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カムサビ  作者: わゆ
【3章】調和編
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それとすむもの 9

 籠ノ目、籠ノ目

 籠の中のあなたは、いつまでも囚われたまま?




 咆哮が空気を貫き、限界を迎えた理性が音を立てて砕け散っていく。

 

 虚無の穴から露出している景色は、パズルのピースのように色彩がパラパラと崩れ落ちていく。

 

 床に滴り落ちる汗も、喉を切り裂く息も、膝に伝わるアスファルトの硬さも、全ては他人事――最早、誰のことかも判断付かない。

 

「ああっ……な、なんで……!なんでっ!なんで、だよ……」

 記憶の中で二人の声が聞こえる……何度も、何度も、何度も……周囲の雑音では掻き消されない程、しっかりと。

 

「お、オレが強引にでも引き止めていたら……」

 絶対に不可能な選択肢ですら、今では選択の余地があるように思えてくる。こうなることを事前に知っていなければ実現不可能で、仮に知っていたとしても……あの二人を止められたかは定かでは無い。

 

「もう、会えないのか……?」

 それを口に出した瞬間、冷え切った感情の奥底で、何かのスイッチが切れる。

 

「あぁ、そうか……そうか……ははっ」

 頬を濡らす涙は誰のものだ?汚れた床を掃除する勢いで、誰かの悲しみの雫は絶え間なくポタポタと落ちていく。


『お前はそんな軽い気持ちだったのか?』

 お前にオレの何が分かる……軽い気持ちな訳ねぇだろうが……

 

『なんで後を追わない?」

 言われるまでも無い……さっきから、指先に力が入らないんだ、床に倒れ込んで動けないだけ。


『もう一度、会いたいんだろ?』

 会いたいに決まってんだろぉ……!!!


『なら、後は分かるよな?』

 あぁ、分かっているよ。


 背後で誰かが叫んでいる――救助でも二次被害でも構わない。水底で聞く音のように、遠く、遠く濁っている。

 

 耳元で囁かれる声は、心地良い響きで透き通っている。どちらを優先するかは明瞭だ。

 

 もう終わりにしよう……二人がいないなら現世に未練も無い。寿命を全うしたなら仕方が無い……だけど、今回のことは認めない……!許さない……!諦められない……!!

 

 虚無の穴が手招きをしている。オレに残るのは純粋で無垢な渇望だけ――「二人に会いに行こう」と、小さな願いが溢れた。


 重い身体を引き摺りながら虚無の穴へ。理性は既に崩壊している……オレに残された想いは、二人との再会だけ。他は何もいらない……

 

『……あ…………』

 遠くから誰かの声がする……水面で分散されたような微かな響き。

 

『……ア……もど…………』

 虚無の穴の影響だろう……周囲もパニックを起こしているに違いない。もうオレには、そんなことはどうでも良い……早く二人に会いに行かないと。

 

『……アキ…………』

 謎の響きが泥を払い落とすように、少しずつ、少しずつ明瞭になっていく。閉ざされた心の扉をノックされる感覚……オレの名を呼ぶのは誰……?


『――アキ、戻ってこい!』

 

 その声は耳の奥で爆ぜる――凍った心を一瞬で解凍させるように、水底に沈んだ意識を一気に引き上げるように。

 咄嗟に瞼が開かれ、視界に強烈な色彩が飛び込んでくる。


「あ、えっ……」

 外界情報の処理が追い付かない。

 

 ほんの数秒前に見ていたはずの景色……オレは何をしようと……き、境界は……?ダテさん……火炎に呑まれた車……それに、調和の……

 

「アキ、大丈夫か?」

 耳に届く優しい声――それと同時に、地面に膝をつき身体を預けていることに気付く。もたれ掛かった先から、生命から発する熱を感じる……それと心を落ち着かせる香り。

 

「……そ、ソラ……さん?」

 オレの肩を抱き止めてくれている人物。

 

「意識はあるか?」

「は、は……い……」

 まだ意識は朦朧としている……分かるのは、倒れそうになっているオレの身体を支えてくれているソラさんの姿だけ。

 

「良かった……」

 ソラさんの安堵した温かい息が耳に掛かる。くすぐったい気持ちと安心した気持ち……

 

「お、オレは誰……?」

「お前はアキだよ。アキはお前しかいない」

 漆黒の世界で出会ったオレは何だったのか……それに、あの記憶の擬似体験……

 

「安心しろ、アキ。一先ず危険は去った。今は気を休めることを優先すれば良いさ」

「は、はい……」

 ソラさんの気遣う声に、少しずつ脳の処理が追い付いてきた気がした。

 

「ソラさん……」

「ん、なんだ?」

 垂れ下がった頭を上げ、ソラさんと目を合わせる。

 

「連れ出してくれて、ありがとうございます……」

「普段とは逆の展開になったな。アキが無事ならそれで良いさ」

 ――オレたちの足並みが揃った気がした。


「よいしょっと……」

 まだ身体に力が入らないが、このままソラさんに支え続けてもらうのも忍びないので、足元に体重を乗せてゆっくりと立ち上がる。

 

「アキ、もう大丈夫なのか?」

「はい、ありがとうございます……ははっ、まだフラつきますね……肩だけ借りて良いですか?」

 

「もちろんさ」

 ソラさんの肩に手を置き、改めて視界に映る外界情報を脳に入力していく。その中で調和のミナと対峙した現場に、いくつか変化があることに気付いた。

 

 爆炎を吐く車の残骸は既に無く、その事実を示すかのように、火災部分のアスファルトは熱に溶け炭化し焼け焦げた跡がくっきりと刻まれている。

 

 それに付近には何台もの車両が停車しており、複数の人間が現場を彷徨いている。そこに調和の姿は無い。

 

「あの人たちは……?」

「あぁ、あれは協会の調査員たちだ。アキたちの消息が途絶えたことで、急遽派遣したと聞いている」

 よく見ると、調査員の腕に協会員の証である腕章を付けているのが分かった。オレとソラさんはダサいからって早々に捨てた気がする……

 

「ミナ……調和はどこに?」

「やはり、ここにも出現したのか……安心しろ、アキ。俺や調査班が到着した頃には、奴の術であろうムスビは霧散し、本人の姿も無かったよ」

 術が解かれた……?それは多分、横にいる相棒のお陰のような気がする。助けてもらってばかりで申し訳ない。

 

「そうでしたか……えっと、あぁっ!ダテさんはっ!?ダテさんは大丈夫なんですか……?」

 決して忘れていた訳では無い……ただ、ソラさんの様子だと無意識に助かっていると思い込んでしまっていた。

 

「それも安心しろ、アキ。調査員が応急処置してくれて、緊急搬送も済んでいる」

「そっか……良かった……」

 心が軽くなる……境界対応や荒事は物忌、補助や調整は玉仕と、オレたちは役割を分担している。どちらか一方だけでは成り立たない業界、だからこそ……護らなくてはならなかった……

 

「お、オレ……ダテさんを……護れませんでした」

「……」

 

「禍津で学んだことが、今回は裏目に出ました……それで、ダテさんを……」

「……」

 

 相手の印象や状態に油断して、痛い目を見た禍津の杜での一件――それを踏まえて、今回は慎重過ぎる動きで先手を打たれてしまった……状況判断をどちらも間違えた。

 

「物忌失格ですね、オレ……すいません……」

 ソラさんの肩を掴む手に無意識な力が入る。忸怩たる思いが血管を巡っていく。『護れたはず』、『オレなら出来たはず』、『どうして間違った』……自責の念が次々と脳裏をよぎる。

 

「アキ」

「……」

 

「その後悔の甘味に依存するなよ……」

「依存……?」

 穏やかな表情を浮かべながら、優しい声色が吹き抜ける。

 

「後悔することは人間誰でもある。俺にだってあるし、アキにも、あのゴミクズなツミキにもある。問題なのは、その後悔の種をどう咲かせるか、そこに差が生まれるのさ」

「どう咲かせるか……」

 ソラさんは続ける。

 

「甘味に神経を蝕まれたら抜け出せなくなる……まるで依存症のように。失敗も後悔も何度繰り返しても良いんだ」

「……」

 

「ただ、お前のそばには誰がいる?」

「ソラさんが……相棒がいます!」

 その言葉に、相棒は嬉しそうに少しだけ口元を緩ませた。

 

「俺のそばにはアキがいる。それなら、一緒に考えよう。一緒に悩んで、一緒に議論して、時には第三者の意見もしっかり聞いて――そしてまた、一緒に助け合って解決していけば……それで良いのさ」


 この時の笑顔を、いつまでも忘れることは無い。

 ――まるで、虚無の穴に咲いた一輪の花のようだったから。

次話は5/26 6:00投稿予定です。

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