風を遮る、簡単な野営にはちょうどいい場所だ。


「ここで休む」


 アシュはそう言って、外套の内側から火打石を取り出した。


 乾いた枝を集め、手際よく火を起こす。


 ぱち、と火花が散り、やがて細い炎が立ち上がった。


 その光に照らされて、フィアナの顔にようやく疲労が浮かび上がる。


 それでも彼女は崩れなかった。


「座れ」


「……ありがとうございます」


 小さく礼を言って、フィアナはゆっくりと腰を下ろした。


 その瞬間、わずかに顔が歪む。


 痛みを堪えたのだろう。


 アシュは短く息を吐いた。


「足、見せろ」


「大丈夫です」


「歩けなくなってからじゃ遅い」


 淡々とした声だった。


 命令でも、優しさでもない。

 ただの事実として言っているだけの響きだった。


 フィアナは少し迷ったあと、足元を差し出した。


 靴はすでに破れ、布で雑に巻かれているだけだった。

 血が滲んでいる。


 アシュは無言で布をほどいた。


「っ……」


 小さく息を呑む音。


 だがフィアナは声を上げなかった。

 ただ、歯を食いしばって耐えている。


 アシュは傷を確かめた。


 深くはない。だが、このまま歩き続ければ確実に悪化する。


「無茶しすぎだ」


「止まれば捕まります」


「だからって、壊れていい理由にはならない」


 感情のない声だった。


 責めてもいない。慰めてもいない。

 ただ、そこで線を引いているだけだった。


 アシュは手際よく消毒をし、持っていた包帯で巻き直した。


 その動きは慣れている。


 フィアナはその手元を、少し驚いたように見ていた。


「……慣れてるんですね」


「仕事だ」


「……そう、ですか」


 それ以上は聞かなかった。


 聞けなかった、の方が近い。


 アシュの左頬から首にかけて走る火傷痕が、火の光で浮かび上がる。


 古い傷だ。


 だが、ただ古いだけではないと分かる。

 消えずに残ったものには、それなりの理由がある。


「その傷……」


 フィアナが口を開く。


 アシュは一瞬だけ手を止めた。


「古い」


 短く、それだけ言う。


 それ以上は続かなかった。


 沈黙が落ちる。


 火のはぜる音だけが、二人の間に残った。


 しばらくして、フィアナが小さく息を吸う。


「……フィアナ・ルーシェです」


 ぽつりと名乗った。


「神子候補……なんて呼ばれてますけど」


 少しだけ苦く笑う。


「ただの人間です」


「そうか」


 アシュは火を見たまま答えた。


 肯定もしない。否定もしない。

 ただ受け取っただけの返事。


 フィアナは少しだけ目を瞬かせる。


「……信じないんですか」


「何を」


「私が“ただの人間”だってことです」


 少しだけ間があった。


「どっちでもいい」


「え……」


「お前が何だろうが、今は関係ない」


 突き放すようでいて、妙に平坦だった。


 そこには軽蔑も、興味も、期待もない。

 ただ切り分けているだけの声音だった。


 フィアナは一瞬だけ言葉を失い、それから小さく笑った。


「……変な人ですね」


「よく言われる」


 短いやり取りだった。


 それでも、少しだけ空気が和らぐ。


 火が小さく揺れる。


 その光の中で、フィアナはふと真剣な顔になった。


「……どうして、助けたんですか」


 静かな問いだった。


「見捨てればよかったのに」


 アシュはすぐには答えなかった。


 火を見つめたまま、しばらく黙る。


 やがて、低く言った。


「……見捨てた先を、知ってるだけだ」


 フィアナが顔を上げる。


「それって……」


「気にするな」


 そこで会話は切られた。


 それ以上踏み込ませる気はないらしい。


 フィアナは少しだけ迷ったあと、何も言わなかった。


 代わりに、ぽつりと呟く。


「私は、逃げました」


 火の向こうで、アシュの目がわずかに動く。


「世界のために必要だって言われました」


「だから、従うべきだって」


「でも――」


 少しだけ言葉を止める。


「それでも、生きたかったんです」


 ――さっきの男も、同じことを言っていた。


 アシュの脳裏に、異端になった盗賊の最期が一瞬だけよぎる。


 助けてくれ。

 生きたい。


 形は違っても、結局は同じ願いだ。


 化け物になっても。

 器と呼ばれても。

 人は最後まで、生きようとする。


 その事実だけが、妙に胸の奥に残った。


「だから、逃げました」


 フィアナはそう言い切った。


 迷いはなかった。


 アシュは何も言わなかった。


 ただ、火を見つめたまま小さく息を吐く。


 しばらくして、フィアナが続ける。


「だから、あなたが巻き込まれる理由はないんです」


「もう巻き込まれてる」


 遮るように言った。


 フィアナが言葉を止める。


「……そうですね」


 少しだけ苦く笑う。


 火が小さく揺れた。


 その時だった。


 ――ざ、と。


 森の奥で、何かが動いた。


 風とは違う。

 獣とも違う。


 アシュの目がわずかに細くなる。


 フィアナはまだ気づいていない。


 だが、音は確かにあった。


 気配がある。


 しかもそれは、普通の獣のものではない。


「……アシュ?」


 フィアナが不安そうに声をかける。


 アシュは答えなかった。


 ただ、ゆっくりと剣の柄に手をかける。


 その横で、焚き火の火が一瞬だけ揺らいだ。


 風の向きが変わったわけではない。


 なのに火の先が、闇の一点を避けるみたいに細く傾いた。


 フィアナもようやく、それに気づいたらしい。


 息を呑む音が小さく響く。


「……違うな」


「え……?」


「あれは、魔物だ」


 夜の森の奥で、何かがこちらを見ている。


 まだ姿は見えない。

 だが、確かにいる。


 火の光の外側。

 闇の中で。

 息を潜める何かが。


 次の瞬間、枝がわずかに揺れた。


 気配が、近づく。


 フィアナの呼吸が止まる。


 アシュの指が、剣の柄をわずかに強く握った。


 夜は、まだ終わらない。

第2話でした。


今回は戦闘ではなく、

二人の距離と“考え方の違い”を描いた回です。


そしてラストに出てきた“気配”はいったい何か。


もし少しでも面白いと感じていただけたら、


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などいただけるとめちゃくちゃ励みになります。


次話「礼拝堂の獣」、よろしくお願いします。


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