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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第3章 灰の底を踏むもの

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第26話 階下の来訪者

残されたものを拾う者は、

だいたい一人では済まない。

 階段の上に落ちた影は、しばらく動かなかった。


 地下室の薄暗がりへ差し込む細い光の縁。その向こうに、人ひとり分の輪郭だけが静かに立っている。


 アシュは剣を構えたまま、一歩も動かなかった。


 ガルドも弓を引き絞ったまま、矢尻を階段の入口へ向けている。フィアナは息を潜め、ルゥは低く唸りながらアシュの足元へ身体を寄せた。


 足音は一つ。


 兵の重さじゃない。教会執行兵ほど整ってもいない。だが素人の足でもなかった。


「……誰だ」


 アシュが低く問う。


 数秒の沈黙のあと、影がゆっくりと階段を下り始めた。


 光の中へ顔が出る。


 若い男だった。


 二十代半ばほど。黒に近い濃紺の髪は少し伸びていて、旅の埃を被っている。上着の下は軽装だが、腰には短剣ではなく術具の小箱が吊られ、左手の甲には細い銀線で組まれた術式環が嵌っていた。


 剣士ではない。


 だが、弱そうにも見えなかった。


 男は地下室の光景――開いた書箱、切り裂かれた封鎖術、アシュたちの構え――をひと目で見回し、小さく眉を上げる。


「……思ったより先客が多いな」


 軽くも重くもない声だった。


「答えになってねえ」


 アシュの声が落ちる。


「名乗れ」


 男はそこでようやく肩を竦めた。


「ノア・セルヴァン」


 その名に、レオフがわずかに目を細める。


 アシュはその反応を見逃さなかった。


「知ってるのか」


「記録屋の端くれとしては」


 レオフが短く答える。


「古文書と封鎖術式の読解を請ける流れの術師です」


 ノアは苦笑ともつかない表情を浮かべた。


「請ける、というと聞こえはいいが、要するに厄介事にしか呼ばれない」


「で、その厄介事を嗅ぎつけてここまで来たのか」


 ガルドが刺すように言う。


 ノアは矢を向けられてなお動じない。


「半分はそうだ。もう半分は、先にここを荒らした連中の足取りを追ってきた」


 アシュの目が細くなる。


「教会か」


「断定はできないが、少なくとも手慣れてた。欲しい箱だけ抜いて、いらない棚は壊してない」


 ノアの視線がレオフの懐へ向く。


「……で、残りを拾ったのはそっちか」


「必要なものだけです」


 レオフが答える。


 地下室にまた短い沈黙が落ちる。


 敵か、そうでないか。今はそれだけで十分だった。だが、その判断がつくより先に、ルゥが急に唸り声を強めた。


 アシュの背筋が冷える。


「まだ何かあるのか」


 次の瞬間だった。


 開いた書箱の奥で、黒い染みのようなものが脈打った。


 じわり、と。


 墨が水へ滲むみたいに、床へ黒が広がる。


「下がれ!」


 アシュが叫ぶより早く、石台の周囲へ散った切れた術線が再び淡く光り、床の黒と絡み合った。


 そこから這い上がってきたのは、灰の影ではなかった。


 細長い人影でもない。


 文字だ。


 崩れた頁から滲み出た黒い文字列が、生き物みたいに床を這い、重なり合い、腕のような形を作って立ち上がる。


「……なんだ、そりゃ」


 ガルドの声が低く歪む。


 墨の塊は答えない。


 だが次の瞬間、散らばった頁を巻き込みながら一気にアシュたちへ伸びてきた。


 速い。


 アシュは踏み込み、剣を振るう。


 刃は黒い腕を断ち切った。だが斬れた感触が薄い。飛び散った墨が床に落ちた瞬間、そこからまた細い指のようなものが生えてくる。


「ページの残滓が術式に噛んでる!」


 ノアが階段の途中から叫んだ。


「切るだけだと増えるぞ!」


「そういう事は先に言え!」


 アシュが吐き捨てる。


 その横を、別の黒い塊がフィアナへ伸びた。


 ルゥが飛ぶ。


 白い身体が横からぶつかり、黒い腕を床へ押し倒す。墨の飛沫が散り、ルゥの白い毛へ黒が飛んだ。ルゥは嫌そうに唸りながらも離れない。


「フィアナ!」


「はい!」


 フィアナは両手を胸元で重ね、白環の加護を薄く広げた。


 白い光が円を描き、床を這う文字列へ触れた瞬間、じゅ、と焼けるような音が鳴る。


 黒が一瞬だけ縮む。


「拒める!」


 アシュが叫ぶ。


「光の中へ押し込め!」


 フィアナが息を整え、輪をさらに押し広げる。


 だが、地下室は狭い。黒い残滓は床、壁、石棚にまで這い上がり、別の頁からも染み出し始めていた。


「きりがないぞ!」


 ガルドの矢が黒い塊を貫く。矢は通る。通るが、止まらない。


「核がある!」


 ノアの声だった。


 いつの間にか階段を下り、石台の反対側へ回り込んでいる。術式環を嵌めた左手をかざし、黒い流れの一点を睨んでいた。


「書箱の下! そこが起点だ!」


「だから最初からそう言え!」


 アシュは低く吠え、石台へ踏み込む。


 黒い腕が三本まとめて伸びる。


 正面、右、足元。


 避けきれない軌道を、横から差し込んだ青白い光が一瞬だけ歪めた。


 ノアの術だ。


 大きくはない。だが十分だった。


 アシュは軸をずらし、二本をかわし、残る一本を斬り払う。そのまま石台へ飛び上がり、書箱の下へ剣を叩き込んだ。


 石の底で、硬い何かが割れる感触。


 次の瞬間、地下室の黒が一斉に震えた。


「もう一撃だ!」


 ノアが叫ぶ。


 アシュは迷わず剣を引き抜き、もう一度振り下ろした。


 今度は深く入る。


 ぱきん、と乾いた音が地下室に響く。


 黒い文字列が糸の切れた操り人形みたいに崩れ、床へ散った。残った墨はじりじりと縮み、そのままただの汚れへ戻っていく。


 静寂。


 全員の呼吸だけが残った。


 ガルドが弓を下ろしながら吐き捨てる。


「記録庫ってのは、術まで性格悪ぃのか」


 レオフが冷静に答える。


「候補管理録なら、これくらいはするでしょう」


 ノアは何でもないことのように言った。


「開けた相手を縛るための旧式だ。生きたまま確保する前提の」


 その言い方に、フィアナの顔色がまたわずかに悪くなる。


 アシュはそれを見るより先に、ノアを見た。


「詳しいな」


「読めるからな」


「それだけで、ここへ一人で来たのか」


 ノアは石台の側でしゃがみ込み、黒く砕けた小片を拾い上げた。


「一人で来たのは半分趣味、半分仕事だ」


「ろくでもねえ理由だな」


「お互いさまだろ」


 その返しに、ガルドが小さく眉を上げる。


 アシュは少しだけ目を細めたが、否定しなかった。


 ノアは砕けた小片を光へ透かす。


「封鎖核だ。候補識別の印が噛んでる。白環持ちが触れれば反応するようになっていたらしい」


 フィアナが小さく息を呑む。


「やっぱり、私を……」


「引き寄せる作りだな」


 ノアはあっさり言った。


「君が悪いわけじゃない」


 それは慰めではなく、ただの事実としての口調だった。


 だが、その言い方の方が今のフィアナには少しだけましに聞こえたらしい。彼女は唇を引き結び、無言で頷いた。


 レオフが懐から羊皮紙を取り出す。


「記録はこれだけ拾えました」


 ノアの目が動く。


「見せてくれ」


「信用できる理由をください」


「今の術式を止めた」


「補助しただけです」


「補助でもなければ、まだ地下室で黒い文字と踊ってたぞ」


 レオフが黙る。


 ノアは少しだけ肩を竦めた。


「旧燈写院を追っていたのは同じだ。俺も消された線の先を探していた。灰祈り、白環、逃亡候補、観測路――」


 そこでノアの視線が紙の一行に止まる。


「……やっぱり観測塔か」


 アシュが反応する。


「知ってるのか」


「場所だけなら」


 ノアは答えた。


「東の観測路の先にある。今は使われてないが、封鎖記録の補助観測点だった」


「イリスがそっちへ向かった可能性がある」


「だろうな」


 ノアは即答した。


「少なくとも、北へ逃げていないなら東を見るべきだ」


 ガルドが顔をしかめる。


「で、何でそんなことまで知ってる」


「消された道を読むのが仕事だからだ」


「便利な仕事だな」


「便利ならもっとまともに稼げる」


 その返しに、ガルドの口元がわずかに動く。


 アシュはノアを見る。


 若い。だが、軽くない。知識だけで来た人間の足取りでもない。少なくともここまで一人で辿り着いている時点で、使えない相手ではない。


「お前も観測塔へ行くのか」


「行く」


「理由は」


「残ってるなら読みたい」


 ノアは迷いなく言った。


「灰祈りの底に何がいて、白環候補が何をさせられるはずだったのか。そこまで見えかけてるのに、今さら引けるほど上等な身分じゃない」


 アシュは数秒だけ黙った。


 フィアナが小さく口を開く。


「……一緒に来るんですか」


 ノアは彼女を見た。


 視線は柔らかくない。だが値踏みしている感じとも違う。事実を確かめるみたいな目だった。


「君たちが断るなら、別の道で行く」


「追跡は」


 アシュが問う。


「近い」


 ノアは階段の上を見た。


「さっきから外の風が少し変わってる。人が動いてる時の流れだ」


 レオフが小さく息を呑む。


「教会か、王国か」


「どっちでも面倒なのは同じだ」


 ノアはそう言って立ち上がった。


「少なくとも、ここで続きを読んでる暇はない」


 アシュの目がわずかに鋭くなる。


「外には見張りを二人置いた」


「知ってる」


 ノアはあっさり返した。


「入口の石陰に一人、裏手の崩れ壁の陰に一人。気絶させた」


 その場の空気が一段硬くなる。


 ガルドが弓を半ば持ち上げる。


「てめえ……」


「殺してない」


 ノアは平坦に続けた。


「最初は教会側の追手かと思った。騒がれると面倒だったから先に落としただけだ」


 レオフの表情が変わる。


「無事なんですか」


「縛ってある。目が覚めてもすぐには動けない」


 アシュはノアを睨んだまま言う。


「ずいぶん手際がいいな」


「潜るなら、そのくらいの腕はいる」


「勝手に味方の見張りを潰されて、はいそうですかで済むと思うか」


「済まないなら今ここでやるか?」


 ノアの声は静かだった。


「その間に上の連中が降りてくるが」


 その言葉の直後、上階で板の軋む音がもう一度鳴った。


 今度は一つではない。


 乾いた足音が二つ、三つ。


 全員の空気が一瞬で張る。


 ガルドが低く吐き捨てる。


「……来たな」


 アシュは即座に決める。


「紙を持て」


 レオフが頷き、羊皮紙を懐へ押し込む。


「部下の回収は」


「裏から抜けた後だ」


 アシュが短く言う。


「案内しろ、ノア」


「西側の排水路。狭いが抜けられる」


「本当に詳しいな」


「下見はした」


「最初から合流する気だったのか」


「そのつもりはなかった」


 ノアは短く返した。


「だが、今は別だ」


 上階の足音が近づく。


 フィアナがルゥの背へ手を置く。ルゥは淡い青い瞳で階段を睨んだまま、低く喉を鳴らしている。


 アシュは剣を構え直し、ノアを見た。


「逃げ足は速いか」


「術師に何を求めてる」


「答えになってねえ」


「追いつかれなければ十分だろ」


 その返しを聞いて、ガルドが小さく鼻を鳴らした。


「……嫌いじゃねえな」


「別に嬉しくない」


 ノアは平坦に言った。


 その間にも、足音はもう上階の入口まで来ている。


 旧燈写院の地下で拾ったのは、記録の残りだけじゃない。


 次の道と、もう一人の厄介事だった。

第26話でした。


旧燈写院で拾えたのは、

答えそのものではなく、やはり次へ繋がる断片でした。


ただ今回は、それに加えて

もう一人、次の道を知っている人間が現れました。


しかも、ただ現れただけではなく、

ちゃんと厄介事も置いていってくれています。


消された記録を追う者が増えたことで、

ここから先は少しずつ景色も変わっていきそうです。


もし面白かったら、


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次話もよろしくお願いします。

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