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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第3章 灰の底を踏むもの

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第19話 夜明けの灰

朝になったからといって、

夜に埋めたものまで静かになるわけではない。

 夜明けは来ていた。


 それでも灰祈りの村には、朝と呼べるものが戻っていなかった。


 空は白み、風も吹いている。だが地の上にあるのは、焼けた匂いと崩れた家々と、薄く舞い続ける灰だけだった。光が差しているのに、何ひとつ明るく見えない。


 村の中心――あの穴の周囲だけが、妙に静かだった。


 静かすぎる、とアシュは思う。


 収まった後の静けさじゃない。底の方で、まだ何かが息を潜めている。そういう嫌な沈黙だった。


「……本当に、今はもう出てこないのでしょうか」


 穴を見つめたまま、フィアナが言った。


 丁寧な声はいつも通りだが、その細い指先には力が入っている。恐れていないわけじゃない。けれど目を逸らしてもいない。


「出てこないんじゃねえ」


 瓦礫に腰を下ろしていたガルドが、低く吐き捨てた。


「出てこれねえだけだ。今はまだな」


 アシュも同意だった。


 昨夜、四人で一度だけ押し返した。だが終わったわけじゃない。あれは蓋を叩きつけただけだ。底にいる“本物”は、まだそこにいる。


 アシュは浅く息を吐く。


 身体の奥が重い。右腕の芯に痺れが残り、脇腹は呼吸のたびに鈍く軋んだ。昨夜に飲んだ黒い液体が、どうにか身体を繋ぎ止めているだけだと分かる感覚だった。痛みが引いたんじゃない。崩れるのが少し先になっただけだ。


 ちゃんと立っている。


 それだけで十分だと、今は割り切るしかなかった。


 フィアナがそんな彼を見て、小さく言う。


「……顔色が良くありません」


「元からだ」


「そういう意味ではありません」


 間を置かず返され、アシュは眉を寄せた。


「ちゃんと立っているだろう」


「それは見れば分かります」


 やわらかい声だった。


 だが、その先に引く気はないらしい。


「問題は、そのまま無理を押し通すつもりかどうかです」


「うるせえな」


「うるさくもなります」


 アシュが黙ると、フィアナはそれ以上言わなかった。


 問い詰めない。だが見逃しもしない。短いやり取りのくせに、前より距離が近い。そういう変化が、昨夜を越えたあとにはあった。


 地面に伏せていたルゥが、ふいに耳をぴくりと動かした。


 白い毛は煤で薄く汚れ、脇腹にも傷が走っている。それでもフィアナの足元から離れようとしない。守るようにいるのか、引かれるようにいるのか、それはまだ分からなかった。


 ガルドが立ち上がり、弓を手に取る。


「いつまでもここに張りついてるわけにはいかねえな」


 その口調は荒いが、迷いはなかった。


「村の連中を埋めた場所も、中心の穴も、見張りてえのが本音だ。けど、おれ一人でどうにかなるもんじゃねえ」


「離れるしかない」


 アシュが言うと、ガルドは悔しそうに奥歯を噛んだ。


「分かってる。胸くそ悪ぃがな」


 灰祈りの村は終わっていない。


 昨夜助かったものは少なく、取り戻せたものはさらに少ない。ただ一度だけ、底から這い出しかけたものを叩き返した。それだけだ。それだけのために払ったものは、あまりにも重い。


「王国か、教会か……どちらかは知っているはずです」


 フィアナが静かに言う。


「この村が何だったのかを」


「知ってたなら、なおさら気に入らねえな」


 ガルドが唸る。


「村ごと見殺しにしてたってことだろ」


 アシュは答えず、空を見上げた。


 薄い色の空だった。鳥の声はしない。ただ風が焼け残った柱を鳴らしている。その音だけが、無人の村に響いていた。


 そこで、ルゥが低く唸った。


 頭を上げ、村の外れ――街道へ続く方角を睨んでいる。


「何だ」


 アシュが問うと、フィアナも目を細めた。


「……誰か、来ます」


「灰の者か?」


 ガルドは即座に矢を番えた。


 だがアシュは首を振る。


「違う。人だ」


 気配は複数。足音を消しているが、一流の隠密ではない。訓練は受けている。だが死地に慣れ切った歩き方でもない。


 やがて焼け跡の向こうに、灰色の上着をまとった人影が現れた。


 胸元には細い銀の紋。王国兵とも教会騎士とも違う。先頭の男は村を見渡し、わずかに顔をしかめた。


「……ひどいな」


 その一言に、アシュの目つきが変わる。


「知ってるのか」


 男ははっとしてこちらを見た。


 三十前後。痩せた顔立ちに神経質そうな目。腰の剣には戦場の擦れが少ない。だが靴だけはよく減っていた。前線の兵ではなく、各地を歩く職の人間だ。


 男はアシュたち三人とルゥ、そして中心の大穴を見て息を呑む。


「……報せは本当だったのか」


「質問に答えろ」


 アシュが一歩前に出ると、男の後ろにいた二人が身構えた。だが男自身は剣を抜かない。


「私はレオフ。王都記録局所属の調査官だ」


「記録局?」


 フィアナが小さく繰り返す。


 アシュにも覚えがあった。王都の奥で古記録や封鎖文書を抱えている連中だ。戦場とは縁遠いはずの組織が辺境まで来ている時点で、ろくでもない。


「辺境の異常報告を受けて来た」


「遅えんだよ」


 ガルドの声はむき出しだった。


「村が焼けて、人が死んで、底から化け物が這い出しかけた後に来て、何の役に立つ」


「……その通りだ」


 レオフは反論しなかった。


 それがかえって気味が悪い。


 アシュは剣の柄に手をかけたまま問う。


「何を知ってる」


 レオフは中心の穴を見据えたまま、低く言った。


「ここは本来、報告に上がるはずのない場所だった」


 空気が変わる。


「は?」


 ガルドが眉を吊り上げる。


「どういう意味だ」


「封鎖記録がある」


 レオフは言った。


「灰祈りの村は正式な地図から外され、関係文書も閲覧制限がかかっていた。名称そのものが、今の王都にはほとんど残っていない」


 アシュの胸の奥が冷たくなった。


 焼いた。

 焼かされた。


 そう思っていた過去に、別の手が伸びてくる感覚だった。


「つまり」


 アシュは低く言う。


「最初から捨てられてたってことか」


 レオフは答えなかった。


 否定しない時点で十分だった。


 ガルドの表情が剥き出しに歪む。


「てめえら……!」


「待ってください、ガルドさん」


 フィアナが制した。


 怒りのまま前に出ようとしたガルドを止め、彼女はレオフへ向き直る。


「あなたは、そのことを知っていて来たのですか」


「全部を知っていたわけではない」


「でも、何かは知っていた」


「……そうだ」


 フィアナの目がほんの少しだけ伏せられる。


 それでも次の問いは逸れなかった。


「では、聞かせてください。この村の底に何があるのかを」


 レオフは周囲を見回した。焼けた家、崩れた井戸、村の外れ、空の色まで確かめるように視線を走らせる。


「ここでは話せない」


「ふざけんな」


 ガルドが怒鳴る。


「何人死んだと思ってる」


「分かっている。だが、ここはもう見られている可能性が高い」


 アシュの指先が剣の柄を握り込んだ。


「誰に」


 レオフは一瞬だけ黙り、それから答える。


「王国だけじゃない。教会でもない。もっと古いところに繋がっている者たちだ」


 曖昧な言い方だった。だが、でたらめを言っている顔ではない。


 フィアナが静かに問う。


「……環座、ですか」


 レオフの目が一瞬だけ揺れた。


 それで十分だった。


 ガルドが低く舌打ちする。


「よくわからんが当たりみたいだぞ」


 アシュはフィアナを見る。フィアナもまた表情を変えずにレオフを見ていたが、その横顔は固い。


「どうしてその名を知っている」


 レオフが問い返す。


「こちらにも事情があります」


 フィアナはそれだけしか言わなかった。


 レオフはなおも何か言いたげだったが、結局飲み込む。


「……北街道の外れに古い中継礼拝堂がある。今は使われていない。半日も歩けば着く。話をするならそこだ」


「信用できると思ってんのか」


 アシュが言う。


「思っていない。だがここよりはましだ」


 言い終えるより先に、ルゥが鋭く吠えた。


 次の瞬間だった。


 レオフの足元の灰が、ぼこり、と盛り上がった。


「っ!」


 黒い腕が地面を突き破る。レオフが跳び退き、その一拍遅れで周囲の焼け跡からも灰がいくつも持ち上がった。


 人の形を残したもの。腕だけが異様に長いもの。首の位置がずれたまま揺れているもの。


 昨夜の中心にいた異常ほどの濃さはない。だが村に染みついた残滓が、朝の薄さに紛れて再び形を取ったのだ。


「ちっ……!」


 アシュは剣を抜いて前に出る。


 身体は重い。だが止まれない。


 最初の一体が腕を振り上げるより早く、踏み込んで斬る。斜めに断たれた胴が灰を撒き散らしながら崩れるが、切断面からなお指が伸びる。


「散らすな、寄せろ!」


 ガルドの怒声と同時に矢が飛んだ。


 アシュの横をかすめた一矢が、地を這おうとした残骸を射抜いて縫い止める。さらにもう一矢。続けて三矢目。昨夜の被弾を感じさせない精度だった。


「フィアナ!」


「はい!」


 フィアナの足元から白い光が走る。


 一本の線ではない。薄く広がるその光が灰の者たちの足元をなぞった瞬間、崩れた身体の動きが目に見えて鈍くなった。


 拒絶。

 留めるための加護。


 昨夜よりも、扱いが明らかに鋭い。


 右から別の一体が飛びかかる。


 アシュが剣を返すより早く、ルゥが横からぶつかった。白い毛並みが灰を裂き、そのまま首元へ喰らいつく。押し倒された敵にアシュが追いつき、喉元から肩口までを一息に断った。


 灰が舞う。


 その向こうで、レオフの部下二人も短剣を抜いていた。動きは荒いが、逃げてはいない。


「散らばるな!」


 レオフが叫ぶ。


「押し返せ! 村の外へ!」


「偉そうに指図してんじゃねえ!」


 ガルドが怒鳴り返しつつも、次の矢を放つ。


 その矢は灰の者の眼窩を貫き、その一瞬の硬直にルゥが飛び込み、アシュが斬る。フィアナの光がその動きを繋ぐ。


 噛み合う。


 昨夜を越えたばかりの身体なのに、四人の動きは昨夜より速かった。


 フィアナが止める。ガルドが崩す。ルゥが噛みつく。アシュが断つ。


 順番を決めたわけじゃない。だが誰かが迷わず動けば、他がそこへ重なる。それだけで、さっきまでばらばらだった朝の空気に一本芯が通った。


 灰の腕がアシュの脇腹を薙ごうとする。


 身を捻って避け、剣の腹で弾く。その瞬間に痛みが鈍く走った。昨夜の反動が芯から軋む。だが顔には出さない。


「アシュさん、左です!」


 フィアナの声。


 反射で踏み換え、左から伸びた腕を断ち切る。その影に潜り込んだもう一体の脚を、ガルドの矢が抜いた。体勢を崩した敵の首を、ルゥが噛み裂く。


「しつこいな……!」


 アシュが吐き捨てる。


「底の残り滓でしょう」


 フィアナの声は静かだった。


「でも、芯までは来ていません」


「なら十分だ」


 十分すぎる。


 こんなものが朝になってまで湧く時点で、この村がまだ終わっていない証拠だった。


 最後の一体が村外れへよろめいた瞬間、アシュは地を蹴った。


 踏み込み、振り抜く。


 首元から肩口までを一息に裂くと、灰の身体は縦に割れ、そのまま崩れた。


 動かない。


 今度こそ、完全に止まる。


 少し遅れて静けさが戻ってきた。


 誰もすぐには喋らない。風だけが吹き、舞い上がった灰が白い朝の中へ薄く散っていく。たった今まで斬り合っていたことすら、どこか夢みたいに曖昧になる景色だった。


「……胸くそ悪ぃ」


 先に口を開いたのはガルドだった。


「朝っぱらから、こんなもん見せやがって」


「村がまだ死にきってないってことですね」


 フィアナが小さく言う。


 レオフは青い顔で額の汗を拭っていた。


「……だから言ってるだろ。ここで話すべきじゃない」


「分かったのは、てめえらが知ってて黙ってたことくらいだ」


 ガルドは吐き捨てるように言う。


「その怒りはもっともだ」


 レオフはそれを受け止めた。


「だからこそ、話す。だがここじゃない」


 アシュは剣についた灰を払って鞘に収める。


 その動きだけで、肩から背中にかけて鈍い痛みが走った。息を吐き、無理やり飲み込む。


「……礼拝堂まで案内しろ」


 レオフは頷いた。


「助かる」


「勘違いすんな」


 アシュは冷たく返す。


「お前を信じたわけじゃない」


「それで構わない」


 ガルドが村の奥を振り返る。


 埋めた場所。崩れた家々。中心の穴。そこに残っているものは何ひとつ片づいていない。それでも、今ここに居続けるのは違うと、もう全員が分かっていた。


「……行くぞ」


 その一言で、ようやく足が動く。


 灰祈りの村には朝が来ていた。


 だがそこに残っていたのは始まりではなく、まだ終わっていないものの気配だけだった。

第19話でした。


第3章開幕ということで、

灰祈りの村での戦いを越えた直後の朝から始まりました。


一度は抑え込んだはずのものも、

村そのものに残った異常も、まだ終わってはいません。


そしてここからは、

怪異そのものだけではなく、

それを知りながら隠してきた“人間側”の話も動き始めます。


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