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灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第2章 灰祈りの残火

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第12話 焼かれた側の男

焼いた側が忘れたものを、

焼かれた側は忘れない。

森を抜ける足は、自然と速くなっていた。


 だが走れば音が出る。

 音が出れば見つかる。


 アシュは呼吸を抑え、最短で、だが慎重に進路を取っていた。


 背後に、あの灰を吐く影たちの気配はもうない。


 それでも安心はできなかった。

 見失っただけかもしれないし、別の何かが先回りしている可能性もある。


 フィアナは無言でついてきている。


 顔色は良くなかった。

 首元の加護の光も今は沈んでいるが、完全に落ち着いたわけではないのが分かる。


 ルゥは二人の間を行き来しながら、ひどく落ち着きなく鼻を鳴らしていた。


「……少しだけ止まる」


 アシュが言うと、フィアナはすぐに頷いた。


 ちょうど斜面の途中に、倒木と岩が重なって死角になっている場所があった。

 見張るには悪くない。


 アシュは先に周囲を確認し、それからフィアナを座らせた。


「大丈夫か」


「平気です」


「平気な顔じゃないな」


「それは……」


 フィアナは言葉を探すように目を伏せた。


「さっきのもの、まだ頭の中に残ってて」


 アシュは少しだけ眉を寄せる。


「何を見た」


「ちゃんと見えたわけじゃありません。でも、触れたら駄目だって、すぐ分かりました」


 フィアナは自分の両手を見つめた。


「人に見えたのに、人じゃなくて……でも、何かを覚えてる感じがしたんです」


「覚えてる?」


「うまく言えません。形だけじゃなくて、そこにいた“何か”が、まだ残ってるみたいな……」


 アシュは黙った。


 気味の悪い話だった。

 だが、フィアナの加護がそう言うなら、ただの見間違いではない。


 灰祈りに近づくほど、何かがおかしくなっている。


 それだけは確かだった。


 その時、ルゥがぴたりと動きを止めた。


 アシュの手が即座に剣の柄に落ちる。


「……またか」


 だが今度の反応は、さっきとは少し違った。


 ルゥは唸らない。

 ただじっと、斜面の下の藪を見ている。


 気配はひとつ。


 人だ。


 気配の消し方が上手い。

 王国兵や教会執行兵のような揃った動きではなく、もっと野生に近い潜み方だった。


「出てこい」


 アシュが低く言う。


 返事はなかった。


「出てこないなら斬る」


 数秒の沈黙のあと、藪の奥で枝が鳴った。


 現れたのは、背の高い男だった。


 厚手の上着。

 無精髭。

 片目の下に走る古傷。

 肩口には古い火傷痕が覗いている。


 弓を背負い、腰には短剣。


 見た目は猟師か流れ者だ。


 だが立ち方が違う。


 ただの村人じゃない。


 アシュは剣を下ろさない。


 男は武器は構えなかった。


 ただ、こちらを見る目だけが妙に重かった。


「……随分と物騒だな」


 男が言う。


 低い声だった。

 感情の起伏が少ない。


「こっちも暇じゃない」


 アシュが返す。


「だったら、そのまま通り過ぎればよかっただろ」


「お前が先に見てた」


 男は少しだけ口元を歪めた。


 笑ったようにも、呆れたようにも見えた。


「そうかよ」


 そこで視線がフィアナへ向く。


 白銀の髪。

 青い瞳。

 旅の汚れを帯びても消えない、目立つ容姿。


 次にルゥを見る。

 白い毛並みの小さな異形。


 最後に、男の目はアシュへ戻った。


 その瞬間だった。


 空気が、わずかに変わった。


「……お前」


 男の声が少しだけ低くなる。


「その顔……」


 アシュの目が細くなる。


 知っている反応だった。

 名前までは出ていない。だが、見覚えのある何かをそこに見ている目だ。


「誰だ」


 アシュが問う。


 男はしばらく答えなかった。


 代わりに、その視線がアシュの左頬から首にかけての火傷痕をなぞる。


 そこまで見て、ようやく吐き出すように言った。


「……生きてたのか」


 フィアナが小さく息を呑む。


 アシュは剣を握る手に少しだけ力を入れた。


「お前、何者だ」


「こっちの台詞だ」


 男は短く返す。


「よくその面で、まだ生きてられたな」


 その言い方には敵意があった。

 露骨な殺意ではない。もっと重くて、古いもの。


 アシュの中で、警戒が一段深くなる。


 この男は灰祈りを知っている。


 しかも、ただ噂で知っている感じじゃない。


 フィアナがアシュを見る。

 無理もない。明らかにこの会話は、自分の知らない過去の上で進んでいた。


「……アシュさん」


「下がってろ」


 短く言うと、男はその言葉に反応したように目を細めた。


「アシュ、か」


 名前をなぞるように呟く。


「やっぱりそうか」


 そこで、男は小さく息を吐いた。


「俺はガルドだ」


「……ガルド?」


「覚えてなくても無理はねえよ。お前らみたいな連中にとっては、焼かれる側の顔なんざ、いちいち残らねえだろうしな」


 フィアナの肩が強張る。


 アシュは表情を変えなかった。


 変えられなかった、の方が近い。


 焼かれる側。


 その言葉が、火傷痕の奥にまで食い込んでくる。


「灰祈りの村の人間か」


 アシュが言うと、ガルドはゆっくり頷いた。


「正確には、その外れだ。村の護衛まがいのことをしてた」


 アシュは何も返さない。


 返せる言葉がなかった。


 ガルドもそれを求めてはいなかったらしい。

 代わりに地面へ視線を落とす。


「……だが、そんなことより今はまずい」


「何がだ」


「お前ら、あれに触れたな」


 フィアナが顔を上げる。


「さっきの、灰の……」


「名前なんざ知らん」


 ガルドは吐き捨てるように言った。


「ただ、ここいらじゃ前から出る。灰祈りに近づいた時だけな」


 アシュの目が細くなる。


「前から?」


「全部が全部じゃねえ。だが、何年か前から、焼け跡の近くで“残ったもん”を見るようになった」


 その言い回しは曖昧だった。


 曖昧だが、むしろそれが本物っぽかった。

 名前をつけて整理できる類の現象じゃないのだろう。


「どういうものか知ってるか」


「知らん。知りたくもない」


 ガルドは即答した。


「だがひとつだけ言える。あれに立ち止まったら、足を取られる」


「足を取られる?」


 フィアナが聞き返すと、ガルドは彼女を見た。


 その目はさっきより少しだけ柔らかかった。


「目で見たもんに、心が引っ張られる。怖がるやつほど深くな」


 フィアナは無意識に、自分の胸元へ手を当てた。


 加護が反応した時のことを思い出したのだろう。


 アシュはガルドを見たまま言う。


「それを教えに来たのか」


「違う」


 ガルドは首を振る。


「最初は、お前らが何者か見に来ただけだ」


「で、見てどうした」


「見たくないもんまで見えた」


 そう言って、ガルドはアシュの火傷痕をもう一度見た。


「……胸糞悪い話だ」


 その一言に、アシュはほんのわずかに眉を動かした。


 怒りじゃない。

 否定もできない感覚だった。


 フィアナが静かに口を開く。


「あなたは、灰祈りの村で何があったか知ってるんですか」


 ガルドは答えなかった。


 少しだけ目を伏せ、代わりに森の奥へ視線を向ける。


「知ってることはある」


 やがて、低く言う。


「だが、こんなとこで立ち話する話じゃねえ」


「信用しろってことか」


 アシュが冷たく返すと、ガルドは鼻で笑った。


「する必要はねえ。こっちもしてねえ」


 その空気のまま、数秒が過ぎる。


 最初に動いたのはルゥだった。


 ガルドの方へ数歩近づき、匂いを嗅ぐ。

 ガルドは動かない。


「……普通の魔物なら、こんなことしねえな」


 ガルドがぽつりと言う。


「こいつは普通じゃねえな」


 アシュは答えない。


 ルゥはひとしきり匂いを嗅いだあと、敵ではないと判断したのか、フィアナの足元へ戻った。


 ガルドの目が少しだけ細くなる。


「そっちの嬢ちゃんに懐いてるのか」


「そうみたいです」


 フィアナが答える。


 ガルドは一瞬だけ、何かを考えるように黙った。


 だがそこへ、不意に風が吹き込んだ。


 灰の匂いが強くなる。


 同時に、森の奥でまたあの軋むような音がした。


 今度はひとつじゃない。


 複数だ。


 ガルドの顔つきが変わる。


「……来るぞ」


「数は」


 アシュがすぐに問う。


「最低でも四、五。さっきより近い」


 アシュは剣を構える。

 フィアナも立ち上がり、加護を意識して呼吸を整える。


 ルゥが低く唸る。


 ガルドは背の弓を静かに下ろし、矢筒へ手を伸ばした。


 アシュが一瞬だけ彼を見る。


「共闘する気か」


「今はな」


「背中から撃つなよ」


「気が向いたらな」


 その返しに、フィアナがさすがに目を丸くした。


 だがアシュは意外にも何も言わなかった。


 たぶん、この手の人間の言い方に慣れているのだ。


 森の奥の影が動く。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 焼け焦げた人影のようなものが、木々の間からこちらを窺っていた。


 その奥に、さらに別の気配もある。


 フィアナが小さく声を漏らす。


「増えてる……」


「囲まれる前に抜けるぞ」


 アシュが言う。


 ガルドが低く返す。


「北は駄目だ。湿地側へ寄れ」


「灰祈りから離れる」


「今は生き残る方が先だ」


 短い応酬のあと、アシュは頷いた。


「案内しろ」


「ついて来い」


 ガルドが斜面を蹴る。


 アシュはフィアナの腕を軽く引き、ルゥとともにその後を追った。


 背後で、灰を踏むような音がいくつも重なる。


 焼け残ったものは、まだ森の中を歩いている。


 そしてその先には、

 この男が知っている“灰祈りの村の続き”がある。

第12話でした。


今回は、灰祈りの村の生き残りであるガルドが登場しました。


焼いた側のアシュと、焼かれた側にいたガルド。

この二人が正面からぶつかることで、灰祈りの過去がただの設定ではなく、今の傷として見え始めた回です。


そして、森に残っている“焼け残ったもの”も、さらに数を増やしています。

ここから先は、ただ村へ向かうだけではなく、村の傷の中を進む話になっていきます。


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次話もよろしくお願いします。

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