第13話 止まった時間
焼けた場所には、
焼ける前の気配が一番残る。
斜面を駆け下りながら、アシュは背後の気配を数えていた。
ひとつ、ふたつ、みっつ――それ以上。
足音は重くない。
むしろ妙に軽い。
だが、そのぶん不気味だった。
生き物なら地面の踏み方に迷いがある。
獣なら匂いを追う揺れがある。
だが後ろから来るものには、それがない。
ただ、真っ直ぐ寄ってくる。
「右だ!」
先を走るガルドが低く叫ぶ。
アシュは即座にフィアナの肩を押し、進路を変えた。
ルゥも地を蹴って横へ飛ぶ。
直後、すぐ脇の木が鈍い音を立てて裂けた。
振り返らなくても分かる。
あの灰を吐く影だ。
「数が増えてます!」
フィアナが息を切らしながら言う。
「見れば分かる」
「だったら足を止めるな!」
前のガルドが苛立ったように返した。
その声に、アシュの眉がわずかに動く。
「偉そうに言うな」
「置いてくぞ」
「やってみろ」
「二人とも、今ですか!?」
フィアナの声が割り込んだ。
緊迫しているはずなのに、妙に間の悪いやり取りだった。
だが、その一瞬だけ呼吸が繋がる。
ガルドが前方を指さした。
「石垣がある。そこを抜ける!」
木々の切れ目の先に、崩れた石積みが見えた。
昔の境界線か、畑の仕切りか。
半ば埋もれ、崩れていても、人の手が入っていた名残だけは残っている。
ガルドはその隙間へ滑り込むように飛び込み、振り返りざまに矢を放った。
風を裂く音。
背後で何かが崩れる気配がしたが、確認はしない。
足を止める方がまずい。
「こっちだ、早く!」
石垣の内側へ入った瞬間、アシュはフィアナを先に通し、自分が最後尾に回る。
次の影が石垣を越えようとしたところで、剣を一閃した。
刃は浅く食い込み、灰が舞う。
血は出ない。
手応えも妙だった。
斬ったというより、積もったものを崩した感触に近い。
「……気色の悪い」
吐き捨てながら、アシュは蹴りで相手を石垣の外へ落とす。
そこへガルドの二射目が飛び、影の頭部を貫いた。
「止めるだけでいい! 抜けるぞ!」
「最初からそう言ってるだろ」
「なら黙って走れ!」
言い合いながらも、二人とも足は止めない。
石垣の間を抜けた先で、ルゥが急に速度を上げた。
「ルゥ!」
フィアナが呼ぶ。
だが白い獣は振り返らず、そのまま細い獣道のような隙間を駆け抜けていく。
「待て!」
アシュが追う。
ガルドが舌打ちしながら後につき、フィアナも息を整え直して走った。
数歩先で、森が不自然に途切れた。
開けた場所だった。
いや、正確には――開けてしまっている場所、だった。
地面には雑草が伸びている。
それでもところどころに石畳の名残が見えた。
崩れた柵。
焼け焦げた木片。
半ば埋もれた井戸の縁。
風雨に削られた壁の土台。
村の外れだ。
そうとしか思えない形が、まだ残っていた。
フィアナが足を止める。
「……ここ」
ルゥは開けた場所の中央で立ち止まり、低く唸っていた。
視線の先には、黒く焼けた柱の残骸がある。
家だったものだろう。
屋根は落ち、壁も崩れ、柱の一部だけが墓標みたいに立っている。
その根元に、白っぽいものが見えた。
布切れかと思った。
違う。
小さな衣だった。
焼け残った、子ども用の衣。
フィアナの呼吸が止まる。
アシュは何も言えなかった。
ただ焼け跡があるんじゃない。
ここには確かに人がいた。
暮らしていた。
生きていた。
その痕跡だけが、時間に取り残されたみたいに残っている。
背後で、かすかに灰を踏む音がした。
さっきまで追ってきていた影たちだろう。
だが、この場所へ入った途端、その気配が少し遠のいた。
警戒しているのか。
それとも、ここそのものを避けているのか。
アシュの目が細くなる。
「……何だ、ここは」
問う声は、思ったより低くなった。
ガルドは焼けた柱を見たまま答える。
「灰祈りの外れだ」
「外れ、か」
「村の端だ。人が住んでた場所の、ぎりぎりな」
その言い方が妙に生々しかった。
地図の話じゃない。
暮らしの輪の端。
村として息をしていた場所の境目。
アシュは焼け跡を見渡す。
視界に入るもの全部が、遅れて胸に刺さってくる。
井戸。柵。石畳。柱。
人が使っていたものだ。
人がいた証拠だ。
ガルドが低く言う。
「ここから先は、もっと残ってる」
「何がだ」
アシュが問うと、ガルドはしばらく黙った。
答えを選んでいるわけじゃない。
うまく言葉にできない顔だった。
「焼け跡も、痕も、残り方もだ」
やがてそう言って、視線を伏せる。
「今すぐ全部聞いても、お前は信じねえよ」
「だったら信じる形で話せ」
「無理だ」
即答だった。
「俺だって、いまだに全部飲み込めてねえ」
その声は低く、重かった。
アシュは何も返さない。
返せるものがなかった。
フィアナは焼け残った衣から目を離せないまま、小さく呟く。
「……まだ、ここに残ってる」
アシュが見ると、彼女の首元の加護が薄く震えるように光っていた。
「何がだ」
「分かりません。でも……」
フィアナの目が、村の奥へ向く。
見えない何かを追うみたいに。
「声、までは聞こえません。でも、消えていない感じがします」
ガルドが嫌そうに顔をしかめた。
「やっぱりか」
「何だ」
アシュが鋭く問う。
ガルドはフィアナから視線を外さないまま言う。
「その嬢ちゃん、拾われる側だ」
「……意味が分からねえな」
「今は俺も、上手く説明できねえ」
吐き捨てるような声だった。
だが誤魔化している感じではない。
「ただ、灰祈りに近づくやつはいる。見つけられるやつもいる。だが――」
そこで言葉を切る。
「呼ばれるやつは、もっとまずい」
フィアナの肩が小さく震えた。
アシュは即座にそちらを見る。
「気にするな」
短く言う。
だがその言葉に、どれだけ意味があるかは自分でも分かっていた。
呼ばれた。
その響きは、フィアナだけじゃなく、アシュの胸の奥にも沈んだ。
灰祈りの村へ来たのは、自分の意思だ。
それでも、ここへ近づくほど妙な感覚が強くなる。
ただ追われて辿り着いただけではない何かが、じわじわと皮膚の下に滲んでくる。
ルゥが柱の根元に鼻を寄せ、低く唸った。
次いでふっと顔を上げ、村の奥へ向く。
白い毛が逆立っている。
アシュが剣の柄に手をかけた、その時だった。
村の奥から、ぎし、と音がした。
木が軋むような。
骨が鳴るような。
今まで追ってきていた影たちとは少し違う、重い音。
アシュの目が細くなる。
「まだ来るのか」
「来る」
ガルドは短く答えた。
「しかも、次はさっきまでのより面倒だ」
「どれくらい面倒だ」
「逃げながら捌ける相手じゃねえ」
その一言で、空気が変わる。
フィアナが円盤を握る手に力を込める。
ルゥは低く喉を鳴らし、アシュの少し前へ出た。
ガルドも弓を持ち直し、焼け跡の奥を睨む。
風が吹いた。
灰の匂いが、さっきまでより濃くなる。
村の奥の暗がりで、何かが動いた気がした。
だが、まだ姿は見えない。
ただ分かるのは、ここから先にあるものは、さっきまで森を歩いていた影たちとは別種の厄介さを持っているということだけだった。
アシュは息を吐く。
来るべき場所じゃなかった、とは思わない。
もう遅い。
ここまで来た以上、目を逸らせるものでもない。
「……ガルド」
「何だ」
「案内しろ」
短く言うと、ガルドが一瞬だけアシュを見た。
その目には敵意がまだ残っている。
だが、それだけでもなかった。
「奥まで入れば、戻れなくなるぞ」
「今さらだ」
アシュは答える。
背後では、森の方からまだ灰を踏む音がしていた。
前には、焼け跡の奥に潜むもっと面倒な何かがいる。
挟まれている。
それでも、進むしかなかった。
フィアナが小さく息を整える。
ルゥが耳を伏せたまま前を向く。
ガルドは舌打ちし、それでも踵を返した。
「……死ぬなよ」
「お前もな」
「縁起でもないこと言わないでください」
そんな短いやり取りのあと、三人と一匹は焼け跡の奥へ足を踏み入れた。
灰祈りの村は、まだ終わっていなかった。
第13話でした。
今回は、灰祈りの外れへ踏み込み、
“ただ村が焼けた”では済まない重さが見え始める回でした。
そしてガルドの登場によって、
焼いた側と焼かれた側が同じ場所へ立つ形にも入っています。
ここから先は、過去の傷を見ながら進む話になります。
同時に、森に残っている異常もさらに濃くなっていきます。
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