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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第3章 灰の底を踏むもの

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第21話 消された役目

消された名でも、

役目までは消えない。

 礼拝堂の中は、しばらく誰も口を開かなかった。


 崩れた天井の隙間から、細い朝の光が斜めに落ちている。壊れた長椅子、砕けた祭壇、壁に絡むツタ。使われなくなって久しい場所のはずなのに、今この場だけは妙に息苦しかった。


 灰祈りの村は、封じるための村だった。


 レオフの言葉が、まだ空気の中に残っている。


「……どういう意味だ」


 最初に声を出したのは、ガルドだった。


 荒い声音だったが、怒鳴ってはいない。怒鳴るより先に、喉の奥で固まったものがあるような声だった。


「村の下に何かがあった、じゃないのか」


「逆です」


 レオフは崩れた祭壇の脇に立ったまま答える。


「村そのものが、底のものを押さえつける蓋として置かれていた」


 ガルドの眉間が深く寄る。


「ふざけんな」


「ふざけていると思います」


 レオフの返しは静かだった。


「ですが、記録はそうなっています」


 アシュは壁から背を離した。


 脇腹の奥が鈍く軋む。だが今はその痛みの方がまだましだった。耳に入ってくる言葉の方がよほど質が悪い。


「最初から村を作るつもりで作ったんじゃねえ、ってことか」


「最初は祭祀場だったようです」


 レオフが続ける。


「今の教会の形が整うより前、もっと古い信仰の時代のものです。そこに封じるべきものが生まれたのか、あるいは持ち込まれたのか、その点は記録が割れている。ですが、その後の文書は一致している」


 彼は一度、アシュたち全員を見た。


「この場所は、隠されなければならなかった」


 フィアナが小さく息を吸う。


「……底にあるものが、それほど危険だからですか」


「危険、という言い方で足りるならまだましです」


 レオフはそこで少しだけ言葉を選んだ。


「最古の封鎖記録では、あれは『祈骸』と記されていました」


 礼拝堂の空気が、わずかに冷える。


「……きがい」


 フィアナがかすかに繰り返す。


 アシュは何も言わない。


 その響きだけで胸の奥がざらつく。祈りと骸。どちらもこの村に似合いすぎる名前だった。


「時代が下るにつれて呼び方は変わります」


 レオフは続ける。


「後の教会記録では『未成の神子』。地方の口伝には『埋められた神子』に近い表現も残っていました。ですが、いちばん古い記録に残っている正式な名は、祈骸です」


「神子、だと?」


 アシュが低く言う。


「神子候補ってのは、そっちの意味か」


「同じではありません」


 即答だった。


「ですが、無関係とも言えない」


 その答えに、フィアナの肩が目に見えて強張る。


 レオフはそれに気づいていたが、誤魔化さなかった。


「祈骸は、神子になり損ねたものなのか。神子として作られた器が壊れたものなのか。そこも記録ごとに表現が違う。ですが共通しているのは、あれが“受けるためのもの”として扱われていたことです」


「受ける……?」


 フィアナの声が細くなる。


「何を」


 レオフは一瞬だけ目を伏せ、それから答えた。


「穢れ、祈り、異常、あるいはもっと別の何かを」


 ガルドが歯を食いしばる。


「だったら何だ。そんなもんを村の下に埋めて、その上で普通の顔して暮らさせてたのか」


「普通ではなかったはずです」


 レオフの声が少しだけ硬くなった。


「少なくとも最初は」


「どういう意味だ」


「最初の灰祈りは、封印を維持するための管理集落だったということです」


 その言葉に、アシュの目が止まる。


「管理?」


「監視と維持です。揺らぎの有無を記録し、異常があれば上へ報告する。祈りの形を残しながら、地の下のものを鎮める。それが本来の役目だった」


 フィアナがかすかに呟く。


「祈るための村じゃなくて……祈らされるための村」


 レオフは否定しなかった。


「長い時間の中で、役目は形骸化したのでしょう。監視役の家系、記録係、表向きの聖職者、普通に生まれて普通に暮らす者たち。そうやって村は村の形を取り始めた。ですが、底のものは消えなかった」


 アシュの喉がわずかに動く。


「じゃあ四年前のあれは」


「限界だった可能性が高い」


 レオフは答える。


「封印の揺らぎが閾値を超えた。上は村を守るより、蓋ごと処分する方を選んだ」


 ガルドの拳が震える。


「処分……」


「そう記録に残っています」


「人が住んでたんだぞ」


「分かっています」


「分かってて、その顔か」


 ガルドの声が低く落ちる。


 礼拝堂の空気が張る。


 レオフは視線を逸らさなかった。


「だから今ここに来ています」


「遅えよ」


「そうです」


 また、それを否定しない。


 それが余計に腹立たしい。


 アシュは二人の間に割って入るように口を開いた。


「命令は誰から出た」


「表向きは王国の危険区域管理部です」


「表向きじゃねえ」


 レオフは数秒だけ黙った。


 それから、小さく息を吐く。


「……教会の深部と、王国の上層部。両方です」


 フィアナが顔を上げる。


「では、教会は最初から知っていたんですね」


「知っていた」


「神子候補も?」


「ええ」


 短い肯定だった。


 フィアナの指先に力が入る。胸元で重ねた手が白くなるほどだった。


「……私は、何の候補なんですか」


 その問いに、誰もすぐには答えなかった。


 ルゥが低く喉を鳴らし、フィアナの足元へ身体を寄せる。まるで、先に答えを知っているみたいに。


 レオフはようやく口を開いた。


「神子候補というのは、祝福されるための名ではありません」


 礼拝堂の中がしんと静まる。


「受けるための適性です」


 アシュの目が細くなる。


 フィアナは何も言わない。ただ顔色だけが静かに失われていく。


「加護を宿し、壊れず、祈骸に近づいても境界を失いにくい者。そういう子どもが、候補として選別される」


 レオフの言葉は淡々としていた。


 感情を混ぜていないぶん、余計に冷たい。


「あなたは守られていたのではない」


 フィアナが息を止める。


「将来、受ける側に回せるかどうかを見られていたんです」


「……代わりに、なるために」


 フィアナの声はかすれていた。


 レオフは一度だけ目を閉じ、それから頷いた。


「可能性は高い」


 アシュの中で、何かが冷たく切れた。


「ふざけるな」


 低い声だった。


 怒鳴るよりも先に、圧だけが落ちる。


「村は蓋にされて、子どもは次の蓋にされるのか」


「そうしなければ保てない、と考えた連中がいた」


「考えた、じゃねえだろ」


 アシュの声がさらに低くなる。


「今もそのつもりなんだろうが」


 レオフは沈黙した。


 それ自体が答えだった。


 フィアナは俯いていた。だが、その肩は震えていない。怯えて崩れる一歩手前で、どうにか踏み止まっているように見えた。


「……だから、追ってきたんですね」


 小さな声だった。


「セレナ様も、教会も」


「ええ」


「私が逃げたから」


「そうです」


 短く返され、フィアナは一度だけ目を閉じた。


 ルゥがその手に鼻先を押しつける。


 フィアナはようやく、かすかに息を吐いた。


「守るためじゃなかった」


「最初から、そういう建前です」


 レオフの声音は変わらない。


 だからこそ刺さる。


 ガルドが吐き捨てる。


「胸くそ悪ぃ話だな」


「俺も同感だ」


 アシュは言った。


 それからフィアナを見る。


 彼女はまだ俯いていたが、壊れてはいなかった。壊れそうなほど細いのに、折れてはいない。そこに、アシュは少しだけ救われるような、余計に腹が立つような感覚を覚えた。


「フィアナ」


 声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。


 青い目は揺れていた。だが、逃げていない。


「……はい」


「聞いたな」


「聞きました」


「それで終わりにはしない」


 一瞬、フィアナの表情が止まる。


 アシュは続けた。


「底にあるもんも、お前に背負わせようとしてる連中も、放っとく気はねえ」


 フィアナの喉が小さく動く。


 それは慰めじゃない。優しい言葉でもない。


 でも今この場で必要なのは、たぶんそっちじゃなかった。


「私は……」


 フィアナは小さく息を吸った。


「私は、あれにはなりたくありません」


「ああ」


「でも、目を逸らしたくもないです」


「だろうな」


「だから、知りたいです。祈骸のことも。神子候補のことも。どうして私にその加護があるのかも」


 レオフが静かに頷く。


「なら、次を話します」


 彼は懐から古びた封書を取り出した。


 封はすでに切られている。中から出てきたのは薄い羊皮紙だった。黒く古い文字と、いくつかの円環の図。


「これは封鎖記録の写しです。祈骸と、神子候補に関する記述が混ざっている」


 アシュが目を細める。


「全部読めるのか」


「全部は無理です。消されている箇所も多い」


 レオフはそう言って、羊皮紙の一行を指でなぞった。


「ですが、ここだけは残っている」


 彼の指先の先にある文言を見て、フィアナの顔色がさらに変わる。


「……何と」


 アシュが問うと、レオフは低く読み上げた。


「“蓋が損なわれた時、白環の加護を持つ器をもって代えるべし”」


 礼拝堂の空気が、音もなく凍りついた。

第21話でした。


消された名前の先に、

ようやくひとつ、灰祈りの村の役目が見えてきました。


村は暮らすための場所ではなく、

何かを押さえつけるための蓋だった。


そしてフィアナに向けられていたものも、

守るという言葉では包みきれないものだったのだと思います。


それでも、目を逸らさずに知ろうとすること。

その一歩を、今回の話では大事にしました。


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次話もよろしくお願いします。

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