第17話 歪んだ旧知
過去は、
忘れた頃に追ってくるわけじゃない。
だいたい、忘れたい時に来る。
村の外れの方角から、また金属の音が鳴った。
乾いた、硬い音だった。
石を蹴ったのか、刃が何かに触れたのか。
どちらにせよ、人間の立てる音だ。
アシュは剣を構えたまま、フィアナを背に庇う位置へ半歩ずれた。
ルゥもすぐに反応し、低く唸りながらフィアナの前へ出る。
ガルドが舌打ちする。
「最悪のタイミングだな」
「静かにしろ」
アシュが低く言った直後、崩れた家の向こうに人影が見えた。
一人。
続いて二人。
さらにその後ろに、まだ何人か。
先頭を歩いてきた男を見た瞬間、アシュの目が細くなる。
黒に近い上着。
無駄のない足取り。
口元だけが、うっすら笑っている。
「……よう」
男が言った。
軽い調子だった。
だが、その場の空気を一段冷やすには十分な声だった。
「こんなところで会うとか、趣味悪いね」
ヴァルト・グレイン。
その名前を口にしなくても分かる。
昔と変わらない顔だった。
いや、正確には違う。
前よりも、感情の隠し方だけが上手くなっている。
アシュは剣を下ろさない。
「帰れ」
「再会の一言目がそれ?」
ヴァルトが肩を竦める。
「ちょっと傷つくなあ」
「傷つくような面してねえだろ」
「まあね」
笑ったまま返す。
だが目だけは笑っていなかった。
ヴァルトの視線が、アシュの肩越しにフィアナへ滑る。
白銀の髪。
加護の光。
ルゥの警戒。
その全部を一目で値踏みし、それからまたアシュへ戻した。
「へえ。本当に抱えてるんだ」
「関係ねえ」
「あるよ。すごくある」
ヴァルトは軽い口調のまま、崩れた祈り場の方へ一瞥を向けた。
「しかも灰祈りの真ん中で、ね。逃げたくせに、戻る場所はそこなんだ」
アシュの眉がわずかに寄る。
「用があるならさっさと言え」
「用は単純」
ヴァルトが一歩、前へ出た。
「お前を殺す」
その一言だけ、妙に真っ直ぐだった。
フィアナが小さく息を呑む。
ガルドは弓を握る手に力を込めたまま、ヴァルトの後ろにいる連中を睨んでいる。
ヴァルトはようやくそちらにも目を向けた。
「……へえ」
口元の笑みが、少しだけ薄くなる。
「灰祈りの生き残りが、そっちにつくんだ」
ガルドの目が鋭くなる。
「ついた覚えはねえよ」
「でも並んでる」
「お前らよりはマシだってだけだ」
その返しに、ヴァルトはほんの少しだけ目を細めた。
「へえ。そこまで言うんだ」
「言うさ」
ガルドは吐き捨てるように言う。
「少なくとも、お前みたいな目したやつにつく気はねえ」
ヴァルトは一瞬だけ黙った。
怒ったようには見えない。
むしろ、少しだけ面白がったように見えた。
「なるほど。胸糞悪いくらい筋が通ってる」
それから背後の部下たちへ、振り返りもせずに言う。
「手は出すな」
後ろで小さくざわめきが起こる。
「ですが――」
「出すなって言ったんだけど」
声は柔らかいままだった。
それでも、その一言でざわめきは止まる。
ヴァルトは視線をアシュへ戻す。
「邪魔が多いとつまらないだろ」
「遊びに来たなら失せろ」
「まさか」
その返しと同時に、ヴァルトの姿が消えた。
アシュは反射で前へ出る。
次の瞬間、鋭い金属音が祈り場の前に弾けた。
ヴァルトの剣が、斜め上からアシュの首筋を狙って落ちてくる。
受ける。
重い。
見た目よりずっと重い一撃だった。
「っ……」
「受けるんだ」
目の前で、ヴァルトが笑う。
「昔はもっと避けてたのに」
「黙れ」
押し返し、間合いを切る。
だがヴァルトは一歩も退かない。
逆に滑り込むように踏み込み、二撃、三撃と刃を重ねてくる。
速い。
荒さがない。
昔より洗練されている。
そして何より、アシュの癖を知っている動きだった。
左からの切り返しを読まれた。
腕を狙った突きも、半歩で外される。
「……気に入らねえな」
「奇遇」
ヴァルトの剣が低く閃く。
アシュは捌くが、外套の裾が浅く裂けた。
「俺もだよ。まだその剣を持ってるのが」
その言葉に、アシュの目がさらに冷える。
「奪いに来たのか」
「違う」
ヴァルトは笑みを消さない。
「へし折りに来た」
次の一撃が深く入る。
アシュは後ろへ流し、体勢を立て直す。
そこへ横から矢が飛んだ。
ガルドだ。
ヴァルトは首をわずかに傾けるだけでそれを避ける。
避けた直後、ようやくガルドを正面から見た。
「……本当に撃つんだ」
「当たり前だろ」
「そうだね」
ヴァルトの声が少しだけ冷える。
「死に損ない同士、気が合うのかな」
ガルドが二本目を番えた。
同時に、アシュが間合いを詰める。
今度はアシュが先に打ち込んだ。
上段からではない。
胴を狙う見せかけで、足を止めさせる剣だ。
ヴァルトはそれを受けながら笑う。
「そう、それだよ」
「何がだ」
「そういうとこ。嫌いなんだよね」
火花が散る。
押し合う距離で、ヴァルトの目が細まる。
「お前はいつも、正しそうな顔で汚いことをする」
その一言に、アシュの動きがほんのわずかに硬くなった。
そこを狙うように、ヴァルトの膝が入る。
アシュは半身で受け、強引に距離を切った。
フィアナが息を呑む音がする。
「アシュさん!」
「出るな!」
短く叫ぶ。
それでフィアナは止まった。
だが加護の光は強く脈打っている。
祈り場の奥の気配も、それに呼応するみたいに少しずつ濃くなっていた。
ヴァルトの目が、そこへ向く。
「……やっぱりそうか」
「何の話だ」
「別に」
軽く返しながら、今度はあからさまにフィアナの方へ体を向けた。
アシュの背筋が冷える。
「やめとけ」
「嫌だね」
言うが早いか、ヴァルトが踏み込む。
一直線にアシュを抜く軌道だった。
アシュも即座に動く。
間に割り込む。
だが、ヴァルトの狙いは最初からそこだったらしい。
フィアナではなく、庇いに入ったアシュの肩口へ刃が返る。
浅い。
それでも、布と皮膚を裂くには十分だった。
血が滲む。
フィアナの顔色が変わる。
「……っ」
「大した傷じゃねえ!」
アシュは一喝し、そのままヴァルトの懐へ入り込む。
近い距離ならこちらもやりやすい。
だがヴァルトは引かない。
むしろ口元を歪める。
「そういう顔だよ」
「何だと」
「守るもん作った顔」
その言葉が、妙に腹の底へ沈んだ。
アシュが剣を振り抜く。
ヴァルトは後退しながら受け流し、地を滑るように距離を取る。
「似合わないな」
「お前に言われる筋合いはねえ」
「あるよ」
今度は、はっきり冷たい声だった。
「お前がそうなるなら、あの時逃げた意味がもっと分からなくなる」
アシュの呼吸が一瞬だけ止まりかける。
胸の奥を何かが掠めた、その瞬間。
ぎし、と。
祈り場の奥で、またあの音が鳴った。
さっきより近い。
さっきより重い。
全員の動きが、一瞬だけ止まる。
ヴァルトですら、そちらへ目を向けた。
「……は」
小さく息を漏らしたのは誰だったか。
黒く沈んでいた灰が、ふわりと持ち上がる。
風はない。
なのに、祈り場の前の地面だけが生き物みたいに揺れた。
フィアナが喉元を押さえる。
「来ます……」
声が震えていた。
「重なってる声が、近いです」
ルゥが毛を逆立てたまま、一段低い唸り声を漏らす。
ガルドの顔色が目に見えて変わった。
「おい、冗談だろ」
「何がだ」
アシュが問う。
だが返事より先に、祈り場の奥から灰色の影が二つ、三つと滲み出る。
森で見たものより輪郭が濃い。
布とも骨ともつかない何かを引きずりながら、崩れた柱の間を這い出してくる。
見張りだ。
しかも、さっき倒したものより数が多い。
ヴァルトの後ろにいた部下たちが、たまらず身構える。
「ヴァルト様――」
「下がるな」
ヴァルトは短く言った。
その声には、もう先ほどの軽さはほとんどなかった。
視線は祈り場の奥へ固定されている。
「面白いことになってきた」
「笑ってる場合か」
ガルドが吐き捨てる。
「笑ってないよ」
ヴァルトは低く返す。
「ただ、ようやく村が本気になっただけだろ」
灰の影が一体、前へ出る。
アシュは剣を握り直した。
前には異形。
横にはヴァルト。
後ろにはフィアナ。
最悪だった。
だが、ここで立ち止まればもっと悪くなる。
フィアナが小さく息を吸う。
「アシュさん……奥が、まだ……」
その先を言わせるまでもなかった。
祈り場の最奥。
崩れた柱のさらに向こう。
黒く沈んだ灰の底で、もっと大きな何かがゆっくりと持ち上がろうとしている。
まだ姿はない。
だが、気配だけで分かる。
これまでの影とは、比べものにならない。
ヴァルトも気づいたらしい。
わずかに目を細め、それからアシュへ視線を戻す。
「続きは後回しかな」
「勝手に決めるな」
「でも今は、こっちの方が面倒だ」
その言葉と同時に、灰の影が一斉に動いた。
アシュは踏み込みかける。
ヴァルトも剣を返す。
ガルドが矢を引き、フィアナが加護を握り直す。
人と異形と、まだ形になりきっていない何か。
灰祈りの村の中心で、全部が同時に牙を剥こうとしていた。
第17話でした。
ついに、
アシュとヴァルトが正面からぶつかりました。
ここからさらに、
灰祈りの村の中心と、アシュの過去が近づいていきます。
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