表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の王は赦されない  作者: 星喰ゆう
第2章 灰祈りの残火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/74

第10話 保護という名の檻

逃げるということは、

戦うことより、ずっと削られる。

 クロウウルフの死体は、そのままにした。


 埋める時間も、燃やす余裕もない。


 血の匂いを残したまま岩場を離れるのは気分のいいものじゃなかったが、立ち止まる方がもっと悪い。


 アシュたちは休憩を切り上げ、そのまま北へ進んだ。


 森の中は静かだった。


 静かすぎる、と言った方が正しい。


 鳥の鳴き声は遠い。

 風が葉を揺らす音だけが、やけに耳に残る。


 戦闘の直後だからというだけではない。


 この辺り一帯そのものが、人を遠ざけているような妙な沈み方をしていた。


 アシュは先を歩きながら、時折背後を振り返った。


 フィアナの足取りは、明らかに重い。


 無理もない。


 礼拝堂を出てからまともに休めていない上に、さっきは魔物戦まであった。

 加護の反応も使った。疲れが抜けるわけがない。


「……止まるか」


 前を向いたまま言うと、後ろから少し間が空いた。


「いえ、大丈夫です」


「その答えはもう聞き飽きた」


 フィアナが小さくむっとした気配がした。


「今回は本当に大丈夫です」


「その“本当に”が信用ならない」


「ひどいです」


「事実だ」


 短いやり取りのあと、少しだけ空気が緩む。


 戦闘の後の張り詰めた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。


 ルゥが二人の間を横切り、フィアナの足元へ戻る。

 ちらりと彼女の顔を見上げてから、前方へ走る。


「見張ってるつもりか」


 アシュが呟くと、ルゥは振り返りもせず尻尾だけを揺らした。


 フィアナが少し笑う。


「頼もしいですね」


「調子に乗らせるな」


「でも、助けてくれました」


「それはそうだが」


 ルゥはまた少し先へ行き、草の匂いを嗅ぎながら進む。


 その姿を見ていると、さっきまで血に塗れていたのが嘘みたいだった。


 だが、現実は何も軽くなっていない。


 補給が切れかけていた。


 水はまだ持つ。

 だが食料が足りない。


 昨日の夜からまともなものを口にしていない。

 街道も村も避けて進んでいる以上、それは当然だった。


 アシュは周囲を見渡す。


 木の実はある。

 食える草も多少はある。

 だが、それだけで数日を凌ぐのは厳しい。


「……少し狩るか」


「え?」


 フィアナが顔を上げる。


「この辺なら兎か鳥くらいはいる」


「アシュさん、狩りもできるんですか」


「生きるのに必要なことは一通りな」


 そう答えた瞬間、自分で言って少し嫌になった。


 必要だったから覚えた。


 必要だったから、捨ててきたものもある。


 その沈黙を、フィアナはたぶん読み取った。

 だが何も訊かなかった。


 代わりに、小さく言う。


「……じゃあ、私も何か探します」


「お前は無理するな」


「探すだけです」


「迷うなよ」


「迷いません」


「そう言うやつほど迷う」


「私を何だと思ってるんですか」


「放っておくとすぐ危ない方に行くやつ」


 フィアナは少しだけ頬を膨らませたが、それ以上は言い返さなかった。


 やがて森の奥に、小さな水場が見えた。


 獣道の先にできた浅い溜まり水だ。

 飲み水にするには濾す必要があるが、顔を洗うくらいなら問題ない。


「少しだけ休む」


 アシュが言うと、フィアナは素直に頷いた。


 岩に腰を下ろし、そっと両手を水に浸す。

 白い指先が冷たさにわずかに震えた。


 その横顔を見ながら、アシュは近くの茂みへ向かった。


 数分後、小さな鳥を二羽仕留めて戻る。


 ルゥがすぐに鼻をひくつかせた。


「お前のじゃない」


 先に釘を刺すと、ルゥは不満そうに喉を鳴らした。


 フィアナが少し笑う。


「ちゃんと分かってるみたいですね」


「分かってて狙うから面倒なんだ」


 火を起こすのは危険だが、生で食わせるわけにもいかない。

 煙を抑えるよう工夫しながら、小さく火を作る。


 乾いた枝を選び、葉を避け、風下を確認する。

 慣れた手つきだった。


 フィアナがそれをじっと見ていた。


「……本当に、何でもできますね」


「できることが多いのは、いいことばかりじゃない」


「そうですか?」


「そうだ」


 短く返して、アシュは鳥肉を串に通した。


 しばらくして焼ける匂いが広がる。


 空腹だったのだろう。


 フィアナの喉が小さく鳴ったのが聞こえた。


 アシュは何も言わず、先に一本差し出す。


「食え」


「……ありがとうございます」


 受け取る手つきは丁寧だった。

 育ちの良さがこういうところで出る。


 フィアナは少し冷ましてから、小さくかじった。


「……おいしいです」


「味なんてほとんどないだろ」


「それでもです」


 アシュも自分の分を口に運ぶ。


 塩も香草もない。

 ただ焼いただけの肉だ。


 それでも、空腹には十分だった。


 しばらく無言で食べる。


 ルゥには骨と内臓の一部を投げてやると、器用に受け取って岩陰で食べ始めた。


 その静かな時間は、少しだけ旅らしかった。


 だが、長くは続かない。


 フィアナがぽつりと呟く。


「……教会も、まだ追ってきますよね」


 アシュは火を見たまま答えた。


「来るだろうな」


「私を、連れ戻すために」


「たぶんな」


 フィアナは少しだけ俯いた。


「“保護”って、言ってました」


 アシュの手が止まる。


「礼拝堂に来た人たちも、前にいた場所の人たちも……みんなそう言ってました。危ないから。守るためだから。あなたのためだから、って」


 火がぱち、と小さく鳴る。


「でも、あれは……」


 フィアナは言葉を探すように、少し間を置いた。


「守るっていうより、閉じ込める感じでした」


 アシュは答えなかった。


 答えなくても、それが事実だと分かっていたからだ。


 教会にとって、フィアナは少女である前に“役割”だ。


 守る対象であり、逃がしてはならないもの。

 その違いは、言葉にするとひどく冷たい。


「保護って言葉は便利だ」


 アシュが低く言う。


「閉じ込める側が、正しい顔をできる」


 フィアナがゆっくり顔を上げる。


 その目に、少しだけ揺れがあった。


「……アシュさんも、そういうのを見てきたんですか」


 質問は柔らかかった。

 責めるでも、暴くでもない。


 ただ、知ろうとしている。


 アシュはしばらく黙った。


 火が小さく崩れ、赤い炭が見える。


「見てきた」


 それだけ答える。


 詳しくは言わない。


 まだ言えない。


 だが、嘘でもなかった。


 フィアナはそれ以上踏み込まなかった。

 代わりに、自分の膝の上で手を握る。


「……私、あそこに戻りたくありません」


「だろうな」


「怖いから、だけじゃなくて」


 その先を言うまでに、少し時間がかかった。


「もし戻ったら……私、自分が何なのか、分からなくなりそうで」


 アシュはゆっくり彼女を見た。


 フィアナは、自分で言った言葉に自分で怯えているようだった。


 だが、その感覚は間違っていない。


 むしろ正しい。


 教会が人を壊す時、最初に奪うのは身体じゃない。


 “自分である感覚”だ。


「分からなくなったら、終わりだと思ってるか」


 アシュが訊くと、フィアナは戸惑いながら頷いた。


 アシュは火を見たまま言う。


「終わりじゃない」


「え……?」


「分からなくなっても、終わりじゃない。そこから戻ってくるやつもいる」


 自分に向けて言ったのか、彼女に向けて言ったのか。

 アシュ自身にも分からなかった。


 ただ、それだけは本音だった。


 フィアナはしばらく何も言わず、やがて小さく笑った。


「……それ、慰めですか」


「さあな」


「不器用ですね」


「うるさい」


 そのやり取りの直後だった。


 ルゥが急に顔を上げた。


 耳が立つ。


 次の瞬間、低く唸った。


 アシュはすぐに火を踏み消す。


「何だ」


 ルゥは森の奥を睨んでいる。


 風の音に混じって、何かが軋むような気配がした。


 人じゃない。

 魔物とも少し違う。


 重い。

 それでいて、妙に静かだ。


 フィアナが立ち上がる。


「……何か、います」


「分かるのか」


「はい。嫌な感じがします」


 アシュは剣の柄に手をかけたまま、周囲を見渡す。


 気配はひとつじゃない。


 だが、近づいてくる速度が妙だった。


 獣のような一直線の動きじゃない。

 何かを探るみたいに、少しずつ距離を詰めてくる。


 アシュの背筋に薄い嫌悪が走る。


 普通の森の気配じゃない。


 灰祈りに近づいているせいか。

 それとも別の何かか。


 判断はまだつかない。


 だが、ひとつだけ確かなことがある。


 この先はもう、

 ただ逃げるだけで済む道じゃない。

少しずつ、灰祈りの村に近づいてきました。

次話からさらに不穏さが増していきます。


もし面白かったら、


ブックマーク

評価

感想


などいただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ