第14話 灰の村
静かな場所ほど、
本当に起きた時の音は深い。
焼け跡の奥へ足を踏み入れるたび、空気が少しずつ重くなっていった。
ただ静かなだけじゃない。
音を呑んでいるような静けさだった。
風は吹いている。
草も揺れている。
それでも、村の中に入った途端、森の自然な気配だけがどこか遠のいた。
アシュは先頭ではなく、フィアナの半歩前を歩いていた。
ガルドが地形を知っているなら案内は任せた方がいい。
だが、完全に背中を預ける気にもなれない。
ガルドはそんな視線に気づいているはずだったが、何も言わなかった。
「足元、気をつけろ」
ぶっきらぼうに言いながら、崩れた石畳を跨ぐ。
その先には、壁だけを残して潰れた家があった。
土壁は半分以上崩れ、柱は黒く焦げている。
入口だったらしい場所の脇に、小さな木箱が転がっていた。
蓋は焼けて失われ、中身もない。
それでも、誰かが日々のものをしまっていたのだと分かる形だけが残っていた。
フィアナが小さく息を呑む。
「……生活の跡が、そのままです」
「焼けたあと、ちゃんと片づけるやつがいなかったからな」
ガルドの声は平坦だった。
淡々としているようで、その実、そこに触れたくないのが伝わる声でもあった。
アシュは黙ったまま、別の家跡へ目を向ける。
崩れた棚
割れた皿
倒れた椅子の脚
人が住んでいたと分かるものばかりだった。
喉の奥が、ひりつくように熱を思い出しかける。
アシュは目を逸らさない。
そんなことをしても消えないのは分かっていた。
「……アシュさん」
フィアナの声に、わずかに意識を戻す。
「何だ」
「少しだけ、待ってください」
彼女は足を止め、焼けた家々の奥――村のさらに内側を見ていた。
首元の加護が、薄く脈打つように光っている。
「また何か感じるのか」
「はい。でも、さっきまでとは違います」
「どう違う」
フィアナはすぐには答えなかった。
自分の感覚を探るように目を伏せ、それから慎重に言葉を選ぶ。
「近いのに、遠いんです」
「は?」
「……すみません、変な言い方ですよね」
「いや、分かるように言え」
ぶっきらぼうな言い方に、フィアナは一瞬だけ困ったように眉を下げた。
だがすぐに言い直す。
「今ここに何かがいる、という感じではありません。もっと奥にあるのに、ここまで滲んできている感じです」
ガルドの歩みがわずかに止まった。
アシュはその横顔を見る。
「心当たりがある顔だな」
「……なくはねえ」
「話せ」
「断る」
即答だった。
アシュの眉が動く。
「お前な」
「今ここで半端に話して、足を止める方がまずい」
ガルドは振り返らないまま言う。
「知りたきゃ、もっと奥まで行くしかねえよ」
その返しに、アシュは舌打ちしそうになる。
気に入らない。
だが間違ってもいないのが余計に気に入らなかった。
ルゥが先へ進み、崩れた塀の間をすり抜けた。
白い毛並みが灰にまみれそうになっても、本人は気にしていないらしい。
ときおり足を止めて匂いを嗅ぎ、また進む。
ただ闇雲に動いているわけではなく、何かを選ぶような足取りだった。
「ルゥ、そっちは危ないかもしれません」
フィアナが声をかける。
するとルゥは一度だけ振り返り、すぐまた先へ向いた。
「言うこと聞いてねえな」
ガルドがぼそりと言う。
「でも、当てずっぽうでは動いていません」
フィアナの言葉に、ガルドが少しだけ目を細めた。
「分かるのか」
「なんとなく、です。でも……同じものを追ってる気がします」
アシュはフィアナを見る。
「同じもの?」
「私の加護が反応している先と、ルゥが気にしている先が、たぶん同じです」
その言葉の重さに、誰もすぐには返さなかった。
ただの偶然では済まない。
ルゥがフィアナにだけ懐いていることも、灰祈りに近づくほど反応が強くなることも、どこかで一本につながっている。
そう考えたくなるには十分だった。
進んだ先で、道が少しだけ開けた。
小さな広場だったのだろう。
中央には石の台座があり、その上に載っていたはずのものは砕けて地面に散っている。
祭壇――というほど大きくはない。
村で祈りを捧げるための、小さな場だったのかもしれない。
その周囲には、焼けた木札が何枚も落ちていた。
アシュはしゃがみ込み、一枚を拾い上げる。
すすで黒ずみ、端は欠けていたが、かすかに字が残っていた。
「読めるか」
フィアナが近づく。
だが彼女は首を横に振った。
「途中が焼けています」
「俺に見せろ」
ガルドが手を差し出す。
アシュは少しだけ間を置いたが、結局その札を渡した。
ガルドは受け取るなり、苦いものでも飲み込んだみたいな顔をした。
「……祈り札だ」
「祈り札?」
「……ああ。村の連中が使ってたやつだ」
「病が治るようにとか、冬を越せるようにとか、子どもが無事であるようにとか……そういうのを書いて供える」
フィアナの目が札へ向く。
「願いを書いていたんですね」
「そうだ」
ガルドは短く答え、砕けた台座を見た。
「大きな教会があるような村じゃなかった。だから、こういう場所で祈るしかなかった」
アシュは札の束を見下ろす。
そのいくつかは、焼けたあとも握り潰されたように歪んでいた。
火だけではこうならない。
誰かが最後まで手放さなかったのだと分かる形だった。
フィアナがしゃがみ込み、地に落ちたもう一枚へそっと指を伸ばす。
「触るな」
アシュが即座に言った。
フィアナの手が止まる。
「……すみません」
「謝るな。見るだけにしろ」
アシュはそう言ってから、自分でも少しだけ言い方がきつかったと気づく。
だが今さら訂正はしなかった。
フィアナは小さく頷き、それでも札から目を離さなかった。
「怒っている感じは、しないんです」
ぽつりと、そう言う。
ガルドが眉をひそめた。
「何がだ」
「残っているもの、です」
フィアナは焼けた札と台座を見つめたまま答えた。
「苦しいとか、寂しいとか、そういうのはあります。でも……それだけじゃない気がします」
「じゃあ何だ」
アシュが問う。
フィアナは唇を結び、少しだけ考えてから答えた。
「待ってる、に近いです」
その一言で、広場の空気がさらに重くなった気がした。
待っている。
誰を。
何を。
何のために。
聞き返すべき言葉はいくらでもあった。
だが、アシュはすぐには口を開けなかった。
ガルドの方が先に低く吐く。
「……やめろ」
「ガルドさん?」
「そういう言い方をされると、ロクなことを思い出さねえ」
彼は珍しく、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
アシュはその横顔を見る。
「お前、ここで何を見た」
「見たくねえもんだよ」
「それじゃ答えになってない」
「答えたくねえんだ」
それで会話は切れた。
アシュは深く追わない。
追えば話すような相手でもないし、今はまだその時でもない。
ただ、その拒絶の強さ自体が、灰祈りに普通ではない何かがある証拠だった。
ルゥが急に低く鳴いた。
広場の端。
砕けた石垣の向こうに、細い下り坂が見える。
その先は少し窪んでいて、村の中心部へ続いているらしかった。
ガルドの顔が強張る。
「……そっちか」
「何がある」
「村の中だ」
「今までは違うのか」
「外れだって言っただろ」
ガルドは短く返す。
「ここから先は、焼けた家があるだけじゃねえ。残り方が違う」
その言い方に、フィアナの手が無意識に胸元へ上がった。
加護の光がさっきよりはっきり脈打っている。
「フィアナ」
「大丈夫です」
返事は早かった。
だが顔色は良くない。
「本当に?」
「……大丈夫じゃないです。でも、歩けます」
アシュは一瞬だけ黙り、それ以上は言わなかった。
止めても、たぶん彼女は引かない。
それはもう分かっていた。
代わりに、前へ出る。
「じゃあ行く」
「おい」
ガルドが声を低くする。
「そこから先は、さっきみたいに逃げれば済む話じゃねえ」
「だから進むんだろ」
「簡単に言うな」
「簡単に言ってねえよ」
アシュの声も低い。
「ここまで来て、何も見ずに引けるわけがない」
ガルドは数秒、黙ってアシュを見た。
その目には怒りがある。
嫌悪もある。
それでも、少しだけ別の色が混じっていた。
「……胸糞悪いな」
「何がだ」
「焼いた側のくせに、そういう顔するところがだ」
フィアナが息を呑む。
アシュは表情を動かさなかった。
「だったら、お前はどうして案内してる」
ガルドの目が細くなる。
「放っときゃ、奥で勝手に死ぬかもしれねえのに」
返ってきた言葉に、ガルドはすぐには答えなかった。
代わりに、視線を広場の奥――下り坂の先へ向ける。
「……一回見たかったのかもな」
「何をだ」
「お前が、本当に生きてた顔を」
その一言だけ残して、ガルドは先に歩き出した。
フィアナがアシュを見る。
何か言いかけて、結局言わない。
アシュも何も言わず、その背を追った。
下り坂は思ったより長かった。
焼け跡は途切れず、むしろ奥へ進むほど濃くなっていく。
倒れた柱が道を塞ぎ、黒く焦げた壁が半端に残り、踏みしめる土の下には砕けた生活の名残が埋まっている。
その途中で、フィアナがまた足を止めた。
「……聞こえます」
小さな声だった。
アシュが振り返る。
「声か」
「はっきりじゃありません。でも、今度は……」
彼女の顔が強張る。
「ひとつじゃないです」
ルゥも同じ方向を見ていた。
耳を伏せ、喉の奥で低く鳴っている。
ガルドが舌打ちする。
「早すぎる」
「何がだ」
「こんな外で、そこまで濃くなるはずがねえ」
その時だった。
どこか遠くで、ぎし、と音がした。
木が軋むような。
骨が鳴るような。
地の底から無理やり何かが擦り上がってくるみたいな音。
アシュの手が剣の柄を握る。
だが気配は近くない。
すぐそこに敵がいるわけではない。
それでも、その音だけで分かった。
これはさっきまで森を歩いていた影たちとは違う。
もっと深いところにあるものが、こっちを知った音だ。
フィアナがかすかに震える声で言う。
「これ……さっきの人影じゃありません」
ガルドが低く返す。
「当たり前だ」
「知ってるのか」
アシュの問いに、ガルドは短く息を吐いた。
「名前は知らん。だが、村の奥でたまに鳴る」
「鳴る?」
「見たやつは少ねえ。見て戻ってきたやつはもっと少ねえ」
アシュの目が細くなる。
「お前は戻ってきた側か」
「……ああ」
その返事だけは、やけに静かだった。
風が吹く。
焦げた木と湿った土の匂いに混じって、古い灰の匂いが濃く流れてきた。
アシュは前を見る。
下り坂の先、崩れた建物の隙間から、村のさらに奥がわずかに見えていた。
そこには広い空間があるらしい。
かつて人が集まっていた場所。
今は、別の何かが残っている場所。
フィアナが小さく呟く。
「……待ってます」
「何がだ」
アシュが問う。
フィアナはすぐには答えなかった。
ただ、加護の光を喉元に揺らしながら、じっと奥を見ている。
「分かりません。でも……」
その声は、怯えているのに、なぜか目だけは逸れていなかった。
「置いていかれたままのものが、ずっとそこにいる感じがします」
アシュは息を吐く。
嫌な言い方だった。
だが、妙にしっくりきてしまうのがもっと嫌だった。
そして次の瞬間、ルゥが低く唸りながら駆け出した。
「ルゥ!」
フィアナが呼ぶ。
白い獣は止まらない。
下り坂を一気に駆け降り、その先の崩れた建物の間へ飛び込んでいく。
「っ、待て!」
アシュが舌打ち混じりに追う。
ガルドも悪態を吐きながら後ろにつき、フィアナも息を整える間もなく走り出した。
坂を下りきった先には、村の中心だったらしい空間が広がっていた。
広場だ。
家々の残骸が輪のように広がり、その奥に、半ば崩れた大きな祈り場が見える。
柱は折れ、壁も落ちている。
それでも他の建物より造りが大きく、ここが村の中心だったのだと分かった。
ルゥはその手前で止まっていた。
毛を逆立て、低く唸りながら、まっすぐ前を睨んでいる。
アシュも足を止める。
祈り場の前の地面が、妙に黒かった。
焼け跡の黒さじゃない。
灰が、そこだけ濃く沈んでいる。
風もないのに、その灰がゆっくり揺れていた。
ガルドの顔色が変わる。
「……おい」
「何だ」
「刺激するな」
「遅えよ」
アシュが低く返した、その時だった。
ぎし、と。
今度はさっきよりずっと近くで、あの音が鳴った。
祈り場の奥。
崩れた柱の影。
灰の沈んだ地面の向こう。
見えていなかったはずの場所で、何かがわずかに持ち上がった気がした。
フィアナが息を止める。
「……あれ」
声が震えていた。
「フィアナ?」
「ひとつじゃ、ありません」
加護の光が強く脈打つ。
「声が……重なって……」
アシュの背筋を冷たいものが這い上がる。
まだ形は見えない。
だが、いる。
村の奥のさらに奥。
あの祈り場の崩れた先に、さっきまでの影たちとは比べものにならない何かがいる。
そしてそれは、もうこちらに気づいていた。
灰が、ふわりと舞い上がる。
ルゥが一段低く唸る。
ガルドが弓を握り直す。
フィアナは青ざめた顔のまま、それでも目を逸らさない。
アシュは剣の柄を強く握った。
ここで止まるわけにはいかない。
もう、見てしまった。
灰祈りの村の中心には、まだ終わっていないものが残っていた。
第14話でした。
今回は、灰祈りの村の中で初めて
「ただの焼け跡ではなく、最初から何かを抱えた場所だったのではないか」
という輪郭が見え始める回になりました。
そしてガルドも、被害者側の視点だけではなく、
この村の内側にいた人間として知っていることを少しずつ出し始めています。
ここから先は、村の中心へ向かうほど、
“焼けたあとに残ったもの”ではなく、“最初からそこにあったもの”へ寄っていく流れになります。
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