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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第2章 灰祈りの残火

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第18話 祈る異形

埋めたものは、

消えたことにはならない。

 灰の影が、一斉に動いた。


 最初に呑まれたのは、ヴァルトの後ろにいた部下の一人だった。


「う、あ――っ!」


 悲鳴と同時に、灰色の腕が首と肩へ絡みつく。

 人影のようでいて、人ではない。

 焼け焦げた布とも骨ともつかないものが、男の身体に食い込んだ。


 次の瞬間、男は地に引き倒される。


 助けを求める声は一息で途切れた。


 灰が舞う。


 残ったのは、形を潰された肉と、急速に色を失っていく顔だけだった。


 フィアナが息を呑む。


 ガルドが低く吐き捨てた。


「……クソが」


 だが、それで終わりじゃなかった。


 祈り場の前に滲み出た灰の影たちは、迷いなく次の獲物へ向かう。

 ヴァルトの部下たちがようやく剣を抜くが、遅い。


 一人が斬る。

 崩れる。

 だが、その灰の向こうから別の影が腕を伸ばす。


 肩口を裂く。

 喉を掴む。

 引きずり倒す。


「ヴァルト様!」


 叫びが上がる。


 ヴァルトは振り返った。

 だが、助けには入らない。


 ただ、その光景を一瞬だけ見て、静かに目を細めただけだった。


「……遅かったね」


 あまりにも軽い声音だった。


 部下の一人が、這うように手を伸ばす。


「た、助け――」


 その言葉の途中で、灰の影が顔へ覆いかぶさった。


 鈍い音が鳴る。


 叫びは、そこで途切れた。


 アシュの目が険しくなる。


「おい」


 ヴァルトはその声にだけ反応し、ほんの少し口元を歪めた。


「何」


「お前の部下だろ」


「だったら?」


 その返しに、ガルドが本気で顔をしかめる。


「クソ野郎が」


「ひどいなあ」


 ヴァルトは軽く肩を竦める。


「でも、ここで全員抱えて死ぬ方が馬鹿じゃない?」


 その間にも、残っていた部下たちは次々と倒されていく。


 一人は逃げようとして足を取られ、地に沈む灰に半身を呑まれた。

 一人は背後から伸びた細い腕に首を捻られ、崩れ落ちる。

 最後の一人はヴァルトの方へ駆けたが、その手が届くより早く、灰の影が背から胸を突き抜いた。


 血が散る。


 男はそのまま膝をつき、前のめりに倒れた。


 沈黙が落ちる。


 部下は、もう誰も立っていなかった。


 ヴァルトはその惨状を見下ろし、それから興味を失ったみたいに視線を外した。


「今日はここまでかな」


 あっさりと言う。


 アシュの眉が動く。


「逃げるのか」


「言い方が悪いな」


 ヴァルトは灰の影と祈り場の奥を見比べた。


「今回は譲るだけだよ。こんなのに巻き込まれて死ぬほど安くない」


 その目が、アシュへ向く。


「今日は顔見せだ。次は確実に殺す」


 それだけ言って、ヴァルトは踵を返す。


 背を向けるのに、躊躇いがなかった。


 部下の死体も、祈り場の異常も、全部その場に捨てるみたいに。


「待て!」


 アシュが低く吠える。

 だがヴァルトは振り向かない。


「まだ折れてないのは、よく分かった」


 冷えた声だけを残し、崩れた家々の向こうへ消えていく。


 灰の影は追わなかった。


 最初から興味がないみたいに。


 狙いは、もっと奥にあった。


 アシュたちだ。


「クソが……!」


 吐き捨てた瞬間、祈り場の奥で地面が鳴った。


 ぎし、と。


 埋められていた何かが、ようやく呼吸を思い出したような音だった。


 フィアナの首元の加護が、強く明滅する。


「来ます……!」


 その声は震えていた。


「さっきまでのとは、違います。もっと下です……もっと深いところから……」


 祈り場の前に沈んでいた黒い灰が、持ち上がる。


 ふわり、ではない。

 引きずり上げられるように、重たく。


 灰が渦を巻く。

 その中心で、白灰色のものがゆっくり形を取っていく。


 最初は骨に見えた。


 次に、焼け残った柱かと思った。


 だが違う。


 それは人の形を真似ようとして、途中でやめた何かだった。


 細長い腕。

 捻れた胴。

 立ち上がりきれない下半身。

 頭部には、顔と呼べるものがない。


 ただ、角度によって、泣き顔のような歪みが浮かんでは崩れる。


 背から伸びた細い突起が半ば後光みたいに広がっている。

 だが近くで見れば、それは指にも、折れた腕にも見えた。


 胸のあたりに、大きく裂けた空洞があった。


 その奥で、淡い光が脈打っている。


 心臓のようで、心臓ではない。

 生き物の核というより、積み上がった執着が無理やり火を持ったみたいな光だった。


 ガルドの顔色が変わる。


「……っ」


 言葉にはならなかった。

 ただ、知ってしまったものを見る顔だった。


 それが、ゆっくりとこちらを向く。


『――みて』

『――まだ』

『――おいていかないで』


 声が重なった。


 耳で聞く音じゃない。

 頭の奥を直接撫でるような、気色の悪い響きだった。


 フィアナが胸元を押さえる。


「ひとつじゃありません……!」


 顔が青い。

 それでも目は逸らしていない。


「声が、いくつも……でも、奥に、もっと深いひとつがあります」


 アシュの眉が寄る。


「深いひとつ?」


「今ここに出てきてるのは、全部じゃありません」


 フィアナは息を乱しながらも、裂けた胸の奥を見つめていた。


「これは外に出てきてるだけです。もっと下に、まだ残っています」


 その言葉で、アシュは理解した。


 ここで倒すべき相手はいる。

 だが、それで全部は終わらない。


 それでも、今はそれで十分だった。


 目の前のこれを斬る。


 まずは、それだけだ。


 それが腕を持ち上げる。


 その動きに合わせて、周囲の灰が一斉に舞った。


 次の瞬間、細い灰の腕が何本も地面から這い出し、アシュたちへ伸びる。


「散れ!」


 アシュが踏み込む。


 一閃。

 二閃。

 灰の腕を断ち切る。


 だが切った先からまた灰が湧く。


 ガルドの矢が飛ぶ。

 裂け目の奥を狙うが、それはわずかに身を捩ってそれを外した。


「面倒な……!」


「アシュさん、右です!」


 フィアナの声。


 右から伸びた腕を、ルゥが飛びついて噛み千切る。

 灰が舞う。

 ルゥはすぐに身を翻し、フィアナの前に戻った。


 それの顔のない頭部が、ゆっくりフィアナへ向く。


『――えらんで』

『――まだ』

『――わたしを』


 フィアナの顔が強張る。


 足が一歩、前へ出かけた。


 アシュは即座に彼女の腕を掴む。


「見るな!」


 その一喝で、フィアナがはっと息を呑む。


「す、すみません……!」


「意識を逸らすな」


 見ているだけで引き込まれる。


 ガルドの言っていた意味がようやく骨身に染みた。


 手が止まりかけた、その瞬間。


「アシュ!」


 ガルドの怒鳴り声と同時に矢が飛ぶ。

 アシュは我に返り、寸前で伸びてきた灰の腕を斬り払った。


「……悪い」


「礼は後だ!」


 ガルドが短く吐き捨てる。


 それは一歩、いや、這うように前へ出た。


 その度に、地面の灰が持ち上がる。

 まるで周囲の焼け跡すべてが、こいつの一部みたいだった。


 アシュは剣を構え直す。


 斬っても浅い。

 崩しても集まる。

 長引けば負ける。


「フィアナ!」


「はい!」


「核はどこだ!」


 問いに、フィアナは裂けた胸の奥を見つめた。

 だがすぐ首を振る。


「そこだけじゃありません……でも、今ここに出ているものを保ってる核なら――」


 彼女の指が、震えながら裂け目の奥を示す。


「あそこです。いちばん暗いところ。光の奥に、もうひとつあります」


 アシュは目を細めた。


 淡い光のさらに奥。

 黒く沈んだ一点。


 たしかにあった。


 それがそれを庇うように、胸を閉じるような動きをする。


 当たりだ。


「ガルド!」


「分かってる!」


 ガルドが連続で矢を放つ。


 一射目。

 二射目。

 三射目。


 どれも急所には届かない。

 だが避けるために上体がぶれる。


 ルゥが左から飛びつき、細い腕へ食らいついた。

 意識がそちらへ逸れる。


 今しかない。


「……っ」


 アシュは剣を握る手に力を込めた。


 灰刻。


 体の奥が焼ける。

 皮膚の下を、火の粉みたいな痛みが走る。

 古傷の周囲がひび割れそうに軋む。


 剣の輪郭が、わずかに黒く滲む。


 フィアナが顔色を変えた。


「アシュさん、無理です!」


「無理でもやる」


 吐き捨てる。


「ここで押し返す」


 それがこちらを向く。


 無数の泣き顔に見える歪みが、いっせいに開いた気がした。


『――いやだ』

『――まだ』

『――まだ、おわってない』


 知ってる。


 そんなことは分かっている。


 それでも、今ここに出てきたものを斬る。


 アシュは地を蹴った。


 一歩で間合いを潰す。


 腕が振り下ろされる。

 灰の奔流が横薙ぎに迫る。


 避けない。


 半身を捻り、最低限だけ外す。

 肩を掠める。

 熱と痛みが走る。

 構わず、そのまま踏み込む。


 裂け目が目の前にあった。


 淡い光。

 その奥の、黒い一点。


 そこへ、灰刻を乗せた剣を叩き込む。


「――斬る!」


 金属とも肉とも違う、嫌な手応えだった。


 硬い。

 深い。

 だが、届いた。


 裂け目の奥で、何かが砕ける。


 次の瞬間、それが初めて大きく揺れた。


『――あ』


 それは悲鳴だったのか、安堵だったのか、分からない。


 重なっていた声が一瞬だけほどける。


 子どもの声。

 女の声。

 掠れた老人の声。

 誰のものでもない祈り。


 全部がいっぺんに崩れた。


 胸の光が割れる。

 裂け目の奥の暗い核が、ぱき、と乾いた音を立てて砕けた。


 白灰色の身体が、その場で膝を折る。


 背の突起が崩れる。

 顔のない頭部が傾ぐ。

 全身が灰となって、音もなく落ちていく。


 風が吹いた。


 今度は輪郭そのものが散る。


 残ったのは、祈り場の前に広がる大量の灰と、まだ地の底から消えきらない気配だけだった。


 アシュの膝が折れる。


「っ……!」


 剣を地に突き立て、どうにか倒れるのを堪えた。


 全身が軋む。

 呼吸がうまく入らない。

 灰刻の反動が、一気に押し寄せてくる。


 右腕に力が入らない。

 脇腹も熱を持って痛む。

 踏ん張った脚が小さく震えた。


「アシュさん!」


 フィアナが駆け寄る。

 だが彼女自身も足元が揺れていた。


 加護の明滅が強すぎる。

 顔は青く、声も掠れている。

 さっきまで立っていたことの方が不思議なくらいだった。


 それでも彼女は倒れず、アシュの肩を支えた。


 ガルドも警戒を解かないまま一歩出る。

 左肩から血が流れ、頬にも浅い裂傷が走っていた。

 矢筒の中身も、もう半分以下だった。


「立てるか」


「……問題ない」


 嘘だった。

 だが倒れるわけにはいかなかった。


 フィアナが祈り場の奥を見たまま、震える声で言う。


「まだです」


 アシュが目を向ける。


「何がだ」


「今壊したのは、ここに出てきていたものだけです」


 首元の加護はまだ光っている。

 むしろさっきより、深く。


「下に、残っています。もっと深いところで……まだ、終わっていません」


 ガルドが低く舌打ちした。


「やっぱりか」


 アシュは息を吐き、祈り場の前の灰を見る。


 倒した。

 たしかに、この場の怪物は倒した。


 だが、本当に沈めるべきものはまだ底にある。


「……クソ」


 アシュは腰の小瓶を一本抜いた。


 栓を抜き、一気に飲み干す。


 苦い。

 喉が焼ける。

 だが、暴れる痛みがほんの少しだけ遠のく。


 それでも楽にはならない。

 崩れるのを遅らせただけだ。


 瓶がまた一本、空になる。


 フィアナがその手元を見て、何か言いかけた。

 だが結局、黙ったままアシュの肩を支える。


 ガルドは崩れた祈り場と、散った灰と、ヴァルトの部下の死体を見渡して、小さく息を吐く。


「……ひどい有様だな」


「今さらだろ」


 アシュが返す。


 声は掠れていた。

 それでも剣だけは手放さない。


 ルゥが戻ってくる。


 白い毛並みは灰で汚れ、脇腹には新しい裂傷が増えていた。

 呼吸も荒い。

 それでもフィアナの足元へ擦り寄り、それからアシュを見上げた。


「生きてるな」


 アシュが言うと、ルゥは小さく鼻を鳴らした。


 フィアナが静かに祈り場の奥を見つめる。


「さっきより、遠くなりました」


「本体か」


「はい。でも、消えてはいません」


 その声は、少しだけ悲しかった。


「まだ、待っています」


 アシュは目を閉じない。


 待っているなら、行くしかない。


 あの底まで。


 灰祈りの村はまだ終わっていない。

 自分の過去も。

 フィアナの加護も。

 ルゥがここにいる理由も。

 全部が、まだ途中だ。


 ガルドが低く言う。


「動くな」


 アシュが目を向ける。


「は?」


「その脚で歩ける顔じゃねえ」


「お前も人のこと言えねえだろ」


「言ってる場合かよ」


 吐き捨てる声にも、いつもの勢いがなかった。

 ガルド自身、肩で息をしている。


 弓を持ったまま立ってはいるが、今また何か来れば、さっきみたいには動けない。

 アシュも。

 フィアナも。

 ルゥも同じだった。


 このまま村を出る方が危ない。


 そう分かるくらいには、全員ボロボロだった。


 風が吹く。


 夜気は冷えていた。

 いつの間にか、空の色も黒に沈みきっている。


 祈り場の前に散った灰だけが、白く浮いて見えた。


「……今日はここで朝まで粘る」


 ガルドが言った。


「見張りは交代だ。動けるうちはな」


「動けるやつがいるのかよ」


 アシュが返すと、ガルドは鼻を鳴らした。


「お前以外はまだ喋れてる」


「喋る元気と動く元気は別だ」


 短いやり取りのあと、誰も続けなかった。


 反論する余力がなかったのもある。

 だが、それ以上に今は、この場を離れられないと全員が分かっていた。


 下からまだ何かが息をしている。


 それを背にして夜の森へ入るのは、自殺に近い。


 フィアナがアシュの肩からそっと手を離す。

 その手も震えていた。


「……座ってください」


「倒れてねえ」


「倒れる前に言っています」


 丁寧な声なのに、妙に押しが強い。


 アシュは舌打ちしそうになり、結局しなかった。


 近くの瓦礫に腰を下ろす。

 そのだけで、脚の力が抜けかけた。


 フィアナも少し離れた石に座り込む。

 ルゥはその足元に伏せた。

 ガルドは矢を数え、最後にひとつ深く息を吐いてから、祈り場と村の外れの両方が見える位置に立つ。


 誰も、勝ったとは思っていなかった。


 ただ一度だけ、押し返した。


 それだけだ。


 夜は長かった。


 穴の底は静かで、静かすぎた。

 収まった後の静けさじゃない。

 もっと深いところで、まだ何かが息を潜めている沈黙だった。


 アシュは薄く目を開けたまま、暗い祈り場を見つめる。


 次は、もっと深いところまで行く。


 その決意だけを手放さないまま、夜の冷えと痛みの中で、朝を待った。

第18話でした。


第2章「灰祈りの残火」、ここで一区切りです。


完全に終わったわけではない。

ただ、一度だけ止めた。


これは解決ではありません。

底にはまだ、本物が残っている。

だからこそ、この勝利も少し歪で、静けさも安心には変わらないままです。


その違和感が、ここから先に繋がっていきます。


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第3章もよろしくお願いします。

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