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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第3章 灰の底を踏むもの

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第28話 観測塔の白線

残されたものは、

答えではなく、次の行き先だけを指すことがある。

 観測塔は、近づくほど人を拒む形をしていた。


 崖縁へ突き出すように建てられた細長い石塔。余計な装飾は一切なく、窓も少ない。祈る場所というより、ただ見続けるために削られた石の柱だった。


 風が強い。


 だがその風は、灰祈りの村のような湿った重さを持っていない。乾いていて、冷たい。そのくせ、塔の足元に立つと妙に息が詰まる。


「……ここも、好きな空気じゃねえな」


 ガルドが低く言う。


「好きになれる場所ではないでしょう」


 レオフが答えた。


 ノアは塔の壁面を見上げ、刻まれた線を指先でなぞる。


「観測用の外郭術式がまだ残ってる。半分以上死んでるが、全部じゃない」


「入れるか」


 アシュが問う。


「入れる。だが、またフィアナの加護が鍵になるかもしれない」


 フィアナは小さく息を吸った。


 疲れはまだ残っている。顔色も良いとは言えない。それでも彼女は首を横には振らなかった。


「やります」


 その返事に、アシュは短く言う。


「無理なら止める」


「はい」


「止められる前に倒れるな」


「善処します」


「……ったく、お前は」


 言いかけて、アシュは途中で切った。


 ガルドが横で鼻を鳴らしているのが見えたからだ。


「何だ」


「いや」


 ガルドはわずかに口元を歪める。


「だいぶ板についてきたなと思ってよ」


「うるせえ」


 それだけ返して、アシュは塔の正面入口へ向かった。


 扉は鉄で補強された石扉だった。錠は外れている。だが、触れた瞬間に分かった。単純な鍵の問題じゃない。石の奥で、まだ術が眠っている。


 フィアナが扉の前へ出る。


 ルゥはすぐ足元へ寄り、淡い青い瞳で塔を見上げたまま、小さく喉を鳴らしていた。


「来ます」


 フィアナがそっと手を当てる。


 首元の白環が淡く灯った。


 白い光が扉の輪郭を走り、塔の壁面へ細い線となって伸びていく。塔全体が一度だけ、息を吸うように軋んだ。


 乾いた音。


 石扉が内側へずれる。


「……相変わらず嫌な開き方だな」


 ガルドが吐き捨てる。


「候補だけを通す気だったのでしょう」


 レオフの声音は冷たい。


「最初から」


 その言い方に、フィアナは何も言わなかった。


 塔の内部は暗かった。


 らせん状の階段が上へ続き、壁には等間隔で細い観測窓が空いている。下層には机も棚もなく、ただ巡回と記録のためだけに作られた構造だった。


「上だな」


 ノアが言う。


「観測盤は上階にあるはずだ」


 一行は慎重に階段を上った。


 石段は古く、ところどころ欠けている。風が観測窓から吹き込み、塔の中で低く鳴った。そのたびに、どこか遠くで別の音が返ってくる気がする。塔そのものが、今も何かを聞き続けているようだった。


 二層、三層と上るごとに、フィアナの呼吸が少しずつ浅くなる。


 アシュはそれに気づいていた。


「止まるか」


「いえ……まだ」


「そうか」


「でも、近いです」


 フィアナは塔の上を見上げたまま言う。


「何かが、そこに残っています」


 ノアがその言葉に反応した。


「観測盤か、残留記録だな」


「記録って、見えるのか」


 ガルドが訊く。


「見えるというより、引っ張り出す」


 ノアは短く答えた。


「この手の塔は、揺らぎを数字じゃなく痕跡で残す。加護持ちが近い方が起動しやすい」


「またフィアナ頼みかよ」


「そういう場所を追って来たんだろ」


 ノアの返しに、ガルドは舌打ちで返した。


 最上階は思っていたより広かった。


 円形の部屋。中央に、金属と石を組み合わせた円盤状の台座がある。周囲の壁には細い目盛りと、削られた文字の列。天井は半ば崩れ、夕方の光が斜めに落ちていた。


「……これが観測盤か」


 アシュが低く言う。


「たぶんな」


 ノアは近づき、台座の縁を確認する。


「封鎖地点の揺れを見る盤だ。死んでる部分も多いが、核は残ってる」


 レオフは壁の刻みへ目を走らせていた。


「記録の剥離痕がある……ここも消されたか」


「残ってるものだけ拾え」


 アシュの声に、レオフは短く頷いた。


 フィアナは観測盤の前で立ち止まっていた。


 白環が、もう隠しきれないほどはっきり光っている。


「……ここです」


 彼女の声は震えていた。


「ここで、何かを見ていました。ずっと」


 アシュは一歩前へ出る。


「無理ならやめろ」


「見ないと駄目です」


「何でそうなる」


「ここまで来たからです」


 短い返答だった。


 だが、それで十分だった。フィアナはもうただ怯えて押されるだけの場所にはいない。


 アシュは小さく息を吐く。


「やるなら、倒れる前に終われ」


「努力します」


「だからその返しをやめろ」


 フィアナはほんの少しだけ口元を動かした。


 泣きそうな顔ではなく、やっと自分で立っている顔だった。


 彼女が観測盤へ手を置く。


 次の瞬間、白い光が盤の溝を走った。


 塔が、低く唸る。


 床へ広がった白線が、部屋の壁の目盛りと繋がる。削られたはずの記録が一瞬だけ浮かび、空中へ薄い線となって投影された。


「っ……」


 フィアナの身体が揺れる。


 アシュがすぐ後ろへ立ち、肩へ手を添えた。


「立てるか」


「まだ……大丈夫です」


「信用ならねえ」


「でも、見えます」


 観測盤の上に現れたのは、地図だった。


 山脈。灰祈りの村。旧燈写院。そこから東へ伸びる一本の細い白線。


「観測路だ」


 ノアが目を細める。


 白線はそこで終わっていない。さらに先へ、もう一つの点を示している。塔よりも東。山を越えた先の、小さな印。


「これが、次の……」


 フィアナが呟く。


 レオフが壁の浮き文字を拾うように読む。


「“第二観測点……”その先は削られています」


「第二観測点?」


 ガルドが顔をしかめる。


「観測塔はここだけじゃねえのか」


「少なくとも二つはあったらしい」


 レオフが答える。


「灰祈りの揺らぎを複数地点から見ていた」


 アシュの眉が寄る。


「そこへイリスが向かった可能性がある」


「おそらく」


 ノアが即答した。


「燈写院の断片、観測路の線、残ってる運用記録。全部繋がる」


 その時だった。


 観測盤の白線が一瞬だけ強く脈打つ。


 次いで、光の中に別の像が重なった。


 人影だ。


 少女。


 長い髪。細い肩。振り返らず、ただ東の線の先へ歩いていく。輪郭は曖昧なのに、首元だけがはっきり白く光っていた。


「……イリス」


 フィアナの声がかすれた。


 人影は答えない。


 ただ、東へ進む。


 そしてその背に、一瞬だけ別の光景が重なった。


 白い部屋。拘束具。祈るように組まれた小さな手。誰かの声。

 ――まだ早い。

 ――器としては不安定だ。

 ――それでも白環は高い。


 フィアナが息を止める。


「やめろ」


 アシュが低く言ったのは、人影に対してか、盤に対してか、自分でも分からなかった。


 ノアがすぐに観測盤の縁へ術式環を当てる。


「引きずられるな!」


 青白い光が走り、盤の投影が少しだけ揺らぐ。


 それでも、最後の像だけは消えなかった。


 少女――イリスと思しき影が、東の点の手前で一度だけ立ち止まる。


 そして振り返りかけた。


 顔は見えない。


 だが、その仕草だけで十分だった。


 “逃げた”のではなく、“捨てきれずに進んだ”者の背中だった。


 投影が崩れる。


 白線が砕け、観測盤は沈黙した。


 部屋に残ったのは、フィアナの荒い呼吸だけだった。


「フィアナ」


 アシュが支える。


 彼女はどうにか立っていたが、足元が危うい。ルゥがすぐにその脚へ身体を寄せる。


「……見えました」


 フィアナは細い声で言う。


「逃げたんじゃなくて、進んでた」


 レオフが静かに目を伏せる。


「少なくとも、移送前夜に消えた後も、自分で動いていた可能性が高い」


「この東の点は何だ」


 アシュが問う。


 ノアは観測盤の残り火みたいな光を見つめていた。


「正式名までは残ってない。でも、第二観測点と繋がってるなら、封鎖系の補助施設だ」


「施設って、どんな」


「小さい監視所か、古い隔離房か……」


 ノアは少しだけ嫌そうに眉を寄せる。


「あるいは、候補を一時的に隠すための場所かもしれない」


 フィアナの表情が静かに強張る。


 だが今度は俯かなかった。


「そこに行けば、イリスさんの痕跡があるかもしれないんですね」


「あるいは、消された残りがな」


 ノアの言い方は平坦だ。


 けれど、その冷たさは必要なものだった。期待だけで動けば、次に折れるのは簡単すぎる。


 ガルドが壁に背を預けたまま息を吐く。


「……行き先は決まったな」


「ああ」


 アシュが短く答える。


 その時、レオフがゆっくりと羊皮紙を畳んだ。


 その動きに、アシュは顔を上げる。


「どうした」


「ここで、私は離れます」


 静かな声だった。


 だが全員がすぐに意味を理解した。


「今かよ」


 ガルドが眉をひそめる。


「ちょうどいい頃合いです」


 レオフは崩れた観測窓の外を見た。


「灰祈りの村、旧燈写院、観測塔。ここまでで繋がる線は拾えました。ここから先は、現地を追う側と、王都の封鎖記録を洗う側に分かれた方が早い」


「戻るのか」


 アシュが問う。


「戻ります」


 レオフは頷いた。


「イリス・ヴェルカの名前が残っていた以上、王都側にもまだ消しきれていない記録があるはずです。教会より先に押さえたい」


 ノアがそれを聞いて小さく鼻を鳴らす。


「合理的な判断だ」


「あなたに褒められても嬉しくありません」


「別に褒めてない」


 淡々としたやり取りだったが、レオフは気にした様子もない。


 フィアナが小さく言った。


「……危なくないんですか」


「危ないでしょうね」


 レオフはあっさり答えた。


「ですが、ここから先をあなたたちだけに押しつけるつもりはありません」


 その返しに、フィアナは少しだけ目を見開く。


 アシュはレオフを見る。


 最初から信用していたわけじゃない。今も全部を信用したわけではない。だが少なくとも、この男はここで逃げるために離れるのではないと分かった。


「王都で動くなら、クレイグより先に押さえろ」


 アシュが言う。


 レオフの目がわずかに細くなる。


「第三席を意識しているんですね」


「放っておいても来る」


「ええ。私もそう思います」


 レオフはそこで一度、アシュ、フィアナ、ガルド、ルゥ、ノアを順に見た。


「観測路の先は、おそらくもう“記録の場所”ではありません。現物と向き合うことになる」


「今さらだな」


 ガルドが吐き捨てる。


「それでも、今までとは種類が違います」


 レオフはフィアナへ視線を戻した。


「白環を持つあなたには、なおさら」


 フィアナは静かに頷く。


「分かっています」


「いいえ」


 レオフは珍しく、少しだけ言い方をやわらげた。


「たぶん、まだ全部は分かっていない。ですが、それでいいんです」


 フィアナは小さく目を瞬かせた。


「分かったつもりで進むより、ずっとましです」


 沈黙。


 風が観測窓を抜ける。


 アシュは外を見る。日が落ちきる前に、この塔も離れるべきだった。


「別れるなら、ここだな」


「はい」


 レオフは短く応じた。


「東へ向かうのはあなたたち。私は南へ折れて王都へ戻る」


「また会えますか」


 フィアナが問う。


 レオフは少しだけ考えてから答えた。


「生きていれば」


「縁起でもねえな」


 ガルドが言う。


「それもまた事実です」


 そう返して、レオフはわずかに口元を緩めた。


 ほんの僅かだったが、それだけでこの男なりに冗談を言ったつもりなのだと分かる。


「……では」


 レオフは一礼した。


「ここまで案内役でしたが、次は向こうから線を繋ぎます」


 アシュは短く顎を引く。


「遅れるなよ」


「努力します」


「お前もそれ言うのか」


 その返しに、レオフは今度こそ少しだけ笑った。


 観測塔を下りる頃には、空はもう鈍い紫に沈み始めていた。


 塔の前で、レオフは足を止めた。


 南へ戻るための細道へ身体を向ける。誰も引き止めない。それでいいと思った。


 引き止めれば、どちらかの役目が鈍るだけだ。


「フィアナ」


 去る前に、レオフが一度だけ呼んだ。


「はい」


「白環は、あなたを器にするためのものだった」


 フィアナの表情がわずかに張る。


「ですが、使われ方だけがすべてではありません」


 風が吹く。


「最後にどう使うかを決めるのは、持っているあなたです」


 それだけ言って、レオフは踵を返した。


 細い背が、夕暮れの山道へ消えていく。


 見送ったあと、しばらく誰も口を開かなかった。


 最初に息を吐いたのは、ガルドだった。


「……ああいうのが、いちばん長生きするかもな」


「どうだろうな」


 アシュが答える。


「ロクな場所に戻ってね」


 ノアが横から言う。


「お前が言うな」


 そのやり取りの横で、フィアナはルゥの背を撫でていた。


 白環は静かだった。だが、もう以前みたいにただ怯えるだけの顔ではない。


 観測塔で見たイリスの背中が、まだ彼女の中に残っているのだろう。


「行きましょう」


 フィアナが言った。


「東へ」


 アシュは頷く。


 ノアが先の尾根を見上げ、ガルドが弓の位置を直す。ルゥはすでに一歩前へ出ていた。


 灰祈りの村を見つけた時とは違う。


 旧燈写院に入った時とも違う。


 今はもう、逃げながら真相に触れるだけの段階ではない。


 次は、自分たちから踏み込む。


 東の観測路の先へ。


 イリス・ヴェルカが消えた、その続きへ。

第28話でした。


第3章の終わりとして、

観測塔で見えたものと、ここで一度別れるものを描いた回でした。


灰祈りの村の真相はまだ途中ですが、

それでも「次にどこへ行くのか」は、かなりはっきりしてきたと思います。


そしてレオフも、ここで役目を終えたわけではなく、

別の線を繋ぎに行く形で一度離脱です。


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次話もよろしくお願いします。

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