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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第3章 灰の底を踏むもの

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第20話 名を消された村

削られた名前は、

そこにあったものまで消してはくれない。

 灰祈りの村を離れると決めても、足はすぐには動かなかった。


 村の中心には、まだあの穴がある。埋めた者たちの場所も、焼け落ちた家々も、そのままだ。何ひとつ片づいていない。置いていくという感覚だけが、妙に重く背中にまとわりつく。


 それでも、ここに留まるべきではない。


 さっきの残滓だけで終わるはずがないと、全員が分かっていた。


「……行くぞ」


 アシュが短く言う。


 レオフが頷き、部下二人へ目配せした。部下たちは緊張したまま周囲を警戒している。腰は引けているが、逃げる気はないらしい。


 ガルドは村の奥をもう一度だけ見た。


 埋めた場所。崩れた家。焼け残った柱。中心の穴。


 それから低く吐き捨てる。


「絶対に終わらせる」


 誰に聞かせるでもない声だった。


 だがアシュには、はっきり聞こえた。


「終わらせるしかねえだろう」


 ガルドがちらりとこちらを見る。


「自分の村でもねえのに、ずいぶん言うじゃねえか」


「……焼いた側だ」


 それだけ言えば十分だった。


 ガルドの顔から、ほんの少しだけ荒さが抜ける。許したわけではない。納得でもない。ただ、その言葉の重さだけは知っている顔だった。


「だったら最後まで見ろ」


「ああ」


 それ以上の言葉は要らなかった。


 一行は灰祈りの村を出た。


 朝の街道は白く乾いていた。昨夜までまとわりついていた湿った嫌な気配が、村の境を越えた途端に少し薄くなる。だが完全には消えない。アシュの鼻の奥にはまだ灰の匂いが残っていたし、ルゥも二度、三度と後ろを振り返った。


 先頭を歩くレオフが、北街道から外れる細い道へ入る。


「こっちだ。表の道を行くより早い」


「見つかりにくい、の間違いじゃねえのか」


 ガルドが言うと、レオフは否定しなかった。


「それもある」


「胸張って言うことかよ」


 アシュは黙ったまま周囲を見ていた。獣道。崩れた石橋。使われなくなった巡礼路。人目を避ける経路に、レオフの足取りは妙に迷いがない。


 王都の記録局。古記録と封鎖文書を抱える連中。


 なるほど、表に出せない場所へ行くことにも慣れているらしい。


 脇腹が鈍く軋む。


 歩けないほどじゃない。だが歩くたび、昨夜の反動が奥から滲み出してくる。飲み下した黒い液体が、崩れかけた身体をどうにか繋いでいるだけだと、嫌でも意識させられる。


「歩けますか」


 横から、フィアナの声。


「誰に言ってる」


「確認しているだけです」


「余計なお世話だ」


「そう思われても、確認はします」


 いつものやわらかい調子だ。だが、引かない。


 アシュは舌打ちしかけてやめた。横からガルドが口元を歪めたのが見えたからだ。


「おい、ずいぶん言い返せるようになってきたじゃねえか」


「うるせえ」


「いいことだと思います」


「お前まで乗るな」


 短いやりとりのあと、ほんの少しだけ空気が緩む。


 戦いの直後には、それだけでも十分だった。


 半刻ほど進んだところで、フィアナがふと足を止めた。


「……ここも」


 視線の先には、道端に倒れた石碑がある。表面は擦り減り、苔と土に汚れていたが、完全に風化したわけではない。


 レオフが振り向く。


「気づかれましたか」


 フィアナは石碑の中央を見つめていた。


「削られています」


「何がだ」


 ガルドが覗き込み、すぐに眉をひそめる。


「ああ? これ……名前か?」


 石碑の中央だけ、不自然に抉られていた。周囲の文字よりも新しい傷。意図して消した痕だと分かる。


 レオフは低く言った。


「名を消した痕だ」


 アシュは目を細める。


「村だけじゃねえのか」


「灰祈りの村に繋がるものも、だ」


 レオフの声は乾いていた。


「地図、街道標、巡礼記録、寄進台帳、祈祷碑文。そういうものから少しずつ消されていく。最初は記載が減る。次に辿る道が消える。最後には、最初からなかったことになる」


 フィアナの表情がかすかに強張る。


「どうして、そんなことを」


「存在していると困るからだろう」


 アシュが先に言った。


 レオフは否定しなかった。


「正確には、“思い出されると困る”からだ」


 その一言で、朝の空気が少しだけ冷たくなった気がした。


 思い出されると困る。


 ただの隠蔽ではない。忘れさせたいのだ。何があったのかを。何の上に村があったのかを。


 ガルドが低く吐き捨てる。


「徹底してやがるな」


「徹底しなければならない理由があったんでしょう」


 フィアナの言葉は静かだ。


「それが、あの村の底にあるものと関係している」


「その通りだ」


 レオフは短く答えた。


 その先を今ここで話すつもりはないらしい。表情だけで分かる。


 アシュが促すように言う。


「礼拝堂でどこまで話す」


「私が知っている範囲までは」


「足りなかったら」


「足りなくても話す」


 曖昧だが、それ以上問い詰めても今は無駄だとアシュは判断した。


 歩みを再開した、その直後だった。


 ルゥが低く唸る。


 背の毛が逆立つ。鼻先が森の縁へ向いている。


「またか」


 アシュが剣の柄に手をかける。


 空気が揺れた。


 灰の匂いとは少し違う。湿った土の下で、何かが腐り切らずに残っているような臭いだ。


 次の瞬間、街道脇の土が弾けた。


 黒ずんだ影が飛び出す。


「伏せろ!」


 アシュの声より早く、フィアナが一歩前へ出た。


 白い光が足元から広がる。


 飛びかかった影が、その境界に触れた瞬間に軋んだ。完全には止まらない。だが勢いは鈍る。


 異常存在。


 灰祈りの村の残滓ほどではない。けれど普通の魔物でもない。


 アシュは踏み込み、首元を狙って剣を振るう。浅い。刃が入った感触はあるのに、肉とも骨とも違う手応えがぶれる。


「硬えな……!」


「首の後ろです!」


 レオフが叫ぶ。


 アシュは舌打ちしつつ刃を返す。影が腕を振り回し、脇腹を狙ってくる。そこへガルドの矢が横から飛び込み、肩口を貫いた。


「アシュ!」


「分かってる!」


 体勢が崩れた一瞬へ、アシュが滑り込む。


 首の後ろ。そこへ剣を叩き込み、骨に似た硬さを断ち切る。影は短い断末魔のような軋みを残し、その場に崩れ落ちた。


 だが一体では終わらない。


 街道脇、崩れた石垣の陰、倒木の向こうから、さらに二つ、三つの気配が滲む。


「ちっ……村の外まで染みてやがるのか」


 ガルドが矢を番えながら吐き捨てる。


 次の一体が低く這うように迫った。


 ルゥが飛び出す。


 白い身体が横からぶつかり、異形を押し倒す。そのまま喉元へ噛みつく動きは獣のそれだ。だが、ただの獣なら躊躇するはずの異質な気配に対して、迷いがまるでない。


 フィアナの光がその周囲を縫う。


 拒絶の線が地を走り、異形の四肢の動きを鈍らせる。完全に止めるわけではない。だがアシュが斬るには十分だった。


「寄せます!」


「頼む!」


 フィアナの声に応じ、ガルドの矢が別の一体の脚を射抜いた。さらに接近してきた影に合わせて短剣を抜き、横腹へ深く突き込む。


「近えなら、こっちでやるだけだ!」


 吐き捨て、すぐに刃を引く。返す動きで二撃目を打ち込み、そのまま距離を取った。弓だけじゃない。近距離でも迷いがない。


 アシュが目の前の一体へ踏み込もうとした瞬間、足がわずかにもつれた。


 重い。


 身体の奥が、思い出したように軋む。


 その隙へ異形の腕が伸びた。


「アシュさん!」


 フィアナの声と同時に、白い光が腕へ絡みつくように走る。ほんの一瞬の拘束。だがそれで十分だった。


 アシュは間合いを戻し、肩口から斬り下ろす。異形の上半身がずるりと崩れた。


 呼吸が荒くなる。


 それを押し殺すように息を吐く。


「大丈夫ですか」


「問題ない」


 短い応酬の間にも、ルゥが最後の一体へ飛びかかっていた。石垣に叩きつけられた異形が身を起こそうとしたところへ、ガルドの矢が喉元へ突き刺さる。


 その一拍あとにアシュの剣が入る。


 異形は今度こそ動かなくなった。


 しばらくの沈黙。


 風だけが抜けていく。


 ガルドが土へ落ちた矢を踏み避けながら、吐き捨てる。


「ったく、無限に湧いてきやがるな」


「村の残滓と、周囲に染みたものが繋がっているのかもしれない」


 レオフが息を整えながら言う。


「完全に境を越えて広がる前でよかった」


「よかったで済ませる話でもないですけどね」


 フィアナの声は穏やかだが、冷えていた。


 レオフは口をつぐむ。


 その沈黙を切るように、アシュが言う。


「先を急ぐぞ。次が来る前にな」


 誰も異論はなかった。


 それからさらに進んで、ようやく礼拝堂が見えてきた。


 崩れかけた石造りの建物。片側の鐘楼は半ばから折れ、壁面にはツタが絡みついている。使われなくなって久しいはずなのに、完全な廃墟まではいっていない。形だけはどうにか保っていた。


「ここだ」


 レオフが先に立ち、扉代わりの板を押し開ける。


 乾いた埃がふわりと舞った。


 中は薄暗い。長椅子の半分は壊れ、祭壇も崩れている。だが壁と屋根はまだ持ちそうだ。休む場所としては悪くない。


 ルゥが先に中へ入り、低く鼻を鳴らす。


 危険は薄いらしい。


 フィアナは礼拝堂の奥を見渡し、小さく息をついた。


「……落ち着いて話すには、十分ですね」


「本当は、こんな場所まで使うことになるとは思っていなかったが」


 レオフが呟く。


 ガルドは吐き捨てるように言った。


「おれたちは最初から思ってねえよ」


 アシュは壁に寄りかかりたくなる衝動を押し殺し、立ったままレオフを見る。


「で」


 短く促す。


「話せ。灰祈りの村は、何のために消された」


 礼拝堂の中が静まる。


 崩れた天井の隙間から落ちる細い光の中で、レオフはゆっくり口を開いた。


「灰祈りの村は――封じるための村だった」


 その言葉で、空気が変わる。


 ガルドの目が見開かれる。フィアナは何も言わない。ただ真っ直ぐにレオフを見ていた。ルゥは低く喉を鳴らし、アシュは無意識に奥歯を噛み締める。


 封じるための村。


 住むための村ではなく。祈るための村でもなく。


 最初から、何かの上に置かれた蓋だったということだ。


 昨夜、穴の底で感じたものが脳裏に蘇る。


 あれが村の下にあったのではない。


 村そのものが、あれの上に作られていた。


「……ふざけた話だな」


 アシュが絞り出すように言う。


 レオフは静かに頷いた。


「いや、ふざけているのはここからだ」

第20話でした。


灰祈りの村はただ異常な村だったのではなく、

最初から“そういう役割”を押しつけられていた場所かもしれない。

その輪郭が少しずつ見え始めています。


そしてここからは、

村の底にあったものだけではなく、

それを知りながら隠していた人間側の話もさらに深くなっていきます。


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次話もよろしくお願いします。

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